特集

抱擁のかけら

( 2009 / スペイン / ペドロ・アルモドバル )
アルモドバルが見せる三つの「愛」

寺本 麻衣子

『抱擁のかけら』1<結末に関する記述有り>
「愛」という言葉を使うのが、私はどうも恥ずかしい。けれど困ったことに映画の宣伝や粗筋や批評には「愛」が大安売り状態で飛び交っていて、見かけるたび正直照れる。日常では滅多に使わないし、そもそも「愛」って言葉はやたらに使っていいものなのか?とはいえ、そんな私でも迷わず「愛」という言葉を使いたくなる時がある。ペドロ・アルモドバルの映画のことを思う時だ。
エキセントリックな登場人物たち、倒錯したセクシュアリティ、ドラッグ、殺人、あられもないセックス、死、突拍子のない展開。アカデミー賞を受賞した『オール・アバウト・マイ・マザー』(98)あたりから急激に洗練されていくけれど、アルモドバルの映画は基本的に猥雑でとんでもないものからできている。だからといって彼の映画が下品で陰湿でとんでもない、なんてことはない。それは多分、その全てが一度見たら忘れられない色彩と上質の芸術に彩られ、人々がそれなりに懸命に「愛」に向かっているからだと思う。しかもその「愛」も、いわゆる男女間の恋愛だけではない。色恋沙汰ならば男々間や女々間あり、男女間でも欲望次第で様々な姿があり、全てを包み込むような世代にまたがる親子愛だってある。さらに映画の中ではいくつかの「愛」が重なりあい響き合う。ペドロ・アルモドバルはいつも、つまらない常識にとらわれることなく、自由に濃厚にユーモラスに時に切なく、上手い脚本と魅力的な画面で「愛」を見せてくれるのだ。

最新作『抱擁のかけら』(09)は、ある出来事で本名と視力を失った脚本家ハリー・ケイン(ルイス・オマール)が生きる現代と、ハリーが映画監督であった過去が交錯しながら描かれる。14年前、ハリーはコメディ映画『謎の鞄と女たち』の撮影を通じてレナ(ペネロペ・クルス)と出会う。二人は激しい恋に堕ちるが、レナは実業家エルネストの愛人だった。エルネストは映画への出資を申し出る一方、息子を撮影現場に送り込んで二人をビデオで撮らせ挙動を監視する。彼の束縛から逃れるためマドリードからカナリア諸島のランサロテ島へ逃げるハリーとレナだったが、ある事件が二人を襲う。
『抱擁のかけら』2この過去パートで見る人を虜にするのが、レナを演じるペネロペ・クルスだ。とにかく彼女が可愛い。そして美しい。ハリーとレナが初めて出会うシーンで振り向く彼女は、眉毛の描く曲線といい唇の形といい、完璧としかいいようがない。その後衣装合わせで見せるオードリー・ヘップバーンのようなポニーテールやボブカットの彼女の可愛いこと!極めつけはマリリン・モンローを思わせるプラチナのウィッグで、許されるなら持ち帰りたいほど魅力的。ゴールドのチェーンをあしらった黒いドレスの胸元も、体にぴったりと張り付くタイトなスーツを着た後ろ姿も強力だ。
嫉妬や裏切り、執着と暴力に、奇妙な脇役も登場するレナとハリーをめぐる三角関係は、充分に劇的ではある。とはいえアルモドバルの映画にしては、この男女の「愛」はいささか物足りない。むろん、アルモドバルはこれだけでは終わらなかった。『抱擁のかけら』に描かれているのは、この「愛」だけではないのだ。

いったん話を映画冒頭に戻したい。物語は盲目のハリーがブロンド美人を上手く部屋に連れ込み、早速セックスを始めるところから始まる。ひと癖あるアルモドバルらしいイントロだ。コトが終わった頃、別の女性がやってくる。彼女は古くからハリーのエージェントを務めるジュディット(ブランカ・ポルティージョ)。一人息子ディエゴを育てるシングルマザーでもある。部屋に入る彼女の表情と仕草、ハリーとの会話からは、表立ってではないものの二人の関係が匂わされる。レナが表のヒロインならば、ジュディットは影のヒロインと言ってもいい。ここにもう一つの「愛」がある。レナの「愛」は情熱的で官能的だけれど、ジュディットの「愛」は深く時間をかけて育まれたもの。愛する人との抱擁すら見せないけれど、その存在は映画を謎めかせ「愛」についての物語に膨らみを与えている。
ブランカ・ポルティージョは前作『ボルベール<帰郷>』(06)でも脇ながらとても重要な役を演じ、ペネロペ・クルスの登場しないラストシーンで映画の味わいを更に深くしていた。本作でもペネロペ不在のラストシーンで目が離せない表情を見せる。彼女に与えられる科白は多くないけれど、その演技はいつだって見事だ。

『抱擁のかけら』3さらに、この映画にはもう一つの「愛」がある。それは、アルモドバルの映画への「愛」だ。それに気付いた時の感慨は『イングロリアス・バスターズ』(09)を見た時に似ていた。久しぶりにタランティーノ節を楽しむぞ!と意気揚々と見に行ったはずが、描かれていた映画への愛情に感動して帰るはめになった、あの夜。『抱擁のかけら』でも同じことが起こった。濃縮されためくるめく愛憎劇にどっぷり浸かろうかと思っていたら、あちこちに散りばめられた“映画なるもの”“映画への愛”にやられてしまったのだ。
もちろん、これまでの作品にも「映画」はしばしば登場してきた。登場人物たちはよくテレビで映画を見るし、会話でも映画が語られるし、アルモドバルの半自伝的映画『バッド・エデュケーション』(04)は映画監督が主人公だ。けれど『バッド・エデュケーション』が描かれる物語の内容に入り込んでいったことに対して、本作では映画そのものに関わっていく。監督と脚本家、エージェントと俳優、出資者が登場し、撮影現場で物語は展開する。まさに映画の裏側が物語の舞台であり、映画がつくられていく過程が重要な役割を果たし、そして映画が人を救いもするのだ。
映像を映し出す、という行為から生まれた場面がまた素晴らしい。しかもレナを愛する二人の男、それぞれに見せ場が用意されている。まずエルネスト。息子が撮影したハリーとレナの映像を見ようとするが、音が悪く何を話しているのかさっぱり分からない。そこでエルネストは読唇術ができる女性を雇う。二人の映像をスクリーンに映し出し、映像にアテた棒読みの女性の言葉に真剣に聞き入る老人。愚かで滑稽な場面だ。更にそこにレナが居合わせ、スクリーンに映る自分自身に声をアテて別れを告げ、去っていく現実のレナの後ろ姿に映像の中の後ろ姿が重ね合わされるところなど、上手い!と騒ぎたくなってしまった。一方、ハリーにはモニタにコマ送りで映されたレナの横顔に手を当てる場面がある。目の見えないハリーが粒子で表わされるレナを両手で読み取るように愛おしむ姿も、カメラにより撮影され上映されなければ生まれない。このシーンも様々な感情が押し寄せる、名場面だ。
映画の終わりで、ハリーはかつて撮影した映画の未編集フィルムと再会する。フィルムに残る輝くように魅力的なレナ、そのフィルムを再び編集することで生きる力を取り戻すハリー、その傍らには映画に救われるハリーに自らも救われ許されるジュディットがいる。レナの「愛」、ジュディットの「愛」、そして映画への「愛」が重なり合う姿に、アルモドバルの“物語る力”を感じて深く溜息をついてしまうのだ。

『抱擁のかけら』4脚本の巧みさはもちろん、アルモドバルの映画の美点として独特の色彩もしばしば取り上げられる。この映画では特に、80年代の名作『神経衰弱ぎりぎりの女たち』(88)を脚色した劇中劇『謎の鞄と女たち』の室内セットがとにかく鮮やかで、洒落たインテリアとレナのファッションも楽しい。画面のあちこちに配される“赤”も相変らず素敵だ。
けれどアルモドバルの画はつくり込まれた部分だけではなく、ロケでの映像も魅力的であることを付け加えたい。『グロリアの憂鬱』(84)や『私の秘密の花』(95)など90年代前半までの作品では象徴としての都市や集合住宅が多く登場し、近作ではより感情が投影された光景やオブジェ的な美しさを見せる風景が現れ、それぞれが重要な役割を果たす。今回はレナとハリーが身を潜めるランサロテ島がそうで、道端の奇妙なオブジェ含めて単なる風景以上の存在感と行ってみたくなるような引力を持つ。島への道中に現れる円形の窪みが無数に続く地帯は現代美術でも見ているかのような不思議な風景だったが、そんな場所を見つける嗅覚もまた彼の魅力なのだと思う。
特に本作で心に残ったのは、ハリーとジュディット、ディエゴがレストランで食事をする場面だ。シーンの最初、道路に面したガラスの脇のテーブルに3人が座る姿をカメラが外から映す。ガラスには道路を行き交う車のライトがいくつも映り込むのだが、その様子がなぜだかとても美しい。今度はカメラが店内に入り、道路を背にして座るジュディットたちを捉える。ここでジュディットは重要な告白をするのだが、その背景には絶えず車が通り過ぎていく。語り続けるジュディットと同時に、その後ろに広がる風景も見つめることになるのだ。最初のカットは恐らく窓に映るライトの美しさゆえの映像でもあろうが、そのカットがあることで、カメラが店内に入った後も店の外の記憶=生きていくべき現実の世界が頭に残っている。物語を展開することだけに集中するのではなく、同じ画に世界の広がりや現実を共存させる演出に、改めてアルモドバルの語りの上手さを見てしまった。

ライブ・フレッシュ』(97)、『オール・アバウト・マイ・マザー』で鮮烈にアルモドバル映画に現れたペネロペ・クルスが、『ボルベール<帰郷>』で再びハリウッドから彼の元に戻って来た時はとても嬉しかった。本作では二人の男を惑わす女として彼女は完全だし、誰よりも美しい。でも、その輝きだけに目を奪われてしまうとアルモドバルが三つの「愛」を寄り合わせて綴る物語の妙味を見逃してしまうかも知れない。
『抱擁のかけら』は恐らく、一度目よりも二度目によりたくさんの発見がある。最初はペネロペに目を奪われっぱなしだったとしても、次はぜひ他の「愛」とそれを描くために施された仕掛けに目を向けてほしい。アルモドバルの凄さは、むしろそこにある。

(2010.2.10)

抱擁のかけら 2009年 スペイン
監督・脚本:ペドロ・アルモドバル 撮影:ロドリゴ・プリエト
出演:ペネロペ・クルス,ルイス・オマール,ブランカ・ポルティージョ
配給:松竹 PG-12
(C)Emilio Pereda&Paola Ardizzoni/El Deseo
公式

2010年2月6日(土)新宿ピカデリー、
TOHOシネマズ六本木ヒルズ他全国ロードショー

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2010/02/11/15:21 | トラックバック (13)
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