あした晴れるか(1960年・日活) |
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■スタッフ |
■キャスト |
極論を承知で言えば、石原裕次郎と芦川いづみの最高傑作。私事で恐縮だが、私がたちどころにチャンユー信者とサユリストならぬ
「イズミスト」になってしまった映画。喜劇も存分にこなす両人の役者としての懐の深さに感嘆!
裕次郎は新進気鋭のコマーシャルフォトグラファーにして実家のやっちゃ場で競り市を仕切っているいなせな若者。この文武両道ではないが、
華やかな職業と底辺労働の掛け持ちに私は憧れる。また私事で恐縮だが、
私が普段は雑誌や演劇の仕事をしながら時々地方の旅館やペンションを手伝いに行くのも、本作の裕次郎に大いに触発されている。
オープニングのタイトルロール、黛敏郎のモダンなジャズの調べ。野菜を出荷するトラックの荷台で作業着からスーツに着替えるチャンユー。
流れる高度経済成長さなかの東京の街並み(合成ではあるが)。最高に決まっている!
芦川いづみはまさにヤマトナデシコ七変幻! またまた私事で恐縮だが、本作で彼女が演じたような一見完全無欠のキャリアウーマンだが、
本当はものすごい嫉妬癖の世話女房タイプが私の理想の女性像であり、
仕事上で意地を張り合いながらも次第にお互いを認めて惹かれ合っていくのが理想の恋愛観だ。裕次郎と芦川の掛け合いは、
「もはや戦後ではない」若い男女関係を反映しているのだろうか?
「清純派」という形容がしばしば使われる芦川だが、それはあまりにも短絡的だと私は常々思っている。誰かがどこかで「和製オードリー」
と言っていたが、あながちそれは的はずれではないと思う。本作しかり石坂洋次郎原作の一連の作品しかり、
彼女が演じたあばずれと淑女が紙一重の女性像は、『ローマの休日』『麗しのサブリナ』『パリの恋人』『ティファニーで朝食を』
などのオードリーに、ぴったりとは言わないまでも意外と重なり合うのではないか?
トヨタ自動車がスポンサーになった出版社の企画「東京新発見」で、二人は同社の新型車に乗って取材の東京行脚に出る。
広告時代到来の当時らしいシークエンスだ。編集者の芦川は大都会東京を象徴するスポットでの撮影を提案するが、
作家の裕次郎はことごとくそれを蹴って、佃島の漁村や野犬の収監所(どこだろう?)、ゴミの集積場(おそらく現在の夢の島だろう)
で廃品漁りをするスカベンジャーの子供たちなど、いわば東京の裏の顔を撮り続ける。
それがトヨタスポンサードのコマーシャルフォトになるのは現実ではまずあり得ない
(何しろ小池百合子が環境大臣になって辣腕を振るう今日でも、愛知万博なる世紀の環境破壊イベントの仕掛け人なのだから)。しかし、
新型車で首都高を走らせながら下町でシャッターを切るモンタージュと合わせ、
そのエピソードは映画におけるちょっとした文明批評としてのスパイスが利いている。
脇役陣も実に充実している。クライマックスの乱闘は中平・裕次郎コンビの面目躍如だろう。
気になることが二つ。「若い川の流れ」(59年・田坂具隆監督)での川地民夫と北原三枝と同じく、 本作でも当時で言う「グレンタイ」の弟を持つ姉(芦川)の気苦労が描かれているが、そのような姉弟関係が当時の風潮としてあったのだろうか? それと、裕次郎が東野英治郎の花屋の親父を被写体にしたコマーシャルフォトを、被写体本人には無許可で発表するのだが、 当時はこういうことが容認されていたのだろうか? そうだとしたら、 実話雑誌や写真週刊誌の隠し撮り的誌面作りの先鞭とでも言えるのではないか? もちろん現在では、 肖像権ないしプライバシーの侵害で訴訟沙汰になるのは必至だ。ただし、それはコマーシャルフォトなど公共性の高い媒体に限っての話。 雑誌やインターネットでは今なお隠しごまかし撮りが常套手段。経験者は語る。チャンユーみたいになりたい…
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