映画祭情報&レポート
第11回東京フィルメックスレポート【2/2】
老人たちの夢

深谷 直子

『ミスター・ノーバディ』 ジャコ・ヴァン・ドルマル監督 特別招待作品
2011年春よりヒューマントラストシネマ渋谷他にて全国順次公開

『ミスター・ノーバディ』
(c)Pan-Européenne Photos: Chantal Thomine-Desmazures
『トト・ザ・ヒーロー』、『八日目』のジャコ・ヴァン・ドルマル監督の13年ぶりの新作も、『ブンミおじさんの森』同様、死期の近付いた老人を主人公に描く独創的なファンタジーであった。この作品の舞台となるのは人類が永遠の命を手に入れた2092年の近未来で、主人公のニモはまもなく118歳になろうとする世界最高齢者にして最後の不死でない人間。病院に入れられ研究の対象となっている彼は、催眠術をかけられて彼が生まれた1975年に逆戻りし、人生の出来事を語り始める……。
だが回想は単純なものではない。9歳で両親の離婚という一大事に直面し、辛い選択を迫られる彼だが、果たして父親と残ったのか、それとも母親と旅立ったのか? また、ティーンエイジャーになった彼は3人の幼なじみの少女のうち1人と再会し、やがて結婚するが、誰を選んだのか? 人生の数々の分岐点での考え得るすべての選択肢を辿ってみせ、いくつもの人生、いくつもの愛が混沌と絡み合うイマジナリーな世界が展開される。ドルマル監督は、前2作でもままならない人生に抗って空想の世界に生きる人を描いてきていたが、その集大成とも言うべき映画だ。
両親の愛情に包まれた幸せな子供時代を送るニモにとって、選択はとても苦手なことだった。何かを選べば、選ばなかったもうひとつは永久に失われてしまう。誤った選択をしてしまう恐ろしさよりはすべての可能性を残しておきたくて、ニモはケーキを買うこともあきらめ、それでもケーキ代のコインをキープして満足げなのだ。だが実人生では決断しなければならないことがあり、それは幼い子供だろうと容赦ない。ニモはそんな過酷な現実に対抗するかのように、意識の中ですべての可能性を探るのだ。
子供時代の悲痛な体験がその後の人生を呪縛し続けるという虚しさは痛ましくやり切れないものだが、ドルマル監督はイノセントな魂を賛美する。ニモが体現する幾種類もの人生には様々な形の愛があり、物悲しいが美しい。青年のニモを演じるジャレット・レトが透明感のあるルックスでいくつものキャラクターを演じ分けていてぴったりはまっていた。見開かれた青い目は夢の中の青空と同じ空疎さだ。エキセントリックな妻役のサラ・ポーリー、ニモの運命の女性アンナ役のダイアン・クルーガーもいい。キャスティングや音楽などすべてに美意識が冴え渡る。
しかし幾種類ものあり得た記憶を標本のように並べても、それは本当の人生ではない。失敗を恐れずにたったひとつの人生を選び取らなくては。死を目前にしていちばん大事なものが何であるかに気付いた老人のニモはとても安らいだ顔で「今日は生きてきた中でいちばん美しい日だ」とつぶやく。そして物語は時空を超え、マクロからミクロへと世界を転換させて、驚きのラストを迎える。ヒューマニティに溢れ、とてもストレンジで、スケールは格段に大きいがドルマル監督らしい余韻を残すエンディングだ。
情報化が進んでやる前から結果が見え、シミュレーションやバーチャルの概念もごく身近となった現代、人は最善を求めてしまってかえって決断を鈍らせがちだ。そんな時代へのメッセージも込めた新境地となった。

ジャコ・ヴァン・ドルマル監督
ジャコ・ヴァン・ドルマル監督
Q&Aでは時系列が交錯する複雑な映画の撮影の仕方や物語の作り方などに質問が集中した。
ドルマル監督はこの作品を今までの自分の映画とはまったく違うものにしたかったと言う。映画はストーリーがエンディングに収束されていくものだが、実際の人生は脈絡なくいろいろなことが並行して起こるもの。広がっていく物語を描こうとしたとのことだ。
また、人間がどのように物事を知覚しているか、その記憶のメカニズムを提示したかったそう。「人間が物事を考える方法というのはとても自由です。いろいろ連想したり思考がジャンプしたりすることがあり、それを映画で描こうとしたのです」と語っていた。
これはアピチャッポン監督が『ブンミおじさんの森』をタイムマシンの発想で生まれた映画と言い、「たくさんの層を積み重ねたり、ランダムな形で瞬間瞬間を覚えている記憶というものを描きたかった」と語っていたのと重なり、とても興味深かった。

プリミティブな作品が多い中、製作費をかけ人気スターが出演するSFである本作はフィルメックス向きではないのではないかと思っていたが、やはりリンクするものが多くて選定者の目の確かさに感心した。
現実と幻想の交錯を描いた映画はほかにもあり、大胆さに唸ってしまったのがチュウ・ウェン監督の『トーマス、マオ』だ。外国からの旅人と中国・内モンゴルの安宿の主人という関係で出会い、噛み合わない会話を交わしながら奇妙な時間を送るふたりがまず描かれる。カンフー使いやUFOが唐突に現れたりもする中淡々と物語は進み、オフビートな感覚を楽しむべき作品なのかと思っていると映画はまさかの転調を見せる。中国人の主人は画家、外国人の客は絵のモデルというまったく別の人物となって、新たな物語が始まるのだ。それはふたりの実際の姿らしい。中国もアート界は洗練されているのだな、と感心するが、先の描写があるのでいろいろな深読みも働く。見えているものがすべてではないということを痛感させる斬新な表現であった。
アッバス・キアロスタミ監督が初めてイラン国外で撮影し、カンヌでジュリエット・ビノシュに女優賞をもたらしたことも話題の『トスカーナの贋作』は本物と偽物についての物語だ。イギリス人の作家が南トスカーナの村で女性と出会い、夫婦に間違えられたことをきっかけに仮初めの夫婦を演じ始める。ゲームだったのに次第に男性と女性の感性の違いがむきだしになり、なまめかしい感情が発露していくのがおもしろい。そして虚実の境界は本当に曖昧で、何か決定的場面を見逃したのかもと不安に陥るほど。映画ならではの錯覚に翻弄させられるのが気持ちよい、不敵な傑作だった。

挙げてきた作品以外で好きだったのは園子温監督の『冷たい熱帯魚』、イ・チャンドン監督の『詩』、新鋭・内田伸輝監督のコンペティション最優秀作品賞受賞作『ふゆの獣』など。好きな監督の新作ということで楽しみにして臨むものも多いが、前情報なしに観ておもしろさに夢中になってしまう幸福な体験も何度も味わった。さらに前述してきたように、巨匠たちの作品も新人の作品も混じり合い、呼応し合って、その場に生き生きしたエネルギーを生み出すのも感じられ非常におもしろかった。フィルメックスのユニークな作品を選ぼうとする目には妥協がない。個性が強く、好き嫌いが分かれるラインナップかもしれないが、一人称で選んでいるからこそ関連し合うプログラムとなったのであろう。審査員たちが選考の意図を汲み取り、『ふゆの獣』と『独身男』という荒削りな作品に挑戦の姿勢と今後の可能性を見込んで賞を与えたことも爽快だった。
願ってやまないのは上映された作品が1本でも多く劇場公開されるようにということだ。Q&Aなどでは監督自身や司会を務める林加奈子・市山尚三ディレクターらが「配給会社の方はいますか?」とアピールする場面も何度も見たが、特に受賞した2本などはカルトに終わるべき作品ではない。大勢の観客に観られ、磨かれてほしい。新年に入って閉館・休館するミニシアターも多く、厳しい状況が続いているが、運良く映画祭で観られた者としてはせめて何かの機会につけ声を上げていきたいと思う。

(2010.12.31)

レポート1レポート2

第11回東京フィルメックス (2010/11/20~28) 公式
『ミスター・ノーバディ』( ジャコ・ヴァン・ドルマル監督 / フランス、ドイツ、ベルギー、カナダ / 2009 / 137分 )

2010/12/31/15:24 | トラックバック (0)
深谷直子 ,映画祭情報
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