マリアンネ・ゼーゲブレヒト (女優)
映画「バチカンで逢いましょう」について
2014年4月26日(土)より、新宿武蔵野館にてGWロードショー
『バグダット・カフェ』で知られる マリアンネ・ゼーゲブレヒトの久しぶりの主演映画が日本でも公開される。老年版「ローマの休日」とも言える娯楽映画だ。来日したマリアンネ・ゼーゲブレヒトにインタビューしてきた。(取材:わたなべりんたろう)
<あらすじ> マルガレーテ(マリアンネ・ゼーゲブレヒト)は長年連れ添った夫ロイズルの葬儀を済ませ、人生の新たな一歩を踏み出そうとしていた。マルガレーテは40年前に夫とドイツ南東部の州バイエルンからカナダの広大なビッグベア・クリークに移住し、自然に囲まれた住み慣れた我が家で幸せに暮らしていた。長女マリーは母が遠く離れた一軒家で一人暮らしをするのが心配で、両親の家を売却し、自分たちの住む都市部のホワイトホースへ呼び寄せることにした。マルガレーテはマリーの家で一緒に暮らせるものと思っていたが、マリーは彼女に新設の老人ホームを勧め、みんなで行くと約束をしていたローマ旅行もうやむやにされてしまう。敬虔なカソリックの信者であるマルガレーテには、どうしてもローマ法王(教皇)の前で懺悔したいことがあったのだ。ある朝、マルガレーテは置手紙を残して、単身ローマに旅立った……
――『バチカンで逢いましょう』、とても楽しくて、元気が出る映画でした。ジャンカルロ・ジャンニーニさんとの共演はいかがでしたか?
マリアンネ ありがとうございます。最初に監督と話をした時に、ロレンツォの役をジャンカルロ・ジャンニーニさんにオファーしたらどうかと提案したのはわたしだったんです。ただその頃彼は『007』に出演されていたので、とても受けてくださる状況ではないだろうと半ばあきらめていたんが、資料を見てくださったジャンニーニさんが「僕は『バグダッド・カフェ』が大好きで、マリアンネ・ゼーゲブレヒトのファンなんだ」と言ってくださり出演に繋がりました。わたしは、リナ・ウェルトミューラー監督の『愛とアナーキーの映画』(73年)を見て以来、ずっと彼を尊敬していましたので、共演できたことを本当にうれしく思っています。実際に共演した彼は、本当に素晴らしい俳優で楽しい時間を過ごすことが出来ました。
――確かに、お二人の呼吸がピッタリとあっていた雰囲気が伝わってくるようでした。
マリアンネ わたしがドイツ語、彼がイタリア語で話していましたが、やり取りに苦労したことはなかったですね(笑)。
――日本で公開された作品としては、『ロザリー・ゴーズ・ショッピング』(89)以来の主演作品ですね。その後『ローズ家の戦争』(89)に出演されていますが、ブランクにはどんな理由があったのでしょうか?
マリアンネ 『バグダッド・カフェ』(87年)が世界的にヒットしましたが、これはまさに運命というか天が与えてくれた映画だと思っています。『ロザリー・ゴーズ・ショッピング』、『ローズ家の戦争』と続けて成功した作品に出演できたことも本当にうれしく思っています。でも国際的に注目されることで、必ずしも自分の思いの通りにできる訳ではありませんでした。ある広告会社が、ティッシュペーパーの宣伝に『バグダッド・カフェ』を買いたいという話がありました。私は、魂がこもった大切な映画を切り売りするなんて許せなかったんです。それに、世界中を“ティシュペーパーおばさん”になって駆け巡りたくはなかったので、絶対に嫌だと拒んだんです。多額のお金が入ると期待していたエージェントは激高して「何様だと思っているんだ」と関係が悪くなりました。そういうこともあって、一度身を引こうと思ったんです。それからは、興味のあった医療分野に関する本を書いたり、ハーブを育てたりしながら、年に1回テレビ映画に出演しました。これは脚本の段階から関われるという幸運なものでしたし、独立系の映画や若い監督の作品に出るなど、自分のペースで映像の仕事と関わっていました。
――その間にもオファーはあったのではないですか。
マリアンネ 確かに色々な作品へのオファーはありました。アーノルド・シュワルツェネッガー主演『エンド・オブ・デイズ』(99年)、アルフォンソ・キュアロン監督の『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』(04年)、『トゥモロー・ワールド』(06年)などです。いずれも十分なやり取りが叶わなかったり、役柄がどうしても納得できなかったのでお断りしました。オファーをくださった方は、「マリアンネ、これはフィクションなんだからそんな深く考えずにやってくれていいんだよ」と言ってくれましたが、私にとって映画の中でやることは「本当のこと」なので、フィクションだからと言い訳をするようなことはできません。自分のやることには、責任を持っていたいと思います。
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