沖縄好きを公言し何度も訪れる人たちを、私は不思議な気持ちで眺めていた。そのくせ、4年前に初めて行って見事にはまった。以来、沖縄本島や八重山の離島に年に1度は行っている。こんなに繰り返し旅行に行く場所は他にない。今ではすっかり「なぜ沖縄が好きなの?」と聞かれる立場だ。数時間飛行機に乗るだけで行くことができる異文化世界、しかも美味しくて美しくてあたたかい。私がぼんやりしていたら、それは沖縄のことを考えていると思ってくださってほぼ間違いない。これを書いている今も、軟骨そばが食べたくて仕方ないのだ。
つい先日も、本島と近くの島に行った。梅雨の終わり頃で時折激しい雨が降ったけれど、那覇の街は何となく楽しげに見えた。それは、もうすぐやってくる本格的な夏の気配のせいでもあったろうけれど、あちこちに貼られたポスターのせいでもあったと思う。中央に愛らしい顔がどーんと載っている賑やかなポスターで、祭り気分が周りにもにじみ出ていた。近寄ってみると映画のポスターで、中江裕司監督の最新作「さんかく山のマジルー」とある。おかしいな。中江裕司監督の最新作は確か「真夏の夜の夢」だったはず。上映前にタイトルが変わったのか?
と思っていたら「真夏の夜の夢」(09)は、沖縄では沖縄地方での配給権を買い取った中江監督により「さんかく山のマジルー」とタイトルを変えて上映されるという。“マジルー”は沖縄では懐かしさを感じさせる古い名前で、“さんかく山”は映画のロケ地・伊是名島にある目印の山らしい。「さんかく山のマジルー」は、沖縄度100%のタイトルというわけだ。
20年以上前に京都から沖縄に移住した中江監督の作品は、どれも沖縄が舞台になっている。たくさんの人を沖縄のトリコにした「ナビィの恋」(99)ではおばあの激しい恋心とおじいの切ない愛、「ホテル・ハイビスカス」(02)ではわんぱくな少女・美恵子の冒険いっぱいの毎日、「恋しくて」(07)では親子の愛情や初恋が描かれていた。それらはもちろん、沖縄だからこそ生まれた物語に違いない。けれど沖縄そのものは中心に据えられていなかったことを、「真夏の夜の夢」を見て気付かされた。この映画を「さんかく山のマジルー」というタイトルで見ることのできた沖縄の人たちが、私はとてもうらやましい。だってこの映画には、中江監督の作品の中でいちばん沖縄の心のようなものを感じるのだ。
都会での不倫の恋愛に疲れたゆり子(柴本幸)は、かつておばあと暮らした沖縄の離島・世嘉冨島に戻ってきた。ちょうど島は数日後に村長の息子の結婚式を控え、準備の真っ最中。けれどこれは政略結婚で、村長は過疎が進む島のリゾート化を目論んでいた。その上、本土からはゆり子を追って恋人が、恋人を追って彼の妻までやってきて大騒ぎに。そんな時、ゆり子は幼い頃出会ったキジムン(沖縄でいう精霊のこと)・マジルー(蔵下穂波)と再会する。島のこれからは、そしてゆり子の恋はどうなってしまうのか?
タイトルから分かるように、物語はシェイクスピアの名作が下敷きだ。特に前半のゆり子と恋人たちの騒動や結婚式の顛末は原作を思わせる。沖縄らしい大らかさと朗らかな恋愛観、中江監督のファンタジックな演出が、16世紀イギリスの祝祭劇に意外にも合っているようだ。ただこのあたりは演出や演技がかなりドタバタしていて、私はこの映画が好きなのだが、それでも見ていて少し困ってしまった。説明不足や辻褄合わせなどものともしないざっくりとした話運びにも、楽しいけれど正直に言えば戸惑った。もともと原作が遊び心のある戯曲であることを考えれば、恐らく意図的なものだろう。物語の中で上演される伝統的な沖縄芝居が劇中劇にも関わらずかなり面白くて達者だったので、余計そう思えてしまったのかもしれない。ただ、この部分だけで映画全体が評価されてしまわないか心配だ。それはちょっと待ってほしい。この映画で特に見るべきなのは、原作から離れたオリジナル色が強い部分、後半のゆり子とマジルーの姿なのだから。
沖縄を守るキジムンは、人間に忘れられると消えてしまうという。過疎が進む島ではいつしか誰もがその存在を忘れていき、マジルーは島に残った最後のキジムンとなってしまった。ドタバタの末に住人たちが船でどこかへ去った後、ゆり子とマジルーは島で二人だけの時間を過ごす。どこまでも月が追いかけてくる海辺の夜、さんかく山の頂上で眠る昼。後半で描かれるのは、キジムンと人間がこうして生きていければいいのにと思わされるひどく幸福な時だ。
けれど、それは長く続かない。マジルーは人々が再びこの島に戻って来るまで千年でも待つというが、人間であるゆり子はやがて年老いて死んでしまう。それに気付いたマジルーは、ある決意をする。ラスト間際に語られるマジルーの科白は本当に素敵だ。誰かが去り何かが失われていく沖縄の厳しい現実、でも信じていればキジムンは近くにいてくれるという大きな優しさなどなどが、短い言葉に詰まっている。そこにはキジムンと暮らしキジムンに守られている沖縄の、奥深いところにある心のようなものがにじんでいるのだ。ゆり子とマジルーの“人間とキジムン”の関係を通じて見えてくるのは、“沖縄と本土” “沖縄と人々”の関係だ。そこにある受け継がれてきた伝統と目の前の現実と未来への希望が、ゆり子とマジルーに託され描かれている。「真夏の夜の夢」の核心は、ここにあるのだ。
キジムンと人間の関係を通じて沖縄を描くという点で、「真夏の夜の夢」は同じ伊是名島で撮影された中江監督の商業映画デビュー作、オムニバス映画「パイナップルツアーズ」(92)の中の一編「春子とヒデヨシ」に近いかも知れない。「春子とヒデヨシ」は本土からやってきた男ヒデヨシと島の娘春子の結婚から出産までの顛末を描いたものだが、そこから浮かび上がるのは沖縄の風習や恋愛事情、日本人(「春子とヒデヨシ」では本土に住む人をあえてこう表現する)と沖縄人の関係なのだが、コメディという体裁をとっているもののそこに描かれた“沖縄”は少し苦みばしっていた。17年後につくられた「真夏の夜の夢」は純然たるコメディの骨組みの中で、本土と沖縄という二項対立ではなく、より大きく包み込むような存在として沖縄が描かれている。ここには「パイナップルツアーズ」以来の中江監督の、あるいは沖縄の変化が現れているのかもしれない。
最後になったけれど、この映画でも沖縄の風景は本当に美しい。海の透明な青さ、色鮮やかな花々、月明かりに照らされた石垣、さんかく山から眺める絶景。なんといっても映画冒頭に登場する、画面いっぱいに広がったガジュマルの木は神々しく圧巻だ。その迫力は、ぜひ大きなスクリーンで見てほしいと思う。
また、中江監督作品のファンにとっては「ホテル・ハイビスカス」で美恵子を演じた蔵下穂波の7年ぶりとなる映画出演も嬉しい。沖縄で貼られていたポスターの中央の顔は彼女なのだ。前作の実績とは関係なくオーディションでマジルー役を勝ち取ったという彼女は、いたずらで愛らしいキジムンそのものになっている。彼女がゆり子の名を呼ぶ優しい言葉の響きにはキジムンの人間への愛情すら感じさせ、マジルーに守られているゆり子がうらやましく思えてしまった。
エンドロールでは八重山民謡“弥勒節”を流し見る人の幸せをも祈ってくれる「真夏の夜の夢」は、またたくさんの人を沖縄に魅入らせてしまうはずだ。私は私で、いつか伊是名島に行こうと心に決めている。果たしてさんかく山にマジルーはいるだろうか?
(2009.7.22)
真夏の夜の夢 2009年 日本
出演:柴本幸,蔵下穂波,平良とみ,平良進,和田聰宏,中村優子,吉田妙子,親泊良子,照屋政雄,玉城満,普久原明,津波信一,川満聡,島袋寛之
監督:中江裕司 脚本:中江素子/中江裕司 撮影:髙間賢治(JSC) 美術:中岡陽子
原作:W・シェイクスピア エンディングテーマ:藤澤ノリマサ「愛の奇跡」(ドリーミュージック・)
2009年/35mm/カラー/ヴィスタ/DTSステレオ/105分
配給:オフィス・シロウズ、シネカノン、パナリ本舗 (C)2009「真夏の夜の夢」パートナーズ
7月25日(土)より、シネカノン有楽町2丁目、
シネマート新宿ほか全国ロードショー
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