筆者が小学生だった頃、近所にコブラというあだ名の友達が住んでいた。
顔がアトピーだらけでコブラのような皮膚になっていたからコブラというあだ名がついた。コブラのお父さんは一度だけ見たことがある。
ほとんど家にいない人だったのだと思う。お母さんは頭をボウズに剃り上げており異様に迫力があったが、
いつも早口でお父さんのことを罵る言葉を口にしていた。そのお母さんもしばらくすると見なくなり、
コブラの家はお婆ちゃんとコブラとコブラの弟だけになった。コブラの家は我々の溜まり場になった。出入り自由、
土足オッケーのコブラの家は実に汚かった。この映画の主人公明の爪の黒ずみを見て、強烈にコブラを思い出した。
冷蔵庫の汚れ方やカーテンの汚さもコブラの家と同じだった。
我々にとってコブラの家はユートピアだった。明のようにコブラは家で自由自在に振舞う我々を見つめているだけだった。
我々は小学生ながらもコブラの家がとても貧乏なことに気付いており、家からハンバーグを持ってきてコブラにやる心の優しい奴もいた。
絶対にコブラを仲間外れにはしなかった。何かあると必ずコブラを誘っていた。
ある日コブラの弟が死んで、葬式があった。普段はコブラのことを毛嫌いしていた近所のおばちゃん連中たちが泣いていた。
コブラとは遊んじゃダメだと大っぴらに言っていたおばさんもその中にはいた。
どこから戻ってきたのか髪の伸びたお母さんも人目をはばからず泣き喚いていた。そしてコブラはどこかへ引っ越して行った。
隣に座っていたおばちゃんが映画が始まって30分ほどで泣き出した有り様に、いまさら強烈に怒りを感じて冷静に観ることができなかったが、
つまりこのおばちゃんの涙というのはコブラの葬式で泣いていた近所のおばちゃん連中の涙であり、
映画館で意外に多く聞こえてきたすすり泣きのほとんどがこの類いの涙なんだろうかと妄想的怒りが膨らんできて、
もちろんコブラとこの映画の子供たちの状況はだいぶ違うのは分かっているのだが、
(学校にも通っていないこの子たちは社会的に存在すらしていないも同然なのだから)「この映画を観て泣くやつは許せネェ」
などと大きなお世話なことばかり思っていた。
だが、この映画はそんな筆者の陳腐な怒りなど、当り前だがカル~く飛び越えていた。
無責任な大人に対する怒りや断罪などこの映画には微塵も感じなかった。
それどころかYOU扮する母親もコンビニの店長にも愛情すら感じたくらいだ。
あとはひたすらこの状況の中で生きて行く子供たちの生活が描かれる。明はまるで「ホタルの墓」の兄の現代版のように弟や妹たちのために動く。
その動きっぷりに強烈に胸が締め付けられた。一人の妹の兄である筆者だが、まず自分ならここまでやれないだろう。
四人で生活したいからと大人を拒否することなど有り得ないだろう。
子供たちの自然な表情や仕草をドキュメンタリータッチで捉えただけではない、確固たる何かがこの映画には溢れていた。
だから陳腐で無責任ではあるが筆者は映画の中の子供たちに「頑張れ!」と思いながらも、「そーゆーあんたって誰よ」
と映画の端々が語りかけてくるのであり、砂糖漬けのようにアマアマな自分を恥ずかしく思わされてしまう。誰もが薄々とは分かりながら、
フタをしている自分と向き合わされるのである。
映画を観終わって数日たっても、あの柳楽優弥の黒い大きな目がいつもどこかで見ていそうな気がするのである。
子供たちは主演の柳楽優弥以外も素晴らしい。これは当然監督の手腕なのだろうが、個人的には北浦愛の眼差しが、
幼い頃に見て好きになった小栗康平の「泥の川」に出ていた名前も知らない女の子に似ているような気がして印象に残った。
(2004.8.21)