原 將人映画ライブツアー
2024年3月29日(金)アップリンク吉祥寺、
3月30日(土)・31日(日)横浜シネマ・ジャック&ベティー、
4月1日(月)シネマハウス大塚にて開催
広末涼子の映画デビュー&映画初主演作「20世紀ノスタルジア」の監督などで知られ、シネフィルであればマストで押さえておきたい、日本ドキュメンタリー映画界の伝説的巨匠・原 將人監督の作品を、アップリンク吉祥寺/横浜シネマ・ジャック&ベティー/シネマハウス大塚の 3 劇場で連続上映する「映画ライブツアー」が開催される。
今回上映されるのは、原監督の最新作で自身の最高傑作と語る『双子暦記 星の記憶』を含む全 7 作品(無料上映の 2 作品を含む)と新人女性映画監督の原 真織の作品1本。上映する作品には全てにライブパフォーマンスが行われ、弁士と楽士が劇場で音情報をつけていたトーキー時代の劇場感を、現代風にアレンジしてアップデートを試みる。また、舞台挨拶や宇田川幸洋氏を交えたゲストトークも実施されるので、時間など詳細は劇場サイトで確認していただきたい。
映画ライブもしくはアンチ・レトロスペクティブ宣言
私、原 將人は、18歳で監督デビューして今年で映画監督歴56年である。23歳『初国知所之天皇』で音楽家としてデビューして音楽家歴51年である。
半世紀以上研鑽を積んだ監督もしくは音楽家なら、本来では、アーカイブもしくはレトロスペクティブの回顧展になるのだが、あえてアンチ・レトロスペクティブ宣言をする。すなわち『初国』以降の自ら音楽を手がけた作品を映画ライブするのだ。
それによって過去の作品は、ライブとして生成され、すべて<いま><ここ>に最新作として、映画の原初のエネルギーに照射されて蘇るのだ。
ちなみに、FILMIXライブは映画が内包するサウンドに映画館内で私とサポートミュージシャンが演奏を加えていく試み。SONGSライブは付いている音楽を取払い、SEのみ生かして館内でSONGS(歌)を加えていく試みである。
本日ここに、映画ライブ宣言、すなわちアンチ・レトロスペクティブ宣言をする。
~2024年3月1日~原 將人
2024年/日本/115分/日本語/カラー/16:9/撮影:2012年~2017年/2018年東京ドキュメンタリー映画祭・長編部門・グランプリ
若松孝二監督の死から始まる本作を、今年13回忌にあたる大いなる先達に捧ぐ!
原 將人
原 將人監督による私小説ならぬ私映画
62歳にして双子の父となることが分かった監督原 將人は、生まれてくる子供たちのためにブラックなバイトを始める。中華料理の出前、湯葉づくり、老舗旅館の夜警、どれも3ヶ月とは続かずクビになる。そして最もブラックだったタクシー運転手。タクシーの車窓から撮られた京都の名所の風景が、改めて昭和が終わったことを告げる。でも、ラッキーだったのは、待ち時間に、奈良の山林や三重の青山高原などが撮影ができた、測量の助手の仕事だった。この星に生まれてよかったと思われる星、地球の風景を思う存分撮ることができたのだった。原は、休みを取って、実家で子育てをしていた妻と双子姉妹を迎えにいくのだが、友人に借りたワゴン車が高速道路でスリップする……
<見どころ>原はナレーションや字幕が説明的になるのを避け、70数首の短歌を挿入している。赤子の映像にかぶさるその短歌を、四年後の文字を覚えた双子姉妹が朗詠する。映像と音の時間の重なり。映画の多層性。映画の愉悦!そして、監督自らのピアノと歌によるライブ演奏、SONGSライブ!
2024年/日本/85分/日本語/カラー/16:9/撮影期間:1999年~2021年/撮影場所:京都・大阪・福岡・大分・熊本
2022年、原 將人と原 真織、共同監督で、全国公開された『焼け跡クロニクル』の原 真織、単独監督によるディレクターズ・カット・ヴァージョン。原と真織だけだったナレーションに子供たちが加わり、未来を見据えた仕上がりになっている。
2018年、原ファミリーは、桜と新緑の美しい京都の春を迎えるが、その年の夏は少し様子が違った。梅雨明けに豪雨、そして連日の猛暑。原因は不明だったが、クーラーをつけていた2階から出火。最初に火を見つけた原が消そうとしたが、火は瞬く間に燃え広がり、自宅全焼。原は映画のデータを救出しようと、燃え盛る火の中に飛び込み、パソコンとハードディスクを持ち出すが、一酸化炭素中毒と火傷で病院に担ぎ込まれる。一方、職場で火事の知らせを受けた真織は帰路につき、火事の様子、避難した子供たちを携帯電話とタブレットによって撮り続ける。そして、退院した原は友人、ボランティアたちの助けられ瓦礫の下から熱による損傷は受けているというものの、何とか生き延びた8ミリフィルムを探し出す。映写機には通らないほど変形したそれを手回し編集機(ビューアー)で見てみると、そこに見え隠れする数十年前の原ファミリーの記憶は圧巻!まさにクロニクル(年代記)!
<見どころ>音楽に特化した原は新たに数多くの楽曲を添えた。それに上映会場(映画館)のスクリーン前で原と遠藤晶美がキーボードとギターで音を足していく。そして、最後は3面マルチの8ミリ映像をバックに、テーマソングを原ファミリーが歌う!
2024年/日本/85分/日本語・星の言葉/カラー/16:9/撮影:1999年~2020年/撮影地:京都・ミラノ・ローマ・ペサロ・ウルビーノ・フランクフルト・鳥取砂丘
『双子暦記 私小説』の姉妹編。原 將人の最新作にして最高傑作!(と原は語る)
双子の星からやって来た双子姉妹は高速に近いスピードだったので、地球到達まで14年の歳月を要したというアシュラ・ル・グイン的,SF的アプローチに始まり、その間、14歳年上の兄は父母に連れられ、イタリア、ドイツなどを旅していたと、旅の8ミリ映像でイントロが構成される。地球に到達した双子姉妹は直立、二足歩行と、地球での学びを重ねる。そして、星の言葉も地球の言葉にアップデートされていく。そのプロセスが、古都・京都の風景と、鳥取砂丘の砂の惑星のような風景のなかで、生活を共にする父親ならでは視線で双方向的に捉えられる。そして双子暦8年に入学を迎える。ところが、コロナの季節で入学式の翌日から休校。だが、新入生だけ特別あづかりで通うことができたのだった。父は改めて双子姉妹、マミヤとカリンに、地球にようこそと言う。
<見どころ>こんなに子供が言語を獲得していく過程に密着した映画があっただろうか?特筆すべきは、それが二人の娘たちへの二人称として語られることだ。ホーム・ムービーであり、子育て映像日記であり、それがメタ・フィクション、メタ・SFを構成するところに、かってなかった映画力が発揮されている。それが、上質なエンターテインナメントなっていることに、見るものは驚かされるだろう!映画史に新しいページを開く傑作!しかも監督自らの歌を加えたSONGSライブである。
2024年/日本/89分/日本語/カラー/シームレス3面マルチ:超シネマスコープ/撮影期間:1997年~1999年/撮影場所:京都・東京・広島・大分・熊本・鹿児島・沖縄
2002年第1回フランクフルト映画祭に招待され、そこでお披露目上映した、3面マルチの作品。センターがデジタル映像、左右が8ミリ映写機によるフィルム映像で構成されるロードムービー。
オリジナルは2018年の火事で損失したが、原が火傷を負って救出したデータを元に復元/2002年第1回フランクフルト映画祭・観客賞
1997年。ある日、京都で真織と出会った原は、一緒に骨董市などに足繁く通い、いわば日本探しの旅をする。古い流行歌のレコードや楽譜に出会い、それを購入し聴くうちに日本のメロディーが湧き出るようになる。
西洋音楽の和声で書かれた日本の曲。原は、それらを「豊穣のバッハ」と名付けた。そして、数十年前に、フィルムからビデオに移行したときから遠ざかっていた、8ミリカメラ、映写機とも出会う。(それがセンター・デジタル、左右8ミリの3面マルチになった所以でもあるが。)
そして、長男が誕生した1999年の夏、国会では、いわゆる日の丸・君が代法案と呼ばれる国旗国歌法案が審議されていた。原は真織に、「はるか昔から使われていた日の丸はともかく、明治になって天皇制復活のもとに作られた<君が代>は戦争の記憶がこびりついていて、平和憲法を持つ戦後の日本に相応しくない。ジョン・レノンの「イマジン」が「君が代」の対案になるのではと、小野洋子さんに手紙を出したりもする。(その経緯は原 真織の監督デビュー作『原発通信』に詳しい。)
八月に入り、三人(みたり)は京都から、広島、大分、沖縄と日本探しの旅に出る。
旅の最後の地、沖縄で、原は、持ち歩いていたアコーディオンで作曲する曲が、いつの間にか琉球音階になっていることを発見する。
そこで、琉球王朝の時代からの沖縄の歴史に思いを馳せ、沖縄が、日本とアメリカの間で揺れ動く、亡命したくても、亡命先のない、亡命したくても亡命できない亡命者であることに、自分たちの姿を重ねるのだった。
<見どころ>真織の歌う、原が作曲した楽曲が、旅を続けるに従って日本音階から琉球音階に変化していく!8ミリの印象派を思わせる粒子の動きの中に透けて見える日本の美しさ!それがドイツ市民たちのこころを捉えて離さなかった所以でもある。
2024年/日本/99分/日本語/カラー/16:9/2013年・ゆうばり国際ファンタスティック映画祭 渚特別賞受賞/撮影期間:2004年~2005年/撮影場所:日田・天ヶ瀬・玖珠・耶馬溪・久住高原/撮影メディア:デジタル・35ミリ・8ミリをハイブリッド編集/出演:観音崎 渚・長沢 大・頭師 佳孝・青空 球児・中村 万里・畠山 明子・鈴木 清順・野上 正義/音楽:原 將人
原 真織が書き上げ文化庁助成金もついたシナリオ『仲良き事は美しき哉』からスタートした、原 將人監督による『20世紀ノスタルジア』に続く劇場用劇映画の第2弾。しかし、全て大分ロケだったため、スタッフが足りず、面倒見が悪いと主演の役者が現場から去ってしまった。そのため、主人公の妻役だった観音崎 渚(原 真織)を主役にし、戦死した許嫁の帰還を待ち続ける娘という設定に変えて再開した、という曰く付きの作品。
時は昭和32年(1957年)。所は日本のとある山村。従軍したまま帰って来ない婚約者の帰還を待つ娘、渚とがいた。生きていると信じて。村で唯一の電気屋を営む熊太郎の父も、父一人子一人で育てただけに、同じ思いであった。帝大の理工科を習得した、熊太郎はテレビが普及すれば、戦争はなくなると信じて、テレビの研究するために、海軍の無線班に志願したのだった。折も折、山向こうの大きな都市では、テレビの放送が始まっていた。渚と熊太郎の父は、熊太郎の夢が実現するために、村にテレビを映るように山に共同アンテナを立てるのだった。そんなある日、森にさしかかった渚を森の妖精が呼びとめた。「テレビってさぁ、実は怪物なんだ。茶の間にデンと座って、みんなを縛っちゃうんだよ!」そして、アンテナが立った日、山から降りた渚がアンテナを見たら、アンテナは一本の大きな樹になっていた。
<見どころ>1年近くの中断の期間、原は35ミリで四季の実景を撮り続け、ロケが終わってもドラマ部分を8ミリで撮り直す作業を続けた。そして、それらを織り交ぜていった。そのハイブリッド感!必見!また、その期間、撮影以外はピアノに向い続けていた原は、20近い限りなく美しい楽曲を生み出した。それに、今回は原のキーボードと真織の歌が被さるFILMIXライブである!必見!必聴!
2024/日本/1時間/1時間50分(フルヴァージョン)/カラー/超シネマスコープ・3面マルチ/撮影期間:1973年~2009年/撮影場所:東京・馬篭・中津川・ベルリン・マラケッシ
原が「ザ・ベスト・オブ・HARA8ミリ・ムービー」と呼ぶ本作で、原は念願の8ミリ・シームレス(3面が微妙に重なり合って並ぶ)3面マルチを実現した。見るものはシームレスの3面映像を彷徨ううちに、いつしか自らの脳内映像が映し出されるような錯覚を覚え、いつしか自身の記憶に到達する。
第一章『ベルクソンを巡る旅』 ドゥルーズの「シネマ」からベルクソンの「物質と記憶」は、映画誕生以前に書かれた映画論であることを知った原は、19世紀の鉄道の発達による車窓の風景こそが映画前史であることに思い至った原は、ベルクソンを巡る列車の旅に出かける。中央西線・多治見鉄道・太田線・高山本線・山陰本線・嵐電などの初春の車窓は、原にとって映画を撮ることはどう言うことなのか考える絶好の機会を与えてくれたのだった。
第二章『東京・ベルリン・マラケシュ』では1974年~75年の東京(東横線学芸大学の自宅周辺の風景)、ベルリンの壁があった頃のベルリン、イスラム圏のモロッコの風景が3面マルチで映し出され、国境やイスラム教に出会って初めて地球が分かった、と原自身がピアノを弾きながら歌う。
第三章『ノスタルジア2009』 原の父の通夜、告別式、埋葬、四十九日がそれぞれ3面マルチで時間軸を平列に投影され、「人生という戦場に散りし父の息子たるより戦友たらむ」などの数多の短歌によって、軍人だった父のことが語られる。
<見どころ>シームレス・8ミリ3面マルチ!昭和への恋文!限りなくSONGSライブに近い、FILMIXライブ!
2024年3月29日(金)アップリンク吉祥寺、
3月30日(土)・31日(日)横浜シネマ・ジャック&ベティー、
4月1日(月)シネマハウス大塚にて開催
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