萩生田 宏治(映画監督)
萩生田 宏治(映画監督)
萩生田宏治。1967年埼玉県生まれ。山本政志監督や林海像監督、河瀬直美監督らの助監督を務める。93年、『君が元気でやっていてくれると嬉しい』でデビュー。監督第二作『楽園』(98)で00年芸術祭テレビドラマ部門優秀賞を受賞。その後、『クロエ』(01/利重剛監督)の共同脚本や、「私立探偵濱マイク」の一編、「どこまでも遠くへ」の演出を手がけるなど、テレビ、映画、ラジオドラマ等で幅広く活動中。
萩生田宏治監督の『帰郷』に接した者は、そのあまりに慎ましい映画の佇まいに驚きを覚えるだろう。映画がこれほどささやかな物語を紡ぐことのできる表現媒体であったことを、 我々はいつのまにか忘れてしまっているのではないか。錚々たる人気スターでキャストを固め、派手な物語を展開させ、キャメラをひっきりなしに動かし、始終音楽を垂れ流す映画が、ハリウッド映画だけでなく邦画にも増えてきた。『帰郷』はそうした趨勢に気負いなく逆行している映画だ。小さな物語、落ち着き払った演技、 簡潔な演出と緊密な連繋が窺えるスタッフワーク――。この映画には、作りたいものを誠実に作ったという、 確かな手ごたえが感じられる。映画の穏やかさそのままの語り口で聞き手を和ませる、萩生田監督に話を伺った。
映画『帰郷』ができるまで母親の結婚式のために帰郷したサラリーマンの晴男(西島秀俊)は、かつて一度だけ関係をもった女、深雪(片岡礼子)と偶然再会。ふたたび一夜限りの関係を結んでしまう。翌朝、深雪は一人娘のチハル(守山玲愛)が晴男の子供だと告げ、姿をくらます。本当に血の繋がった親子なのか、それとも深雪の狂言なのか。真相が分からないまま、残された晴男とチハルは深雪を探すための小さな旅に出る。初めはお互いに距離感のあった二人だが、やがて少しずつ心を開き始め、打ち解けていく――。
――率直な感想として、地味だけれどとても誠実な映画だな、と思いました。『帰郷』の企画が立ち上がった経緯を教えてください。
萩生田 『楽園』の公開が終わった時に、 今回プロデューサを務めてくださった磯見俊裕さんと、次の映画の企画を話し合いました。磯見さんから 「自分の人生の身の丈にあったものを作ったらええんちゃうか?」というお言葉を頂き、反応として僕の中から出てきたものが、大人と子供の関わりをモチーフにした物語だったんです。
――監督にお子さんは?
萩生田 二人います。その頃、幼い子供を相手にしていると、自分を見失ってコントロールがきかなくなる場面に多々出くわした。怒って家具を壊してしまったり、隣のおばさんが「大丈夫?」と心配して駆けつけたり……。ニュースでよく取り上げられる、幼児虐待をする親の気持ちというのが、理解できる気がしたんです。もちろん、理解することと本当に手を出すことは全然別ですよ。僕はぶったりしませんから(笑)。観念的に言うと、他者である子供と対峙する中で、かつてなかった感情を自分の中に発見していったということです。仕事の打ち合わせをしているときなんかに、ふと「今おれが保育園に迎えに行かなかったらどうなるだろう……」みたいなことを考える。で、すぐに「俺はなんてバカな想像をしたんだ!」とすごく後悔する(笑)。そんなこともあって、大人と子供の関係を描こうと思ったことが始まりです。
――映画の中では、チハルが晴男の子供であるとは明示されず、「子供かもしれない」とワンクッション置いて物語を展開させています。はじめから血の繋がった親子の話にしようとは考えなかったのですか?
「若い男が父親になる、という設定のプロットはいくつも書きました。台本に仕上げたものも二本くらいあったんですけど、磯見さんに見せると「何かちがう」と。あの方は何がちがうとは言わなくて、「あかんなあ、お前……」という感じなんです。尊敬している方なので、「あかん」理由はこっちで見つけろということだと思って、何度も書き直しました。やがて行き詰ってしまって、山形のとあるホテルに三日間、一人でこもりました。その中で出てきたのが、男と子供が親子ではないかもしれない、という『帰郷』の元となったプロットです。そのとき初めて磯見さんが「これええんちゃうか」と。後付けですけど、その設定だからこそ、親と子供の繋がりというのは、実は非常に不安定なものである、ということが言えたのかな、と思います。
――それは具体的にどういうことでしょう?
萩生田 ふだん思われているよりも、家族というものは不自然な共同体かもしれない。産んでもらったから、とか、小さいときから育ててもらったから、という理由で「家族」が成立つのではなく、個々人が「繋がりたい」という意志があるから成立しているんじゃないかと。離れようと思えば離れられるし、逆に血の繋がりが無くても、一緒にいたいと願えば家族でいられるかもしれないということです。
――そうした、ある種"不安定"な家族観に、監督ご自身の家庭環境は反映されていると思いますか?
萩生田 意識して反映させたということはないです。一緒に脚本を書いてくださった利重剛さんの世界観やドラマツルギーの影響も大きいですし。そのこととは別に、僕自身の話をさせていただければ、両親がいて兄貴がいて弟がいるという、ごく普通の家庭に育ちました。映画に反映されたかどうかは分かりませんが、僕が中学二年生のときに親父が病気をして、いわゆる身体障害者になってしまった。そのことで多少、それまでの家族の像が揺らいだということはあるかもしれません。しかし不思議なことに、その当時の記憶がすっぽりと抜けているんです。病院で僕が親父に付き添いすると、尿瓶におしっこしないで、トイレまで連れていけと言ったとか(笑)、そんな瑣末なことを断片的には覚えている。あとは新聞配達やったなあとか、自転車旅行をしたなあとか、自分のことばかり(笑)。
――この映画でいちばん印象的なのは、晴男に肩車してもらったチハルが夕空に両手を広げて、それがまるで天使の翼のように見えるという、美しいショットです。あのように、映画の「核」となりうるショットはどの段階で考えつくものなのですか?
萩生田 うーん、なんか全部喋っちゃうようで恥ずかしいんですけど(笑)。 晴男が子供を肩車するイメージは、どのプロットにもありました。そこを機軸にシナリオを作ったと言っても過言ではないです。そのくせ、クランクインしてからもどう撮ればいいかまったく分からなくて、撮影中はけっこう悩みました。子役の守山玲愛は割ときっちりした子供なんですよ。例えばシナリオで6ページあるような場合でも、相手の台詞も全部覚えて現場にくる。それで、「いい加減に肩車のシーンを撮らなきゃ」と思っていたある朝、彼女が遅刻してくれた。なんかあたふたしてるんです。それで「あ、こりゃいいや」と思って、できるだけ自然に、テストもなしで西島さんに肩車をしてもらったら、いきなり場面として成立しちゃった――。僕も見ていてびっくりしました。
――それだけ自然に撮れたというのは、西島さんと守山さんお二人の関係があってこそ、ということですか。
萩生田 そう思います。西島さんはキャメラの外でも、玲愛とずーっと一緒にいてくれました。彼女を子供扱いしないんです。「扱う」という、いわば相手をコントロールするんじゃなくて、同じ目線で「いる」という感じです。だから本気で言い争いもするし、喧嘩だってする。それで本当に関係がシリアスになってしまったときは、バトミントンして仲直り(笑)。映画の中でも二人の関係が軸となっているのですが、それ以上に、キャメラの外でも西島さんと玲愛がお互いにきちんと関係を作っていて、挙句、玲愛が本気で西島さんを好きになっちゃったりとか(笑)。そういうのは、見ていて本当に面白かったですね。
出演者についてどこにでもいそうな平凡な男、晴男を演じた西島秀俊。二年ぶりのスクリーン復帰となり、以前にも増して濃厚な色香を漂わす片岡礼子。天然素材の純粋な輝きを放つ守山玲愛。それから光石研、相築あき子、吉行和子といった脇の役者陣も、信頼するに足る、落ち着き払った演技を披露している。役者陣の好演も本作の大きな魅力だ。
――西島秀俊さんについてお伺いします。『帰郷』の前に見たのが『カナリア』(塩田明彦)だったのですが、同じ人間なのになんて違うんだろうと。カルト教団に属していた狂気の男と、「こういう奴いるよなあ」と思わせる平々凡々としたサラリーマンを、見た目は全然変えてないのに、きっぱりと演じ分けていて、驚きました。撮影に入る前に相当ディスカッションを重ねたのですか?
萩生田 "父親とは何か"とか、"家族とは何か"みたいな、映画に直接切り込む話は一切してないです。雑談ばっかり。「さっき玲愛に耳にガム入れられた」とか、「ホント、子供ってサルですね」なんて(笑)。演出に関しても、僕はほとんど何も言ってないです。動きや前後のシーンとの繋がりといった、各場面の必要最低限の情報は説明しましたけど、人物の心理や感情の説明はしませんでした。西島さんは一緒にお芝居する相手のことを、全部受け入れる方なんですね。一方に片岡さんがいて、一方に大ベテランの吉行さんがいる。子役の玲愛が相手でも、やっぱりすべて受け入れる。それだけでなくて、スーパーの店員さんみたいな、素人さんまで相手しなければいけない。だから西島さんは現場を通して演技異種格闘技戦に参戦しているみたいな(笑)。本当にニュートラルな方なんです。どんな相手でも受け入れて、柔軟に対応してしまう。
――この映画は、片岡礼子さん二年ぶりのスクリーン復帰作でもあります。片岡さんを起用した理由は?
萩生田 「片岡さんの名前は、以前ラジオドラマでご一緒した利重さんから名前が挙がりました。 名前を聞いた瞬間に、もう「それしかない!」という感じで。利重さんと一緒に、片岡さんが住んでらっしゃる松山の家まで会いに行ったんです。挨拶して台本の話をして、まあ、僕という人間を見せに行ったという感じで。
――色気といい、存在感といい、演技のリアリティといい、本当に見事で感嘆しました。
萩生田 ブランクをまるで感じさせない演技でしたね。深雪という役については、台本にあった人物像よりも、ずっとご自分の側に引き寄せて演じてくださいました。自分だったらこうはしないとか、これは言えないとか。たとえばラストに深雪が晴男に色々と言う場面でも、こんな無神経な言い方はできないとか――。片岡さんの場合は、自分と深雪が一体になれる部分を探すところから現場が始まっていくんです。「まず動いてみましょうか」なんて言って始まる通常の手順じゃなく、「深雪はどう動けるか」という話し合いから現場が始まるという。疑問点や課題を一つ一つ明確に与えてくれたので、僕としてはずいぶん助かりました。
――八年前に一度だけ体を交わした男女が、居酒屋の暗がりで唇を寄せるまでの一連の描写が実にリアルで、思わず息を飲んでしまいました。あの一連の場面では、どのような演出をされたのですか?
萩生田 先ほど説明したような、片岡さんを中心として、どうやったら深雪がキスに至れるか、ということを試行錯誤しながら探っていきました。西島さんにも入ってもらって、そうしたらだんだんスタッフもリハーサル態勢になってきて――。ここで電気が消えたらいいね、なんて言って明かりを落としてもらったりとか。伊藤さん(伊藤寛、映像担当)がそれにあわせて照明を作ってくれて。それで片岡さんも安心して世界に入っていけたと思います。
萩生田 お二人のしっかりした演技と、現場のスタッフワークあってこそですけれども、ポストプロダクション段階で菊地さん(菊地信之、整音効果)に「音」で盛り上げてもらったことも大きいと思います。あの居酒屋の場面は、お客さんがいるカウンターの中と、晴男と深雪がしゃがんだところと、炊事場にいくところとでは、ベースノイズが変えてあるんです。店の中の冷蔵庫が出す、低いブーンって音を微妙に変えてみたりとか、流しの水の音がひそかに聞こえてきたりとか。冷蔵庫の音も何種類もあって、その音の回転数を変えたりとか(笑)。傍から見ていると「何してるのか分かんないよ!」って感じなんですけど、仕上がってみると深く納得できちゃう。
――登場人物は少ないのですが、一人一人の存在感が前面に押し出された映画でした。
萩生田 キャスティングが決まった時点で、映画が豊かになることはある程度分かっているわけです。信頼している役者さんたちが出てくださるわけですから。そこに、僕という監督のイメージを押し付けていくのではなく、役作りをしてこられた役者さんをいかに「見る」かということが、今回の自分の課題でした。毎朝、早起きしてカット割するんですけど、いざ現場に入って役者さんの動きを見ると、「ああ、全然こっちのほうがいい」なんてことがしょっちゅう(笑)。演出家やキャメラマンよりも、役者がすべてに先立つという感じが僕は好きです。いいお芝居があれば、それがいちばんよく見える位置にキャメラを入れればいいわけですから。それに伊藤さんは諏訪敦彦(『M/OTHER』)さんと緒方明(『いつか読書する日』)さんのテレビドキュメンタリーのキャメラも手がけている方です。なので、現場での変更に機敏に対応できちゃう。こうした映画作りにおいて、伊藤さんにはすごく助けられました」
――そうした演出スタイルを確立する上で、影響を受けた映画監督は?
萩生田 スタイルと呼べるものは無いに等しいです。素材と格闘していくなかでスタイルができていくと言うか。編集段階で、あ、こういうスタイルになるのか、という感じで。ただ、こんなこというと生意気ですけど、諏訪敦彦さんや緒方明さんの映画制作の取り組み方は、やっぱり好きです。 諏訪さんや緒方さんは、ある時期から映画の助監督を辞めて、テレビのドキュメンタリーを撮ったりして、そのなかで自分の撮り方とか自分の映像とかを考えていった先輩たちです。そんなお二人を見て、お二人が辿った経歴的なところは僕も参考にしました。
――萩生田監督もドキュメンタリー作品を手がけていますが、フィクションとノンフィクションでは何か違いのようなものはありますか?
萩生田 被写体と格闘しながら撮影が進むという意味では、ノンフィクションもフィクションもそう変わらないという気がします。いい場面を撮るためには、ドキュメンタリーでも相手を意図的に追い込んだり、何か仕掛けたりして、自分が「本当」だと思っているその人の像を作るわけですから。
――最後に、フルタイムで好きな映画を三本お願いします。
萩生田 えー、どうしようかな。なるべく、多岐にわたったほうがいいな……。ウィリアム・ワイラー監督の『月光の女』と、侯孝賢監督の『恋恋風塵』と、最近観ていちばん面白かった映画として、『チーズとうじ虫』(加藤治代監督)ですね。『チーズとうじ虫』は佐藤真さん(『阿賀の記録』)が教えている映画学校のゼミの卒業生が作ったドキュメンタリー作品です。監督のお母さんがガンで亡くなる過程を撮っているんですけど、闘病記録じゃなくて、お母さんの「まなざし」をずっと撮っているという作品。これは素晴らしかった。『月光の女』はウィリアム・ワイラーが、まだ「フィルム・ ノワール」なんて呼称がない時代に作った映画で、とにかく全然無駄なショットがない。主人公の男が、騙されるのを承知でベティ・デイビスの頼みを聞き入れるという場面があるんですが、それをわずか3カットのカットバックで描いてしまっている。ベティ・デイビスなめの弁護士がいて、ベティ・デイビスのバストショットがあって、ベティ・デイビスなめの弁護士に戻る。たったそれだけなのに、「よし、やる」 という男の気持ちが十分に表現されている。キャメラのサイズと切り返しだけで映画はOKという感じで、すげえなと思いました。『恋恋風塵』は号泣した映画です。作り手がどこまで映画の登場人物の人生に手を伸ばせるかといったところの、その"わきまえ方"。それが物凄く好きですね。
――ありがとうございました。
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