グローリー/明日への行進
2015年6月19日(金)TOHOシネマズ シャンテ
他にて全国順次公開
公民権運動の英雄として知られるキング牧師は、1968年の4月4日に暗殺された。世界中が悲しみにくれた彼の死から今年で47年になるが、意外なことに、キング牧師を主人公とする映画が製作されたことは今まで一度もなかった。この背景には後述する複雑な事情があったのだが、昨年、この長きに渡るハリウッドの沈黙が遂に破られた。黒人女流監督エヴァ・デュヴァネイの最新作『グローリー/明日への行進』は、アラバマ州のセルマでキング牧師が主導した投票権法成立の要求運動を描いた作品だ。
1964年、キング牧師(デヴィッド・オイェロウォ)は公共の場での黒人差別を禁止する公民権法の成立に大きく貢献したことから、ノーベル平和賞を受賞する。キング牧師の偉業に沸き立つ黒人たちだったが、保守的な思想が根強いアメリカ南部では、黒人に対する差別が消えないままだった。キング牧師は黒人に選挙権を与え、白人との平等をもたらす投票権法の制定をジョンソン大統領に要求する。しかし、貧困問題やベトナム戦争への対応に追われるジョンソン大統領は時期尚早であるとして受け入れない。これを受けたキング牧師は、1965年1月より、黒人差別が最も強いアラバマ州セルマを拠点に、投票権法の成立を目指して動き始める……。
キング牧師は、公民権運動への多大な貢献と悲劇的な最期から、半ば神格化された、「偉大な聖人」としてのイメージが強い。しかし本作のオープニングでは、ノーベル平和賞の受賞を前にして、ネクタイが合わないことに悩むキング牧師の姿が映し出される。その後もストーリーを通じて、家のゴミ袋を替えたり、セルマへ向かう前の緊張を和らげるため知人の歌手に電話口で歌ってもらったり、ストレスから妻のコレッタ(カーメン・イジョゴ)へ要らぬことを言ってしまったり、浮気を疑われて沈黙してしまったりと、彼のイメージにはそぐわない、人間臭さを感じさせるシーンがたびたび挿入される。これらの描写は、鑑賞者がキング牧師に対して抱く、「偉大な聖人」としてのイメージ、つまり鑑賞者とキング牧師の間にある精神的な距離感を取り払い、実際そうだったように、キング牧師を「一人の男」として映し出す。この等身大な描写があるからこそ、鑑賞者はキング牧師に共感を抱くことができ、ストーリーにも引き込まれる。目立たないが、エヴァ・デュヴァネイの巧さが光る演出だ。
そのキング牧師を演じたデヴィッド・オイェロウォの演技は圧巻。彼は7年前に本作の脚本を初めて読んで以来、キング牧師を演じることを使命と感じ、膨大な量の資料調査、関係者との交流を通じて、キング牧師の精神性を自身の中に形成していった。その努力が結集された演技は、聴きやすいよう適度に間を置いた話し方から、見せ場である力強い演説シーン、仲間たちと笑い合う姿に至るまで、ビジュアルのギャップを打ち消すほどに洗練されている。
彼の脇を固める俳優陣は皆すばらしいが、筆者個人としては、キング牧師に憧れる黒人青年ジミーを演じたキース・スタンフィールドを賞賛したい。『ショート・ターム』(13)で見せた繊細な演技で注目を浴びた彼は、本作では純朴な田舎町の青年を自然に演じている。彼がジミーの爽やかで真っ直ぐなキャラクターを飾り気なく表現しているからこそ、ジミーに与えられる無慈悲な仕打ちは、深い悲しみと、黒人差別がいかに愚かであるかを際立たせる。オプラ・ウィンフリーやティム・ロス、キューバ・グッディング・Jrといったビッグネームが並ぶキャスト陣の中で、彼のような若手が存在感を放っているのは嬉しいものだ。
ところで、なぜ今までキング牧師を主人公とする映画は製作されてこなかったのか。その背景には、著作権の問題があった。キング牧師の死後、彼の発言やスピーチには著作権が登録され、その権利は長きにわたって売られることがなかった。その後、キング牧師の死から40年以上が経った2009年、ドリーム・ワークスとワーナーブラザースが遂に著作権を買い取り、スティーヴン・スピルバーグをプロデューサーに迎え、伝記映画の製作を開始するが、この企画は停滞してしまう。
この企画とは別に、ポール・ウェブの脚本を基にしたキング牧師の伝記映画の企画も進んでいたのだが、これが本作だった。本作でキング牧師を演じることになっていたデヴィッド・オイェロウォは、監督がなかなか決まらないことを受け、彼が『Middle of Nowhere』(12)でタッグを組んだエヴァ・デュヴァネイを推薦する。その結果、エヴァ・デュヴァネイが監督に決定し、本作は始動することとなった。しかし、先述の著作権はドリーム・ワークスとワーナー・ブラザースが保有していたままだったので、エヴァ・デュヴァネイは本作でキング牧師が実際に発した言葉を使うことができなかった。そこで彼女は、ポール・ウェブの脚本にあったキング牧師の全ての発言を、意味を変えない範囲で書き換えることで著作権の問題をクリアした。そのため、本作におけるキング牧師のセリフは、実際のものとは異なる。しかし、変更したのは単語レベルであり、キング牧師の思想や人間性は曲解されることなく、真摯に表現されている。
その一方で、トム・ウィルキンソン演じるジョンソン大統領の描写には疑問を抱く余地がある。というのも、本作の中盤まで、ジョンソン大統領は公民権運動に対して消極的な男として描かれているのだ。しかし実際には、ジョンソン大統領は公民権運動への協力を惜しまなかったと言われており、ポール・ウェブの脚本におけるジョンソン大統領も、本作の劇中で描かれたものより、キング牧師に対して協力的な人物として描かれていたという。
ここは歴史考証の観点からデリケートな部分なのだが、勘違いしてはならないのは、エヴァ・デュヴァネイは悪意を持って脚本を書き換え、ジョンソン大統領を貶めて、キング牧師を持ち上げたのではない。彼女が中盤までのジョンソン大統領を公民権運動に対して消極的な男として描いたのは、ジョンソン大統領の変化を描くことによって、ストーリーを徐々に盛り上げるという狙いに基づく演出なのだ。つまり、序盤から中盤にかけてのジョンソン大統領は、敢えて公民権運動に消極的な人間として印象付けている。そして、黒人が行ったセルマからモンゴメリーまでの平和的行進が白人警官隊の暴力に蹂躙される、「血の日曜日」事件をきっかけに彼が葛藤を重ねる姿を映し出すことで、その消極的なイメージを徐々に壊していく。しかしクライマックスでは、「ウィー・シャル・オーバーカム(我々は打ち克つ)」の名演説を打たせ、公民権運動への貢献者としての姿を確と映し出し、最終的には人物描写のバランスを取っている。伝記映画ではリアリティの観点から、歴史的事実とのバランスが極めて重要になるが、エヴァ・デュヴァネイはこの課題をうまくクリアしていると言えるだろう。
本作は投票権法の成立という黒人の勝利で幕を閉じるが、同法の成立以降も、黒人差別はアメリカにつきまとうことになる。同法成立直後には、黒人に対する社会福祉の不足や白人警官による差別が原因で、ロサンゼルスのワッツで暴動が発生。そして1967年には、依然として改善されない劣悪な状況に対して黒人の不満が爆発し、全国59の都市で暴動が発生する。
その後、1960年代後半から実施された、黒人の社会的地位向上を目指す積極的差別是正措置は、一部の黒人に教育や就業の機会を与えたが、大部分の黒人には縁がなく、黒人の社会的地位向上に反発する白人の不満も高めた。1970年代から1980年代にかけては黒人の中産階級が格段に増えた時代ではあったが、政権を握っていたカーター大統領やレーガン大統領は、白人からの支持を得るために白人を優遇する政策を多用した。そして1990年代では、白人警官による黒人市民への過剰暴行が露見したロドニー・キング事件をきっかけに、合計1万人の逮捕者を出したロサンゼルス暴動が発生し、黒人の怒りが爆発する。
その後2000年代に入ると、黒人差別は同時多発テロやイラク・アフガン戦争、世界金融危機の陰に隠れ、2008年にはオバマ大統領の誕生という歴史的改革が起こるが、翌年には『フルートベール駅で』(13)で描かれた、白人警官によるオスカー・グラント銃殺事件が大きな論争を呼ぶ。本作がアメリカで公開された2014年でも、各地で白人警官による黒人市民の逮捕時などにおける不必要な殺害が報じられ、黒人差別の根深さを再認識させられることとなった。
このように、黒人差別は常にアメリカの歴史につきまとってきた。そして恐らく、これからも長くつきまとうことになるだろう。本作は1965年における黒人差別との戦いを描くが、鑑賞者は本作を「過去」のできごととしてではなく、「現在」と、これから訪れる「未来」にも通じる作品として受け止める必要があることも知っておかねばならない。
また本作は、日本の未来にも大きく関わってくる。なぜなら、少子化を抱える日本が近い将来に労働力不足に陥り、その対策として海外から移民の受け入れを推進することは明白だからだ。その時、他人種との間で問題が起きないと保証できるだろうか? この潜在的な不安を、「まだ先のこと」と見て見ぬ振りをすることは容易い。しかし、そうであってはならない。近い将来、人種間の問題が顕在化してから、「何も考えてこなかった」と気づくのでは遅い。本作が鑑賞者にとって、キング牧師と公民権運動、そしてアメリカの未来についてを考えるだけに留まらず、日本の将来についても考える契機となることを祈る。
(2015.6.8)
監督:エヴァ・デュヴァネイ 脚本:ポール・ウェッブ 撮影:ブラッドフォード・ヤング
出演:デヴィッド・オイェロウォ『大統領の執事の涙』、トム・ウィルキンソン『マリーゴールド・ホテルで会いましょう』、ティム・ロス『グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札』、オプラ・ウィンフリー『大統領の執事の涙』
主題歌:「GLORY」コモン&ジョン・レジェンド 配給:ギャガ
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公式サイト
2015年6月19日(金)TOHOシネマズ シャンテ
他にて全国順次公開
- 監督:スティーヴ・マックィーン
- 出演:キウェテル・イジョフォー, マイケル・ファスベンダー, ベネディクト・カンバーバッチ, ポール・ダノ, ルピタ・ニョンゴ
- 発売日:2014/10/02
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