トルコ系ドイツ人男女の偽装結婚から始まる数奇な愛の顛末を描いた本作で、 2004年ベルリン映画祭金熊賞を受賞し、ドイツ映画としては実に18年ぶりの快挙を成し遂げたファティ・アキン監督は、 当時弱冠30歳の俊英だ。自身もトルコ系ドイツ人であるアキン監督が、嘗てトルコ人のガールフレンドに偽装結婚を頼まれた、 という個人的な経験から想を得たというこの物語は、 EU諸国の中でも特にトルコ移民の問題が焦点となっているドイツの現状を背景にした作品である。
物語は、最愛の妻を亡くして人生に絶望しているジャイト(ビロル・ユーネル)が、 酔った勢いで自殺未遂を起こしてしまうところから始まる。死ぬことができず病院で目を覚ましたジャイトは、 その待合室で出逢ったトルコ系ドイツ人のシベル(シベル・ケキリ)から、唐突に「自分と結婚してくれ」とせがまれ当惑する。 始めは邪険に扱っていたジャイトも余りに熱心なシベルの懇願に折れて、渋々結婚に同意する。形式だけの結婚生活のはずが、 いつしかジャイトの心に変化をもたらし、遂にはシベルへの思いを自覚させるに至る。しかし、その結果、ある事件が起こり、 ジャイトとシベルは引き裂かれてしまう――。
原題「Gegen die Wand(壁に対して/に向かって)」にあるように、 本作には直接間接問わず様々な「壁」が描き出されている。その一つが言うまでもなく「移民」を取り巻く現実という「壁」である。 本作は、ドイツ・ハンブルクを舞台にした前半とトルコ・イスタンブールを舞台にした後半、二部で構成されているが、 それぞれのパートで彼らの不安定な立場――ドイツでは「トルコ人」と見なされ、逆にトルコでは「トルコ人らしくない奴」 と目される――を丁寧に掬い取っていく。
前半は、言うなればジャイトの物語である。
溺愛していたらしい妻に先立たれたことで生きる意味を喪失した男、
ただ日銭を稼ぎ投げやりに日々をすり潰している亡霊的な人間として登場したジャイトが、シベルによって愛と生きる意味を取り戻し、
人間的に復活する姿が中心に描かれている。
その中でシベルは、女性に対して封建的なトルコ的家族観・
因習から逃れたい一心で自ら傷つけることを厭わない人物として登場する。それは自由に対する切実な渇望の表明である一方、
駄々をこねて無茶なことを平気でしてしまう幼児性の発露と言っていい。無邪気なまでに少女的な女性であるシベルは、
ジャイトとの偽装結婚後、念願通り誰に憚ることなくドラッグやクラビング、セックスに耽る「自由な生活」を謳歌する。しかし、
嫉妬に駆られたジャイトが、シベルのアヴァンチュール相手を誤って撲殺してしまったことで事態は一変してしまう。シベルは、
ジャイトが自身の手の届かないところに行くことになって、初めて「愛」というものの存在を自覚するのだ。そうして、
愛というもののかけがえのないものが生まれる瞬間を描く一方で、「思い」
だけではその愛もいつしか萎れてしまうことを痛切に描いたのが後半である。
この後半では、愛するジャイトから遠く離れ、イスタンブールという「異郷」で、
生きる意味もなく一人で日々を過ごすシベルが、次第に懶惰な生活に身を持ち崩していく姿を冷徹に描き出していく。
シベルは再びドラッグに溺れ、酒に溺れ、クラブで踊り狂うも、それは嘗てのドイツでの享楽目的の行為とは趣が決定的に異なる。
ひたすら自虐的に、否、自己破壊的な行為に走っていくシベルの姿は余りにも痛々しく余りにも悲惨で、
それはまさしく冒頭で描かれていたジャイロと同じ亡霊的な人間の姿そのものに他ならない。
本作の構成が見事なまでに鮮やかなのは、ジャイトとシベル、双方が愛の喪失によって亡霊的な人間と化し、
その絶望的な状況を他者の存在によって救い出されるという疑似反復構造になっている点だろう。そして、本作が何より恐ろしいまでに生々しく、
哀しいほどにリアルなのは、愛だけではどうにもならない現実の姿を、感傷を排してこともなげに提示してみせていることだ。
確かに本作は愛を描いた物語としては、些か心理描写に舌足らずな嫌いがあるのは事実だろう。だが、
トルコではよく知られているであろう民謡の歌詞とストーリーラインを微妙にシンクロさせるという劇の編成を通じて、
そのような舌足らずな部分を補うどころか、ドイツに住むトルコ系男女の現代的な愛の物語に、
却って説話的な奥行きと深みを与えることに成功している。
恐らく、過去にジャイトやシベルのような亡霊状態の日々を送り、そこから救い出されたことがある者ならば、
本作は心のかさぶたを捲られるような、どうしようもない切なさと愛おしさを覚える作品となるに違いない。時に人を癒し、
時に人を苦しめる愛の力強さと無力さとを静かに炙り出した誠実な作品である。
(2006.5.9)
愛より強く 2004年 ドイツ
第54回ベルリン国際映画祭・
金熊賞&コンペティション部門批評家賞
2004年 ヨーロッパ映画賞・最優秀作品賞/観客選出監督賞(ファティ・
アキン)
2004年トルコ・ドイツ映画祭・女優賞(シベル・キケル)・男優賞(ビロル・
ユーネル)
2004年 Brothers Manaki 国際映画祭・
ゴールデンカメラ300賞(撮影賞)
2004年ドイツ映画賞
作品賞/監督賞/男優賞(ビロル・ユーネル)/女優賞(シベル・ケキリ)/撮影賞
2004年 Guild of German Art House Cinemas・
金賞(ファティ・アキン)
2004年 ジャーマン カメラ アワード・撮影賞
2004年セビリア映画祭・観客賞
2004年オスロ映画祭・作品賞
2004年 New Faces Awards・New Faces Award(シベル・
ケキリ)
2004年ニュルンベルク映画祭
最優秀女優賞(シベル・ケキリ)/最優秀男優賞(ビロル・ユーネル)
2005年メキシコシティ国際映画祭・監督賞
2004年オウレンセイインディペンデントフィルムフェスティバル・
最優秀作品賞
2005年サンタバーバラ国際映画祭・審査員特別賞(シベル・ケキリ)
2005年ゴヤ賞・ベストヨーロピアンフィルム賞
2005年ジンバブエ国際映画祭・女優賞(シベル・ケキリ)/脚本賞
2005年全米映画批評家協会・外国語映画賞
監督・脚本:ファティ・アキン
撮影:ライナー・クラウスマン
出演:ビロル・ユーネル,ジーベル・ケキリ,カトリン・シュトリーベック,グーヴェン・キラック,
メルテム・クンブル,セム・アキン,アイゼル・イスカン,デミール・ゲクゲル,シュテファン・ガーベルホッフ,
ヘルマン・ラウゼ,アダム・ボウスドウコス,ラルフ・ミスケ,メメット・カルトゥラス
2004年/ドイツ/35mm/カラー/ビスタ/ドルビーデジタル/121分
配給:エレファント・ピクチャーズ
シアターN渋谷にて公開中
主なキャスト / スタッフ
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『愛より強く』を観たよ。 E 【待宵夜話】++徒然夢想++
惜しい。後半、失速。 『愛より強く』 原題:"GEGEN DIE WAND" 英題:"HEAD-ON" 参考:愛より強く@映画生活 愛より強く-F...
Tracked on 2006/05/09(火)12:19:34
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