今月の注目作
(2005 / 日本 / 北野武)
観る者を惑わすために仕掛けられたメビウス的迷宮

仙道 勇人

 社会的に成功していても、その業績や自己に対して否定的な考え方をしてしまう人がいる。 自分を評価してくれる人々を騙している、自分の業績など取るに足らないもので人々をペテンにかけていると自嘲気味にしか捉えられない。 このように自己像を過小評価してしまう心理は「インポスター現象」と呼ばれ、成功者にしばしば見られるという。 北野武監督がこのインポスター現象を抱えているのかどうかは分からないが、しかし、 自己像に対するある種の"揺らぎ"を抱え込んでいるのは間違いないところであるように思う。お笑い芸人として地歩を築きながら、今や監督、 司会者、俳優、作家、教授と、まさにそのタレントぶりを発揮している彼は、自身のそうした肩書きをある種の仮面と捉え、そこに居心地の悪さ、 ばつの悪さをどこかで感じ続けているのではないか。北野武監督第十二作目に当たる本作は、 彼が抱えているのかもしれない日常に対する居心地の悪さや他愛もない空想を、そのままフィルムに焼き付けたような極めてパーソナルな、 と同時に極めて奇妙な作品である。

 監督自身がスター「ビートたけし」とコンビニ店員「北野武」の二役をこなし、 それぞれの脳内に展開する夢や妄想世界が氾濫した本作の外見は、とにかく奇天烈だ。しかし、適当に恣意的に撮られているわけでは勿論なく、 編集に編集を重ねられた本作の作品構造そのものは割とシンプルである。それは「ビートたけし」の空想と「北野武」 の空想が相互反復を繰り返すというメビウス的構造である。これは比喩的な意味ではなく、本作は「ビートたけし」と「北野武」 という対極的な存在によって構成されていながらも、そのどちらもが裏にも表にもなっていないことを特徴としているからに他ならない。つまり、 本作には主体となるべきキャラクターそのものが存在しておらず、これが本作を殊更奇妙なものにしているのである。

 通常の作劇においては、登場人物の自我が主体として描かれることを前提にしている。しかし、 本作の特徴は主体となるべき自我が殆ど存在していないことにある。作品の冒頭で二人の「TAKESHI」 の肩書きが簡単に明示されるだけであり、以降は「ビートたけし」の華やかで奔放な日常や「北野武」の冴えない日常の断片が描かれはしても、 それはどこまでもスターやコンビニ店員(と言うか、売れない役者)という肩書きに対するステレオタイプの範疇を越えたものではない。これは 「北野武」が抱く「スター」というものに対するイメージと「ビートたけし」が抱く「コンビニ店員(売れない役者)」 のイメージがそのまま投影されているからである。つまり、本作は始まった瞬間から既に通常の作劇を拒絶した地点に立っているのだ。 そしてこのことは「ビートたけし」と「北野武」というキャラクターから、 主体となるべき独自性を剥奪していることを意味していると言っていいだろう。本作においては人物ではなく「スター」や 「コンビニ店員(売れない役者)」という肩書きそのものこそが真に主体的な意味を有しており、それが人物の全てを表している、 或いはそれ以外の全てが付帯的なものとして描かれているという意味において、肩書きこそが彼らの「自我」そのものなのである。

 であるならば、本作における「人物」とは受肉化したエスであり、 本作では無意識下にあるエスそのものが主体として描かれていると考えられないだろうか。即ち、「ビートたけし」が「北野武」 のエスの顕現であるように、「北野武」もまた「ビートたけし」のエスの顕現なのである。本作は二人の「TAKESHI」 が抱く夢や空想を相互発現しつつ反復していくという構図を基軸として、終わることのないメビウス的迷宮へと我々を迷い込ませる。 そこで描き出されるのはそれぞれのエスの内容、例えば「北野武」が抑圧している良い女を抱きたいとか、 上手くいかない現実に対する剥き出しの不快感であるとか、 火を噴きまくる銃器に象徴された破壊衝動であるといった無意識の混沌そのものであり、不合理極まりない世界である。 それゆえに本作がイメージの断片だけを繋ぎ合わせて、綱渡り的に進行させているような印象すら与えられる。

 勿論それは単なる印象であって、精密な編集作業を経た一個の作品である以上、 この作品が行き当たりばったりなわけではない。 かと言って(これが本作の不可解さを増す要因にもなっているのだが)不条理劇として成立しているわけでもない。 不条理劇とはそれによって条理の世界を異化する開放性を本質的に有しているものだが、この作品にはそうした開放性はなく、否、 寧ろそのような開放を端から拒否しており、どこまでいっても閉鎖され密閉された劇空間があるだけだからである。 そこには監督が日常的に感じているであろう感覚――例えば冒頭で「北野武」が不愉快そうな道化の格好をして登場するが、 これなどは監督がお笑い芸人としての自己像を直截的に表現しているようで実に興味深い―― を基調とした監督自身の脳内世界が広がっているだけであり、これはもうシュールレアリスムと呼ぶしかない。

 それだけにこの作品が人を選ぶのは当然と言えば当然である。 筆者自身もこの作品から疎外された口であるが、もとより創作者自身を俎上に載せた作品の性質上、 そうでない作品以上に創作者の感性とシンクロできるか否かが極めて重要になることは自明だろう。 それが上手く噛み合わなければひたすら退屈な作品にしかならない。本作には北野映画特有の映像表現やイマジネーション以上に 「たけし的な笑い」のウエイトが大きく占められているが、芸人として最も脂が乗っていたであろうツービート時代は無論のこと、 「オレたちひょうきん族」でナハナハ言っていたくらいしか彼の笑いに馴染みのない筆者にとって、 たけしの笑いの面白さがさっぱり解らなかったことが退屈さに拍車をかけたところも多分にあるように思う。正直に告白するなら、 観ていて辛かったくらいである。なんにせよ監督自身は一切を承知の上で公開したようであるし、本作はその偏りから言って、 北野映画の過渡期的作品として捉えるのが妥当なところであろう。

(2005.11.24)

2005/11/24/21:53 | トラックバック (3)
仙道勇人 ,今月の注目作 ,TAKESHIS'
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