いまおか しんじ(映画監督)
Part1
『かえるのうた』
1月14日よりポレポレ東中野にてレイトショー公開
公式サイト:http://www.argopictures.jp/lineup/kaerunouta.html
公式ブログ:http://pink2000s.cocolog-nifty.com/
いまおか しんじ(映画監督)
1965年、大阪府生まれ。「獅子プロダクション」入社後、瀬々敬久監督や佐藤寿保監督、神代辰巳監督の遺作『インモラル 淫らかな関係』(95)などの助監督を務めたあと、95年に『獣たちの性宴(DVDタイトル:彗星まち)』で鮮烈なデビューを飾る。『痴漢電車 感じるイボイボ』(96)、『痴漢電車 弁天のお尻(デメキング、ビデオタイトル:いかせたい女 彩られた柔肌)』(98)などを発表。2004年、故・林由美香が主演した『たまもの(熟女・発情 タマしゃぶり)』でピンク大賞監督賞、作品賞、主演女優賞などを獲得した。
新作『かえるのうた』をメインに語っていただいた前回に続き、今回はピンク映画の「濡れ場」の演出について、さらにはいまおか監督が映画界に足を踏み入れた過程について語っていただいた。
濡れ場の演出について――濡れ場っていうのがピンク映画に必ずついて回ることだと思うんですけど、濡れ場の見せ方が変わってきたとかそういうことはありますか?
いまおか いつも悩むんだよね。どうやって見せたらいいんだろうって。田尻(裕司、監督)なんかとよく話すのは、登場人物が会話したり、飯を喰ったりなんかしているシーンと、なぜ同じように濡れ場が撮れないんだろうってこと。セックスシーンだけ、時間がリアルタイムになっちゃうんです。ふつう、映画って重要なところだけ撮って、ほかは編集しちゃうんだけど、セックスシーンになると急に端折れなくなる。じゃあそれをどう見せればいいのかってことになると、その人物が、相手のことをどれぐらい好きなのかとか、どれぐらい感じているのかとか、そういう部分を見せるしかない。こういう角度がエロいよね、こういう表情がエロいよねってことを考えてもしょうがない。すると必然的に「エロい」って余計なものになっちゃう。「もういいじゃん、ワンカットで」って。だからどんどんエロくなくなってくるんだよなあ。
――でも『たまもの』では濡れ場に凄くこだわって撮ってらっしゃいますよね。
いまおか いや、こだわってはいないんだけどね。こだわってはいないけど、本番をやろうと思って。
――監督がピンク映画の中で本番をやるのは初めてですか?
いまおか ええ。ヒロインが喋らないねえちゃんだから、吐息とか服が擦れる音、足音なんかをちゃんと聞かせなきゃならない。それで同時録音(ピンク映画ではアフレコが一般的)にしたんだけど、そうするとセックスを本番にしたくなっちゃうんだよね。その……「ニュル」とかね。そんなの映らないんだけど、「きっと何か映るだろう」みたいな。こっちも、やらせている分、「映してやろう、映してやらなきゃ、すまんのう」みたいになっちゃうから、その気合いだけで行って、現場で困るという(笑)。「いいのかぜんぶワンカットで?」「だってカット割れないでしょう」って(笑)。でも、ちゃんと撮ってやろうって気持ちはありました。見た人から「映ってない!」とか「本番している風には見えねえよ!」とか言われたりとかしたんだけど。それに近いようなことは毎回ちょっとは考えます。
――今回の『かえるのうた』では、吉岡睦雄さんと浮気相手の濡れ場以外は、あまり気持ちのいいセックスっていうのはなかった気がするんですが、それは狙いで?
いまおか 「好きでやってんじゃねえよ」みたいなところはあるっちゅうか。好きでやりたいし、やってみるんだけど、夢見るほどではないでしょう、みたいな。最後に吉岡と向夏が空き部屋で絡む場面があるんだけど、「これは何でセックスするんだろう?」という疑問が自分でもあって。まあ、男の場合は「やりてえ」でいけるんだけど、女の方はなんだろうって。そのとき現場で考えたんだけど、単純に他者と肌が触れるのがいいのかなって。寂しいんだよね、やっぱり。相手のことを信用なんかしてないし、好きかどうかも分からないんだけど、やっぱり触れ合いたい。そういう「寂しくてしょうがないんだ」っていうところが見えてくるといいなって……。だから、すべての濡れ場がエロくなきゃいけないってこともないんじゃないかな。気持ちいいセックスもあっていいし、そうじゃないセックスがあってもいい。その適当なところが、ピンクからいろんな作品が生まれる土壌になっているんじゃないか。そこは凄くいい。間口が広くて。
――監督の映画の語り口や、スタイルということに関して、若い頃に観ていた映画監督の影響はあるんですか?
いまおか 俺、あんまり映画観ていないからねえ。でも、抜きがたく神代さんの存在はある。いつもそれが頭にあるというか。ワンパターンだと言われるんだけど(笑)。ただ、真似なんか出来っこないし、なんか他にねえのかよって自分で思うこともあるんですけど……。まあしょうがないでしょう(笑)。いいなあと思いますよ、『恋人たちは濡れた』(73)とかね。いいなあと思うんだよなあ……。
――『恋人たちは濡れた』なんて虚無的な感じがいちばん鮮明に出ている作品じゃないですか。そこに学生時代の自分の気持ちがシンクロしちゃったというようなところが?
いまおか 等身大って言うとちがうんだけど、憧れでもあるのかな。こんな映画、見たことないなと思った。それまで見ていたテレビ放映の映画や、普通の映画館でやる映画とちがって、専門のコヤでしか観られないじゃないですか、ロマンポルノって。見終わった後、夕暮れの街を歩きながら、「いやあ、いい一日だったなあ、今日は」って。ささくれ立っていたものが、ちょっと柔らかくなったりして……。そういうことがあって、「映画っていいなあ、映画を作っていこう」と思った。作ってみるとなかなかそういう風にはいかないんだけどね。
――大学は中退されたんですか?
いまおか はい。
――それはもう「映画をやろう」と思って。
いまおか そういうことだよね、多分。シナリオライターになろうと思って。
――あ、最初はシナリオライター志望だったんですか?
いまおか そう。馬場さんの影響で(笑)(註:馬場当。脚本家。『乾いた花』『復讐するは我にあり』『サヨナラCOLOR』等)。面白かったよねえ、馬場さんって。大学2年生くらいのときにシナリオのカルチャーセンターに通ったんです。倉本聡や山田太一のシナリオは高校生くらいのときからちょっと読んでいたんだけど、実際の業界人と話したことはなくて。で、カルチャーセンターに行くと、いきなり馬場さんみたいなわけのわからんことを言う講師がいて、オカシイわけですよ。これまで大人と言ったら、親か教師かバイト先の上司くらいしか知らなかったのが、「あれっ、映画の人って面白いなあ」というのがちょっとあって。それで本とか色々読み始めた。それで、カルチャーセンターは最終目標がコンクールへの応募作品を提出することなんだけど、受賞作を読んでも「なんでこんなのが? コンクールなんて信用できねえ!」みたいなものばっかりで(笑)。でもそれが応募された何百本のうちの一等賞なんだから、自分がこれを通過するのは無理だと。それで獅子プロ(獅子プロダクション、代表・向井寛)に行くという流れがあったんです。「ここなら俺、いられるかも」みたいな。みんな偉そうじゃないし。
――以前から瀬々さん(敬久、映画監督。『雷魚』『肌の隙間』等)の作品はお好きだったんですか?
いまおか 獅子プロに入る前くらいに、瀬々さんとか寿保さん(佐藤寿保、監督、『秘密の花園』『乱歩地獄』等)の映画は見始めていた。面接が瀬々さんだったんですけど、「ライターやりたいんだったらこんな世界に来ない方がいいよ」って(笑)。でも瀬々さんがまた面白いんですよ。ここでも「こんな大人がいるのか」っていうのがね……。「別に大人にならなくてもいいんだ。一緒じゃん、俺らと」というか。スーツ着てネクタイ締めなくても大人はやれるんだって。とは言え、助監督時代はかなり酷いものだったんですけど。
――酷いと言いますと?
いまおか 生活とか、生き方とか……。ハードコアな感じだった。なんとかやっていけたのは、やっぱり周りの人の魅力だったのかなって、いまになって思いますけどね。
――同時期に獅子プロに入った田尻監督は、「いまおかさんには勝てないと思った」というようなことを仰っていましたが。
いまおか いまはそうじゃないと思うけどね(笑)。
――「一度も褒められたことがない」みたいに仰っていましたけど。
いまおか だって、そうだもん(笑)。どっちかって言うと、助監督の出来はあいつの方が良かったんだ。色々な気遣いが出来ていたし。田尻はバカにされるキャラクターなんですよ。俺と同じ時期に入ったんだけど、年齢もちょっと下だったし。あいつがシナリオを書いてきても「つまんねえよ」とかってバカにするんだけど、バカにしてバカにしてバカにして……でもね、最後の方でバカに出来なくなっちゃうんだよね。なんだろうね、なんかわからないんだけど。……みんなどっかあるんだよね。しぶといところが。
――その田尻さんと一緒に参加した、神代監督の『インモラル 淫らな関係』(95)の現場はどういった感じだったんでしょうか?
いまおか いやあ、酷いもんですよ(笑)。もちろん神代監督のファンでしたけど、つきたくてついたわけじゃなくて、獅子プロが下請けみたいな形で受けたんです。助監督が僕で、制作が田尻で。神代さんは病気だった上に、一千万円の予算で一週間で撮る、みたいなスタンスでやったことがなかった。スタッフもふだんは劇映画をやっている人たちなんで、僕らとはぜんぜん考え方がちがってて。こっちがピンクの方法論でいくと、「そんなん考えられねえよっ!」と言われちゃう。助監督として、これはなんとかうまく乗り切ろうと思うんだけど、ぜんぜん出来ないのね。
――じゃあ、向こうのスタッフと結構軋轢みたいなことがあった。
いまおか いやもう、ありましたよ、それは。何から何まで。なんかね、寂しいんですよ。うまくいかないから。みんなから嫌われるわけじゃないですか。台本刷るのだって、お金を出してくれないから印刷所に出せない、とか言われて。仕方がないから僕ら自分たちで刷ると言って、一人徹夜して作ったりとかして……。助監督はセカンドもサードもいなかった。全部一人でやってたんです、チーフ、セカンド、サードって。するとほかのことが何も出来ないじゃないですか。それなのに、なんか寝てばっかりいるんですよね、ストレスで。本当に死にたくなりましたね、あの現場は。でも、鴨田(好史)さんという、ずっと神代さん一緒にやっている人が、監督補みたいな形でサポートしてくれて、色々慰めてくれた。
結果的に『インモラル 淫らな関係』(95)は、神代辰巳の遺作となってしまう。低予算ゆえのチープな部分もありながら、往年の人間観察眼、性描写の冴えをふっと見せる、味わい深い作品である。この現場に参加したことが、いまおかしんじ監督のデビュー作にして、いまなおカルト的な人気を誇る『彗星まち(獣たちの性宴 イクときいっしょ)』(95)に繋がった。
いまおか クランクアップして二ヵ月後くらいに監督が亡くなったんです。初めて身近な人が死ぬという体験だった。なんか……やっぱり、やりきれなかった。結局、現場的には迷惑掛け通しで終わっちゃったという思いもあったし。同じ頃、同棲していた彼女が男作って出ていってしまった。こう、ますます自分をどん底に突き落とす出来事が続いてですね(笑)。「いやこれ……どうしたらいいの?」っていう。その頃ちょうど三十歳ぐらいだったんですけどね。そのとき瀬々さんに「もうどうしたらいいか、わかんないんです」と言ったら、「僕たちに出来ることは映画を撮ることしかない。撮れよ、お前」って。それまでもホンは書いてたんですけど、具体的にデビューに向けて書き始めたのはそれ以降です。「もう映画しかない!」みたいな。「他のことはどうでもいいから撮るんだっ!」みたいな。……だから真面目になりましたよ、そこで初めて。本気になったというか。そしたら運良く撮らせていただける環境になったんで、その年の十月にデビュー出来たんです。
――『彗星まち』では、やりたいことが出来たという感触はあったんですか?
いまおか まあ、最初だからね。最初って「やりたいこと」を探る作業じゃないですか。そうですね、最初の三本くらいはやりたいことがあってやっていた気がするなあ。
――では、後は結構……
いまおか だんだん苦し紛れになってきたよ(笑)。「やりたいことねえよ! どうしよう!」ってところからいつも始まる。「いや、でもあるはずだろ、あるはずだろ!」って自問自答して(笑)。
――一般映画で撮りたいみたいなことはあるんですか?
いまおか ありますよ。「一般映画で」と言うか、「映画」を撮りたいです。でも、一人じゃ無理だと思うんですよね。プロデューサーと出会ったりしないと。だから待ってるんです。ぜんぜん声がかからないんですけど、それでも待つ、みたいな。誰か声をかけてください(笑)。一生懸命やりますから。
――最後に好きな映画を3本挙げていただいてるんですけども。
いまおか 今年は『空中庭園』(05、豊田利晃)だったなあ。あと『悶絶!どんでん返し』(77、神代辰巳監督)。……それと『オアシス』(02、イ・チャンドン監督)が好きだな。適当だよなあ(笑)。でも、邦画が好きなんですよ、俺。邦画しか観ない、ほぼ。なんだろうね、日本人が好きなんだね、やっぱり。
――本日はありがとうございました。
(2005.12.25、アルゴ・ピクチャーズにて)
主なキャスト / スタッフ
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