『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』 特別招待作品
監督: 大森立嗣 2010年初夏 新宿ピカデリー、ユーロスペース他にてロードショー
『ゲルマニウムの夜』の大森立嗣監督の新作であり、松田翔太、高良健吾、安藤サクラらが演じる若者たちのあてのない旅を追ったロードムービーである。孤児院で育ったケンタとジュンは工事現場で解体工として働いている。苛酷で単調な労働、上司の執拗な苛めに耐えかねた2人は会社の事務所を荒らし、上司の車を破壊してそのままケンタの兄が服役する網走に向かう。
ケンタとジュンは孤児という出自から脱け出せず、自分の前に立ちはだかる壁をいつも感じている。兄が犯した犯罪が原因で上司に苛めを受けるケンタは特に、常に壁から圧迫されるような閉塞感を感じている。壁の向う側にいる兄への憧憬が募った結果としての旅立ちであり、その旅には自分がその壁を越えて何処かに行けるのではないかという期待感と、今の世界を抜け出せる解放感がある。
底辺にいる若者の閉塞感と焦燥感を体現した松田翔太、ケンタを慕うジュンの純情を表現した高良健吾、尻軽だが純情というアンビバレントな役柄を独特な存在感を持って演じた安藤サクラ、それぞれの俳優たちの演技が素晴らしい。そしてこの監督の真に抜きん出ている点は、その壁の向う側の人々もきちんと画面に登場させ、その演出にも逃げや妥協がないことであろう。ケンタの兄を演じた宮崎将の圧倒的な存在感や、ケンタたちが途中で逢う施設の障害者の方々の描写など、全くもって他の監督の追随を許さない揺るぎない決意が見え、感銘を受けた。
「壁をぶっ壊す」と息巻いていたケンタの旅の結果はどうであれ、観客は登場人物それぞれのアクションを体感するだけで、私たちの周りに張り巡らされる目に見えない壁の存在を可視化することができる。答えはケンタたちにではなく、私たちに委ねられているのだ。
左:大森立嗣監督 中央:松田翔太氏 右: 高良健吾氏Q&Aには大森立嗣監督と主演の松田翔太氏、高良健吾氏、安藤サクラさんが登場。若い俳優たちは若干緊張気味なのだろうか、張り詰めた雰囲気の中行われた。林加奈子ディレクターが「現場もこんなに緊張した雰囲気だったんですか」と尋ねると、監督が「そんなことないよね」という傍で、松田氏が「でも現場では監督はめちゃくちゃ怖かったです」と語った。会場から大森監督に脚本の発想のもとについての質問がされると、「前の作品でも施設を舞台にしようと、取材したりしていた。今回の映画は施設にいた知り合いの文章をもとに脚本を起こした」との答え。
ケンタたちが旅の途中で立ち寄る障害者の施設があり、彼らとバスに乗るシーンが非常に印象的なシーンとなっている。そのシーンについて、会場から「とても笑顔がよかった。あれは演出?」との質問がされたが、監督によると「事前に逢って仲良くなったので、自然な演技」だとのこと。松田氏も「普通に友達みたいにご飯を食べて野球をやったり、本当に楽しかった。心が洗われるようだった。今でもあそこに行きたいくらい」と思い出を語った。会場から台詞が多い映画ではないのでかえって大変だったのではないか、撮影中苦労した点について質問が挙がると、松田氏は「自分はいろいろな情報を入れて考えてしまうタイプなので、そういうことを止めるのが大変だった」と語った。高良氏も「台詞はあまり重要ではないと思っている。大事なのは、ジュンとしていること、相手の行動に素直に反応することだと思っていた」と答えた。安藤さんは、「監督に6~7kg太ってくれと言われ、腰が痛かった。下手くそなダンスを踊れと言われ、自分はダンスをやっていたので、下手なダンスというものが分からず、恥ずかしかったし難しかった」と答え、会場を沸かせた。
『2つの世界の間で』 コンペティション部門
監督:ヴィムクティ・ジャヤスンダラ ヴェネチア映画祭コンペティション部門上映。
映画祭も中盤になり、フィルメックス常連のバフマン・ゴバディ監督もハナ・マフマルバフ監督もアモス・ギタイ監督も、それぞれに趣向を凝らしてはいるものの過去の傑作が頭にちらついたりもし、全般的にコンペより特別招待作品、しかもすでに多数の賞を獲得した作品や公開が決定している作品の方がレベルが高い気がしていた。今年はアピチャッポン・ウィーラセタクンを発見した時のような、新しい才能を発見し、しかもそれを独り占めできるような興奮は味わえないのかとあきらめかけていたところ、出逢ったのがこの作品。観ているうちに非常に興奮してきて、傑作を確信した。
青年が海に落下するシーンから映画は始まる。岸に打ち上げられた青年は街に向かうが、そこでは暴動が起きている。そこで拾った東洋系の女の子とともに見知らぬ男の運転するバスで街を脱出した青年は、田舎の丘陵地帯に辿り着くが……。そこがどこなのか、登場人物たちが誰なのか、何のためにそれをしているのか、明確な説明は全くされない。全ては観客のイマジネーションに委ねられ、そしてそのイマジネーションさえも裏切られる。青年が殺したと思った義姉は次のショットで生き返っている。映画内に明確な2つの世界が存在しているのではなく、それぞれのシーンが2つの世界を内包していて、代わる代わる立ち現れるかのようだ。それは暴力的な世界と平和な世界なのか、そう決めつけることさえ、私たち観客はできかねる。
アート系の退屈な映画を想像する人も多いと思うが、青年の身体性を生かした演出と、音の使い方の巧みさ、スリランカの崖や湖などの雄大な自然など見所が多く、全く退屈する暇がない。自分の観客としてのイマジネーションがイマジネーションのまま宙吊りにされ、目の前で映画が進行していくような不思議な体験は初めてで、やみつきになりそうであった。
ヴィムクティ・ジャヤスンダラ監督は初の長編劇映画『Forsaken Land』でカンヌ国際映画祭にてカメラ・ドールを受賞。今回は残念ながら無冠となったが、これからが期待される新鋭であり、ぜひまた新作がフィルメックスにて上映されることを期待したい。
Q&Aには、ヴィムクティ・ジャヤスンダラ監督が登壇。まず市山PDから、予測がつかない展開に関して「即興みたいに見える部分もあったが、はたして脚本はあったのか?」との質問がされると、監督は自身の映画製作のスタンスを語った。「文学や演劇といった他のメディアではなく、映画を通してしか語れない物語があると思う。自分はそういうものを目指しているので、脚本よりもまず、シーンについて何年も何年も考えた。その後に、この脚本は2週間ほどで書き上げた」。会場から、「映像とぶつかるような音が非常に印象的だった」という感想があがると、「それはとても嬉しい。映画というものは、音とイメージだと思っているので。音を聞きながら色々なことを想像してほしい」と笑顔で答えた。
ヴィムクティ・ジャヤスンダラ監督スリランカの崖や森など壮大な自然が非常に圧倒的であったので、撮影方法について質問をしたところ、「1日ワンシーンで撮った。事前のリハーサルはやらなかった。撮影場所に関しては、まず一人でロケハンに行く。それからクルーを連れていって、実際に撮影可能かどうかということも含めて、自分のイメージに近づけていく」との答え。前作をDVDを取り寄せて観たという男性から「前作は内戦の宙ぶらりんの感覚が非常に印象的であった。この作品はスリランカの現地性は薄いような気がするが、内戦の終結はどのような影響があったのか?」との質問があがった。監督は、「戦争という状況が私に映画を作らせた。内戦は終わったが、スリランカだけではない、世界中で現在も繰り返される戦争、それが何故起こるのか、何故繰り返されるのかということを問い返してみたかった。暴力は人間の本質の一部であり、しかし倫理観がそれを押しとどめる力になっている」と自身の考えを語った。
2つの世界ということで繋げてみれば、『天国の七分間』(イスラエル、オムリ・ギヴォン監督)も『ニンフ』(タイ、ペンエーグ・ラッタナルアーン監督)も、ありうるべき世界とありえない世界、現実の世界と空想の世界を巧みに映画内に取り込み、2つの世界を行き来する人間の不思議な実存を浮き彫りにさせていた。前者はテロによる脅威、後者は自然と人間との対立というテーマが根底にある。
『お父さん、元気?』(台湾、チャン・ツォーチ監督)は2つの世界どころではなく、10個の、それぞれの父と子供の世界が描かれる。10話通して観て不思議に思ったのは、父たちはみな年老いてはいるものの元気であり、むしろ子供たちの方が第10話のように障害を負ったりしているパターンが多かった点だ。呆けてしまった父や病に臥せる父は全く出てこない。老いながらも元気な父ばかりを描くという点で、この映画は『お父さん、元気?』というタイトルどおり、子供である私たちの願望を描いているのであろうが、それがノスタルジックな台湾の街並みととてもマッチしていた。一つ一つの話はありきたりであったり、情緒的すぎたり、たわいなかったりするものの、話が重なっていくうちに、その桃源郷のような世界に吸い込まれ、心地よい時間を過ごした。これもまた複数の世界の重ね方の手法の一つの達成であろう。
(2009.12.3)
第10回東京フィルメックス (11/21~29)
特別招待作品『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』( 2009/日本/監督: 大森立嗣 )
コンペティション部門『2つの世界の間で』( 2009年/スリランカ/監督:ヴィムクティ・ジャヤスンダラ )
- 監督:大森立嗣
- 出演:新井浩文, 広田レオナ, 早良めぐみ, 木村啓太, 大森南朋
- 発売日: 2007-01-25
- おすすめ度:
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