長谷井 宏紀 (監督)
映画『ブランカとギター弾き』について【3/5】
2017年7月29日(土)よりシネスイッチ銀座他にて全国順次公開!
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──この映画の中では金銭の連鎖で物事が回っていきますが、無償の愛の連鎖というのはそれと対極にあるものだと思います。
長谷井 たしかに金銭の連鎖は本作の中で何回も出てきます。
──人身売買の話も出てきますよね。
長谷井 劇中でセバスチャンが「ケータイもいらないからぼくのことを売っていいよ」というようなセリフをラウルに言いますが、売り買いとかそういうものが色々出てきますね。
──ストリート・チルドレンの価値観から養子縁組の制度を見つめ直すことも面白いと思いました。
長谷井 養子縁組は自分にとってそんなに大したポイントでは実はないんですよね。それよりも子どもが抱くシンプルな疑問を描きたいと思いました。シンプルな疑問って、ぼくらの社会では受け入れられなかったりするじゃないですか。大人になればなるにつれ、色々な理由が出てきたり、複雑なレイヤーがどんどんできてきたりして、シンプルなものが見えずらくなってくることが結構あると思うんですよね。子どもはシンプルなものを感じられるから、そういうあたりは出してみたかった。
──この物語の核はそういうところから生まれたのでしょうか。
長谷井 もともとの核は、お金で何でも買える社会、生産していかないと回らない社会にぼくらは生きていると思うので、その中でストリートで生きている人々の視点を借りて何を表現できるか考えたところが始まりでした。だから売り買いの話や人間をモノに扱ってしまう感覚がいっぱい出てくるのだと思います。あるいは逆に人間をモノとして見るのではなくてっていう、いわゆる道徳的な部分も出てくる。人がモノになってしまう世界、システムやモノの方が人よりも価値あるものになってきている世界って人間にとってキツイんじゃないか? って気持ちがぼくにはあります。
──バーで小人症の男の人がブランカを窃盗犯に仕立て上げる場面がありますが、あれは現実にそういうことを見たり触れたりして生まれたのですか。
長谷井 あれは自分のイマジネーションで描きました。よく小人症の人をなぜ悪く描いたのかと言われたし、最初に脚本を読んだプロデューサーからも小人を悪者にして大丈夫なのかという反応をされたけれど、小人だろうが何だろうがどんな人であろうとそれとは関係なく起こることだと思っているので、あのような場面を描きました。あの彼は道端のペディキャブ(自転車タクシー)の運転手の人なんだけど、楽しんで演じてくれました。ぼくがフィリピンで本当に素敵だと思うのは、小人症の人だからとか盲目の人だからとか分けていないこと。雑多に色々な人たちが生活してる。たとえば、ぼくの今回のクルーでもジェンダーがたくさん混じっていました。女性のチーフ助監督はトムボーイで彼女がいたし、レズビアンもゲイの子たちも普通にいました。ジェンダーの違いとか別にどうだっていいよねっていうのが当たり前の世界。撮影した場所では「ホビット・ハウス」というお店があって、そこはウェイターやウェイトレスが全員小人症であることを売りにしています。みんな対等で、何かを分けるってことをしない。ぼくにとって、そういうボーダーがないことはすごく居心地がよいものでした。映画もボーダーレスな言語で、日本だからとかフィリピンだからとかそういうところを超えたものを描ける力があると思います。
監督・脚本:長谷井宏紀
製作:フラミニオ・ザドラ(ファティ・アキン監督『ソウル・キッチン』) 制作:アヴァ・ヤップ
撮影:大西健之
音楽:アスカ・マツミヤ(スパイク・ジョーンズ監督短編『アイム・ヒア』)、フランシス・デヴェラ
出演:サイデル・ガブテロ / ピーター・ミラリ / ジョマル・ビスヨ / レイモンド・カマチョ
日本語字幕:ブレインウッズ © 2015-ALL Rights Reserved Dorje Film
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