内藤 誠 (映画監督)
汐見 ゆかり (女優)
映画『明日泣く』について
2011年11月19日(土)より、渋谷ユーロスペースほか全国順次公開
東映の『不良番長』シリーズやもはや伝説のカルト映画となった『番格ロック』、また『時の娘』『俗物図鑑』『スタア』など異色の自主映画で知られる内藤誠監督が25年ぶりに手がけた劇場映画は、監督自身も強い思い入れを持つ作家・色川武大の短篇小説の映画化である。この作品の公開にあわせて先頃、レトロスペクティヴや著書の刊行も実現し、いま再び映画ファンの注目を集める内藤監督と、主演のキッコこと定岡菊子を演じた汐見ゆかりさんにお話をうかがった。(取材/文:佐野 亨)
自主映画とプログラム・ピクチュア
――今回の映画は、非常に小規模の予算とスタッフで製作されていますね。
内藤 僕は、自主映画は荒戸源次郎さんと一緒に『時の娘』、東映同期生の協力で『俗物図鑑』、筒井さんのお金で『スタア』(86)をつくって、これが4本目。だから劇場映画は25年ぶりだけれど、その間いろいろやっていましたからね。ホリプロに頼まれて演出した月曜ドラマランドの「生徒諸君!」とかも僕はわりと楽しんでやったつもりなんですよ。こういうもの(自主映画)を中心にしていたら、もっと生活するにも大変だったと思う。映画はとにかくお金がかかるから。こういうふうに映画館で上映するとなれば、宣伝やらなんやらで時間もとられるしね。
――それこそかつての東映のプログラム・ピクチュアは、少ない時間と予算のなかでコストパフォーマンスを考えながら撮るわけだから、当然できることは限られてくる。でも、だからこそ得体の知れないパワーや熱量が映画に付与されたという側面もあったはずですよね。
内藤 そう、おっしゃるとおりでね。やりたいことの半分できればいいなくらいに思ってないと、プログラム・ピクチュアの仕事は引き受けられませんよ。「えっ、このシーンも撮る予算ないの?」という連続パンチを食らってフラフラになりながら、撮るわけでね。今回の『明日泣く』の脚本を「シナリオ」誌に掲載するに当たっては、僕は「撮影台本でいいんじゃない?」って言ったんだけど、まあプロデューサーはじめ皆の意見を聞いてオリジナルのシナリオを載せました。それ見るとトップシーンなんか庭先に雪が降ってるんですよ。でも、撮影したのは真夏だからね。僕はそこでパッと切り替えるんですよ。そりゃお金と時間をかければ、雪を降らすことはできますよ。だけど僕は東映で育ってるから。それはシナリオを書いたときの夢としてあっていいけれど、映画のなかでは、いまできる範囲で撮ろうよ、と言うんです。そのかわりに綺麗な夜間シーンを入れたい、とかそういうふうに頭を切り替える。映画の夢は夢で置いておきなさい、と。
――この『明日泣く』も、76分というコンパクトな上映時間を含めて、そういうプログラム・ピクチュア的な、軽やかな魅力がある作品に仕上がっていますね。
内藤 長年やってきているから、撮りはじめたときからだいたいわかるんですよ。今回はレイトショー向きだろうな、とか、広告にはこれくらいの予算しかかけられないんじゃないかな、とか。東映ではもちろん製作部と宣伝部が分かれているから、撮影にお金がかかってしまっても新聞に広告が出ないなんてことはない。僕が社長に呼ばれて「なにやってんだ!」って叱られるだけでね。でも自主映画はそういうことまでシビアに考えてつくらないと駄目なんだよね。それにレイトで2時間をこえたら、お客さんはしんどいと思うんだ。映画を観終わって、ちょっとお茶を飲んでから帰る、とかそういう余裕がないと。終電前の30分は残す映画をつくりたい(笑)。だから撮影自体もテンポよく、レイトで観るのにちょうどいい映画にしたいと思ったんですよ。まあ荒戸さんなんかはスケールをぜんぜん気にしない人だからね。「次は天からこんな映像が降ってくるであろう」なんて言う人だからさ(笑)。僕がいまみたいな話をしたら、「そんな、初めからレイトをねらって撮るなんてとんでもない!」って説教されちゃったけど(笑)。でも、僕はやるからには予算オーバーにはしたくないし、レイトで上映して観た人が余韻に浸れるような作品ができなければ娯楽作家とは呼べないと思うんだよね。
――内藤監督がかつてお撮りになった『夜遊びの帝王』シリーズや『不良番長』シリーズのようなプログラム・ピクチュアはまさにお客さんの反応を見ながら、次の作品ではこういう物語にしよう、とかこういうギャグを盛り込もうとか考えられていたわけですよね。
内藤 ええ、そうなんですよ。深夜映画の客というのは、学生と労働者と水商売の人でしょ。昔の新宿東映みたいに、寝てる人もいれば、場内満員のところを扉の前で一所懸命観てくれている人もいる。ああいう人たちが僕は好きなんですよ。だから彼らの反応が気になる。客のことを考えないで映画をつくることは僕にはできません。荒戸さんのドームで観せるような映画を撮るときには、ちょっと気取ってみようとかね。竹中労さんには「東映映画とぜんぜん違うじゃないか」と言われたけれど、僕に言わせれば違って当たり前なんです。だってお客さんが違うわけだから。そういう意味でいくと、今回はユーロスペースでしょ。映画のことをよくわかっているお客さんが相手だから、あんまりバカなことはできないなと思いました。現場では、プロデューサーの大野敦子さん――彼女は『桃まつり』なんかにも参加している人ですが――とか、富永昌敬とか、彼らの顔をつねに意識していましたね。彼らはいまの映画の感覚をすごく的確に把握している人たちですから。
優しく柔らかい「昭和」の質感を求めて
――今回は撮影方式はデジタルHDですが、これは初めてのことですか?
内藤 ええ。僕がTVの仕事をやっていた最後の頃はね、何台ものカメラを使って撮影していたんですよ。「生徒諸君!」では、たしか5台くらい使った。だから、撮影のときには1台だけを真剣に覗いて、あとは編集のときに良いポジションを切り出して使うということをしていました。でも、そうすると、画面に緊張感がなくなって、ちょっと間の抜けた画が多くなってしまうんだよね。今回は幸いにして、月永くんがワンキャメラで撮ってくれたから、まったくフィルムと同じやりかたで進めることができました。
今回やってみて、あらためて感じたのはデジタルの質感の良さですね。フィルムよりも優しくて柔らかい感じがする。筒井さんにも観てもらったら、「優しい感じがあって、いい画面だなあ」と言ってくれたけど。フィルムでこの話を撮ると、たぶんもっとトゲトゲしくなったんじゃないですかね。たとえば、ジャズクラブの前に自転車がたくさん並んでるシーンがあるでしょ。あれ、実際にみんな自転車に乗ってジャズを聴きに来てるんですよ(笑)。面白い人たちだなあ、と思ったけど。ああいうところをフィルムで撮ると、薄汚く映るんですよね。ガサツというか、ゴミゴミしてるというか。でも、デジタルで撮るとそこがうまく調和されて、僕が思い描く昭和というか、優しくて懐かしい感じになる。羽田から飛行機が飛び立つシーンにしても、フィルムで撮ると迫力が前面に出ちゃうんだけど、デジタルで撮ると草むらのなかをスーッと優しく飛び立つ感じになるんですよ。まるで夢のなかで飛び立つみたいにね。僕はいいなあと思って、もう二、三本、デジタルを使って私小説の映像化みたいなことをやってみたいんです。
ギャング映画なんかやっても、夜景がぼんやりと映っていい感じになるんじゃないかな。横浜とかを舞台に、エドゥアール・モリナロの『殺られる』(59)みたいなフィルム・ノワールをジャズを流して撮ったらしびれるだろうな、と思ってね。
――いま自主映画はデジタルで撮るのが主流ですが、そうするとどうしてもキャメラを回しっぱなしになってしまいがちですよね。
内藤 そう、あれはよくないね。撮影の月永(雄太)くんは『東京公園』(10)もそうだけど、カットバックをきちんとやって、すごくうまいでしょ。今回はだから「ガラガラ回し」(同ポジションの画を一度で撮り切る)をやらなかったんですよ。僕は特に石井輝男の組によくついたからね、少しずつ寄ったりとか、斜めに入ったりとか、そういうカットバックが身に付いてるんですよ。だから極力「ガラガラ回し」はしない。カットもフィルムと同じようにきっちりかける。そうすると、工にしろ、汐見くんにしろ、芝居が間延びせずに、きちんと緊張感を持って切り上げてくれるんですよ。役者というのはカットを延ばすと、いろんな細かいことをやって間を保たそうとするからね。三國連太郎さんなんか、カットかけなきゃ一時間でもやってるんじゃないかな(笑)。今回、最初のうちはそれで注意されたりもしたんですよ。「監督、フィルムと違ってもったいなくないですから、カットはもっと長くて大丈夫ですよ」と。でも、「違う違う。使わないカットは素早くカットをかけるんだ」と言ってね。月永くんも最後は「勉強になりました」と言ってくれました。
――主演の斎藤工さんと汐見ゆかりさんのたたずまいも画面にうまくはまって……。
内藤 僕と同じマンションに大石一男さんというパリコレの写真なんかを撮っているカメラマンがいるんだけど、彼が「今年のカリフォルニア・ファッションは70年代に回帰する」と言うのね。それで工と汐見くんに、ヒロミチ・ナカノの原色に近い色の服を着せてみたの。70年代というか、現代的ではないような服を何着か見つくろってもらって。これはたまたまなんだけど、工は以前、ヒロミチ・ナカノのファッションモデルをやっていたんだよね。それで工のは実際に着ていた服のなかから選んでもらって、汐見くんのはヒロミチ・ナカノから新しく提供してもらいました。衣裳のタイアップというのは初めてやったけれど、どんな衣裳を着せても、同じブランドだからその人の個性を一貫してつくることができていいですね。
ファッションについてもデジタルの話と同じで、リアルに70年代の洋服を着せるのとはちょっと違うんですよ。今回撮影に入る前に、僕が70年代に演出したTVドラマ「腐蝕の構造」がDVD化されたので観直したんだけど、松田優作がパンタロンのジーンズをはいてるんだよね。うーん、これはちょっとなあ、と思ってね。70年代の洋服をリアルに再現すると薄汚くなるんだよね。当時はあれでよかったんだけど、ちょっといま観ると恥ずかしい。
そういうわけで、僕はこの映画では時代設定をあえて指定しないで「なんとなく昭和」という感じを出そうと考えたんです。観た人それぞれが自分にとっての「昭和」のイメージを思い描いてくれればいいな、と。
――たしかにこの映画に流れる空気感は、昭和でも現代でもない一種独特のものがありますね。
内藤 「昭和◯◯年」とクレジットを入れたほうがいいんじゃないか、という話はスタッフのあいだでもあったんですよ。でも、僕は具体的な年代を明示するのはなんかいやでね。どうしても入れるんだったら「ジャズエイジのころ」と入れようって言ったの。そうしたら「気障だからやめましょう」って却下されちゃったんだけど(笑)。
出演:斎藤工,汐見ゆかり,武藤昭平(勝手にしやがれ),奥瀬繁,井端珠里,マービン・レノアー,坪内祐三,杉作J太郎,島田陽子(特別出演),梅宮辰夫(特別出演)
監督:内藤誠 企画:伊藤彰彦 原作:色川武大「明日泣く」(講談社文芸文庫「小さな部屋・明日泣く」所収)
エグゼクティブ・プロデューサー:坂本雅司 企画協力:奥村健 プロデューサー:大野敦子,古賀奏一郎 脚本:伊藤彰彦,内藤研
音楽:渋谷毅 撮影:月永雄太 録音:高田伸也 編集:冨永昌敬 美術:大藤邦康 ヘアメイク:橋本申二
スタイリスト:小磯和代 助監督:菊地健雄 制作担当:吉川久岳
製作:プレジュール,シネグリーオ 配給・宣伝:ブラウニー (C)2011プレジュール / シネグリーオ
2011年11月19日(土)より、渋谷ユーロスペースほか全国順次公開
- 出演:島田陽子, 梶芽衣子, 篠田三郎, 岡田裕介, 山形勲
- 発売日:2010/06/21
- おすすめ度:
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主なキャスト / スタッフ
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