松江哲明(ドキュメンタリー監督)
映画『あんにょん由美香』について
◆林由美香を撮るということ
◆ハッピーエンドを発見する
◆出会うこと、あるいは批評の不在
7月11日より
ポレポレ東中野でレイトショー公開
林由美香が急逝して4年目となる今年、彼女の「最新作」を完成させた松江哲明監督に話を伺った。
(取材:わたなべりんたろう・佐野亨)
1977年生まれ。日本映画学校の卒業制作として作った『あんにょんキムチ』(99)が、韓日青少年映画祭監督賞、山形国際ドキュメンタリー映画祭アジア千波万波特別賞、NETPAC特別賞等を受賞し、国内外で話題となる。以降、 『カレーライスの女たち』、、『セキ☆ララ』、『童貞。をプロデュース』などを発表。
R18 LOVE CINEMA SHOWCASE VOL.6 『あんにょん由美香』公開記念
林由美香×松江哲明特集上映、ポレポレ東中野にて開催中
7/2(木)『濃密愛撫 とろける舌ざわり』『飯場で感じる女の性』
7/3(金)7/4(土)『最新!!性風俗ドキュメント』『誕生日』
7/5(日)『日曜日は終わらない』 7/6(月)『ドキュメント・メタル・シティ』
7/7(火)『カレーライスの女たち』『あんにょんキムチ』(入場料金700円!)
7/8(水)『セックスと嘘とビデオテープとウソ』『あんにょんキムチ』(この日も700円!)
7/9(木)『前略、大沢遥様』『YUMIKA 1989-1990 REMIX』(ゲスト:カンパニー松尾)
7/10(金)『童貞。をプロデュース』『YUMIKA 1989-1990 REMIX』
林由美香を撮るということ
| ハッピーエンドを発見する | 出会うこと、あるいは批評の不在
わたなべ そもそも松江監督が由美香さんと最初に出会ったのはいつなの?
松江 僕が日本映画学校の1年生、18歳のときですね。安岡卓治さん(映画プロデューサー。『由美香』『流れ者図鑑』『白 THE WHITE』という平野勝之監督の「自転車3部作」をプロデュース)のゼミに入ったんですが、ちょうど『由美香』がBOX東中野で公開されていて、その宣伝を手伝ったんです。それが縁で由美香さんとお会いしました。AVとの関わりを言えば、映画学校の教室に、平野さんの「水戸拷問」とか「美人キャスターの性癖」とかが置いてあって、そういうものをすでに観てはいたんですが、とにかく『由美香』という作品との出会いが決定的でしたね。AVでこんなことができるのか、と。それで映画学校の2年目にドキュメンタリーゼミに入って、その実習作品が由美香さんに出てもらったやつなんですよ。由美香さんや平野さん、ほかにも男優さんとかにインタビューして、AVの現場にも初めて行きました。
わたなべ それはなんという作品でしょう?
松江 『裸の履歴書』というタイトルで、20分くらいの実習作品ですね。
佐野 僕は映画学校の学生だったときに、教室で観た記憶があります。
松江 そうですか。あれ、いまはもう残ってないんじゃないですかね。僕は自分で持ってたやつは消したんですよ。失敗作だと思っていたし、由美香さんに「まだまだね」と言われたこともあって、もう二度と観たくない、と。『あんにょん由美香』をつくるにあたって、その映像を使いたいな、と思って探したんですが、結局見つからなかった。まあ、でも使わなくてよかったのかな。
わたなべ この写真(映画の冒頭にも登場する、由美香、松江、カンパニー松尾のスリーショット)はいつ撮られたものですか?
松江 由美香さんが亡くなる1年くらい前、2004年の秋ですね。『アイデンティティ』のDVDリリース記念イベントをアップリンクでやったんですよ。そのとき、「ハメ撮りの夜明け 完結篇」というAVを流したんですけど、僕はそのことを聞いてなくて。ちょうど付き合っていた彼女がイベントに来ていたんですが、ビデオのなかで僕が女優さんのお尻を叩いたり、調教してる場面があるんです。それで僕が「聞いてないっすよ!」みたいな感じで慌てていたら、ゲストで来ていた由美香さんに「これからAVでハメ撮りしようって男がおどおどするんじゃないわよ」って諭された。その頃には、ハマジムの飲み会にいつも由美香さんが来ていたし、いまおか監督の『たまもの』の予告篇を僕がつくったりして……。
由美香さんが亡くなったときに、「ああ、もう新作がつくれない」という思いはありました。由美香さんの出てる映画を観ながら――それこそピンク映画の脇役とかも含めて――この人をちゃんと撮るって、凄いことなんじゃないか、と思っていたんです。『たまもの』にしろ、「硬式ペナス」にしろ、その作家の最高傑作というか、由美香パワーによって押し上げられている部分がある。だから、僕が由美香さんに出てもらうとしたら、それ相応の準備をしなければならない。具体的にこういう作品、というイメージがあったわけではないですけど、自分にとってはすごく大きな存在、業界の偉大な先輩という感じで見てましたね。そういう意味では、松尾さんや平野さんやいまおかさんとも一緒です。
佐野 作品のなかでも、平野さんが「これは大変なことだぞ」と忠告するシーンがありますけど、松江さんにとっては、そういう平野さんたちが撮ってきた林由美香という女優を撮ることに対して、畏怖の気持ちがあったということですか?
松江 そうですね。僕は平野さんや松尾さんのような濃い付き合い方をしてはいなかったけれど――それは恋愛という意味も含めて――僕にとって由美香さんを撮るということは、由美香さんと関わった男たちもコミなんですよ。だからこの作品をつくるにあたっては、松尾さんや平野さんと一緒に行くことが必要だったし、現場が知りたかったんです。その場所でどういうことがあったのか、ということを生で語ってほしかった。僕のいままでのドキュメンタリーもそうですけど、お膳立てをして撮るよりは、現場まで走ったり、車に乗ったり、なにか食べたり、ということをしながら出てくる言葉が面白いんですよ。これは繰り返し言ってることですけど、なにが本当でなにが嘘かなんて、ドキュメンタリーを10年撮りつづけていてもわからないんです。それよりも現場に誰かと行って、そこで出てくる言葉を信じたい。もっと言えば、カメラを向けていると、台詞を言っちゃうときってあるじゃないですか。素人が役者になってしまう瞬間というか。そういう瞬間をこそ、待望しているようなところがありますね。
ハッピーエンドを発見する
| 林由美香を撮るということ | 出会うこと、あるいは批評の不在
わたなべ 撮影を終えたのはいつ頃ですか?
松江 「これでいけるね」となったのは、皆が集まるラストシーンを撮ったときですよね。2007年の5月か6月だったと思います。ただ、そこから完成させるまでに、自分のなかで「主語」が見つからなかった時期がありました。
最初、向井(康介)くんが書いてくれたホンには、全然違うストーリーがあって、「純子」という作品を無理矢理ドラマティックにつくっていくみたいな感じで……じつは、通訳をやっていた女の子が主人公だったんですよ。彼女の主観で、彼女のナレーションが入るという。そういうフェイク・ドキュメンタリーをつくろうと思ってたんですけど、撮影しながら、やっぱこれじゃ駄目だなあ、と。元の「純子」の素材から物語をつくっていたんです。それで「バカ!」と怒鳴るところの演技が迫真だったのは、彼に対して本気で怒っていたからで、それを知ってるのは現場にいた通訳の女の子だけだった、みたいな。でも、撮っていくうちに、本当にそうなってきちゃったというか、物語である必要がなくなってきたんですよ。やっぱり、そうならないとドキュメンタリーは面白くならない。それからは、現実の素材をどうぼかすか、という点で、向井くんと話し合いを重ねていきました。あのラストシーンも、元の台本が見つかって、そこに書かれているラストシーンが撮られていない。でも、これが観たい、と。韓国で撮影するということも考えたけれど、結果的にはああいう形になった。
わたなべ 沖縄のシーンはいつ撮ったんでしょう?
松江 沖縄は2007年の12月、桜坂劇場で『童貞。をプロデュース』を上映したときですね。あの劇場(首里劇場)は知ってたんですよ。「UNDERCOVER JAPAN」というAVで、いま桜坂劇場の支配人をやってる真喜屋力さんが撮ったパートが首里劇場を舞台にしているんです。それを観て、ここにはぜひ行きたいなあ、と思っていたんですが、行ったらやってたんですよ、由美香さんの映画を。それでびっくりして、真喜屋さんに那覇にある制作会社からキャメラを借りてもらって、3日間通ったんですよ。それで首里劇場の支配人さんに「こういう映画をつくってるんですけど」と言ったら、あっさり許可してくれて撮影できた。
わたなべ そのときにこれをラストに持ってこようという意図はあった?
松江 漠然とですね。僕のなかのエンドクレジットは、『あんにょん由美香』のおわりと「純子」のおわりをシンクロさせることだったんです。「純子」のラストを由美香さんの顔で終わらせているから、そこで「純子」のエンドロールが流れ、そのあとに『あんにょん由美香』のスタッフロールが流れるという。でも、あの沖縄を見つけちゃったらねえ、やっぱり使いたくなりますよ。
ただ、向井くんは由美香さんの映画をラストにもってくるというのは気に入ってくれてたんですけど、僕があのラストに納得できたのって、本当に最近なんです。というのは、去年、僕の周りで、父が亡くなり、祖母が亡くなり、映画学校の同期の林田(賢太)くんは『ブリュレ』の上映中に亡くなり、高崎映画祭の茂木さんが亡くなり……自分にとってだいじな人たちが亡くなるのを間近で見た。それから親族のあいだでちょっとトラブルがあったんです。なにか自分にとっていま信じられるものは映画しかないという気持ちになったんですね。あと、一緒に映画をつくっている仲間に対する思いとか。間違ってるかもしれないけれど、これは正直な気持ちで……。だから、『あんにょん由美香』の作業も一時、ストップしちゃったんですよ。
わたなべ その間に『ライブテープ』をつくったわけですね。
松江 そう。『ライブテープ』を挟んだから、これを完成することができたんです。『ライブテープ』をやることで、仲間たちを一回確認して、というか。あの映画のラストで言っているように、音楽や映画を信じたかった。そういうことをやって、ああやっぱり俺は映画で生きていこう、と確信が持てた。それが『あんにょん由美香』のあのラストにつながったという感じですね。
2008年の5月に、もう自分ではどうにもできなくて、映画学校の同期の豊里(洋)に「荒編でもいいからまとめてくれるか」って頼んでやってもらったんですが、そこでまた気づいたことがあった。彼はインタビューをまとめる以外に、ちょっとオフっぽいカットも入れていたんです。たとえば、野平俊水さんが「こんな題材で面白くなるとは思わなかった」って話すところとか、ああいうのは豊里が全部残してくれたんですよ。それで「ああ、こういうのもいいなあ」と。平野さんが僕に「覚悟あるのか?」って訊くところ、あれ僕は入れる気なかったんですよ。あと、北海道の道ばたで僕がおちんちんしごいてるところとか。豊里はそういうところばっかり入れてきたんですね。それを観たときに、今回はフェイク・ドキュメンタリーをやろうとしていたけれど、やっぱりセルフにもっていって、自分の言葉でつくらないと駄目だな、とあらためて気づきました。
わたなべ 編集にほかの人を入れたのは初めてですよね?
松江 初めてです。そのバージョンが3時間半あったんですよ。そのあと僕が編集して、去年の12月の段階で2時間40分くらい。直井さんに「もうこれ以上切れない」と言ったら、「まあ、それは気にしないでベストな形にしてほしいけど、できれば2時間を超えないでほしいなあ」ということで(笑)。
それでもいまの形にできたのは、『ライブテープ』をつくったことと、豊田さんの音楽が大きかった。豊田さんに2時間40分のバージョンを観てもらって、それでできてきた音楽というのがまた……。豊田さんって壊す方向で音を入れてくるんですよ。映画をご覧になった皆さんがどう思われるかわからないけど、僕にとっては全部意外な曲なんです。映画のはじまりも、最初はギターの音が入っていたのに、「あらかじめ決められた恋人たちへ」の池永さんにお願いしたとたん、「ピアニカでいくから」と言い出して。それから、男ばっかだとむさいからっていうんで、川本真琴さんの歌をああいう早い段階で入れたりとか。松尾さんやいまおかさんのシーンにも、僕が豊田さんのアルバムの曲のこんな雰囲気の曲です、って参考で入れたら、全然違う雰囲気の曲をつくってくるし。もちろん豊田さんの意図がそこにはあるわけです。僕がセンチメンタルな気分で入れてくるものに対して、豊田さんの解釈はまったく違っていたりとか。そうやって人の目が入ることで、また尺が縮められましたね。
ただ、ひとつ言っておきたいのは、最初のバージョンから構成上、一人も切っていないんですよ。周りの人たちは、エピソードを丸ごと切らなければおさまりがつかない、と言ったんだけど、こうなったら意地だ、テンションや間を詰めるだけで短くしてやると決めて、2時間以内にもっていった。韓国語に関しても苦労しましたね。僕は韓国語がわからないから、通訳に入ってもらって、それこそ言葉を発する息つぎのところで切るとか、そのへんもかなり細かく編集で詰めました。
佐野 韓国といえば、純子の夫を演じた俳優がエロ映画に出演したことで仕事がなくなったとか、日本とのエロに対する理解度の差が浮かび上がってくる点も印象的でした。
松江 日本ってエロに対して、すごく寛容じゃないですか。韓国から帰ってきて、日本の電車の中吊り広告とか見ると、異常だなって思いますよ。韓国にはああいう扇情的な広告はないし、ピンク映画イコール風俗と同じくらいのあつかいなんです。僕も向こうに行くまえは、同じエロ業界の人だし、大丈夫だろうと思っていたんだけど、じっさい行ってみると、それぞれがエロ映画に関わったことを非常に恥じている。そういう現実を目の当たりにして、さらにドキュメンタリーとしてのハードルが上がり、面白くなってきたな、というのはありました。
だから、僕はこの映画のだいじなところって、やっぱり皆が語っているところというか、違和感も含めて口にしているところだと思うんです。平野さんだって、「俺は由美香ものができない」ということをカメラの前で言ってくださってるんですよ。韓国の人たちも「自分は恥じてる」ということをカメラの前で言ってくれる。由美香さんに対する思いも含めて、僕はそれがこの映画を撮っていて、なによりうれしかったことですね。じっさい、由美香さんに関わる映画には出られない、と断られた人もいましたから。由美香さんと親交があったり、僕がこの時期にこういう映画をつくろうとしていることへの抵抗があったりして。
わたなべ だから、当たり前だけど、これは松江監督から見た由美香さん像なんですよね。
松江 そうそう。いや、だから、いまでこそこういう映画になったけれども、当初はこれをフェイク・ドキュメンタリーでやろうとしていたわけですからね。それはなぜかというと、由美香さんの人生そのものが本当か嘘かわからない。だったら、劇映画的な部分とドキュメンタリーの部分とが、ごっちゃになるように描いたほうが面白いんじゃないか、と。ただ、そこで語られている言葉は「本当」としよう。その「本当」のなかから嘘がつくれないか、みたいな。要するに、この映画をハッピーエンドにしたかったんですよ。そこは映画が完成したいまもズレてない部分だとは思いますけど。
出会うこと、あるいは批評の不在
| 林由美香を撮るということ | ハッピーエンドを発見する
わたなべ ぼくは由美香さんの葬式にも行ったけど、接点は『ミス・ピーチ』だけだったんですよ。あれにエキストラで関わって。それで東映ラボ・テックの試写に行ったときに、亡くなったことを聞いた。
松江 『ミス・ピーチ』の初号試写を、由美香さんの誕生日にやったんですよね。2005年の6月27日。僕はその前日、夜中の1時くらいに宮下さん(当時ハマジムの広報担当だった宮下博太氏)から電話をもらいました。「びっくりしないで聞いてほしいんだけど……由美香さんが亡くなった」って。由美香さんはピンク映画の人たちとも付き合いがあったけど、ハマジムはまったくないんですよ。「その人たちの連絡先がわからないから、わるいけど松江監督、伝えてくれないか」と言われて。それでまず坂本礼さんに電話をして、いまおかさんとかにも伝わったんじゃないかな。試写があるのは知ってたけど、映画はちょっと観れないなあ、と思ったし、その日は映画学校で人間研究の発表会があったんです。でも、やっぱり途中で行きたくなって、ラボ・テックに向かいましたけど。
わたなべ 映画はコメディなのに、初号のラボ・テックの雰囲気は「お通夜」でしたね……。普通は終わったあと飲み会をするのに、それもなくて……。さっきも言ったように、由美香さんって本当にそれぞれの人のなかで大きな存在だから、松江監督がいま由美香さんを映画にするのは大変だと思うし、よく挑戦したなと思う。ただ、由美香さんを知らない若い人たちにどうやって届けるのか、というのはやはり課題ですよね。
松江 この映画に関しては「とにかく観て!」としか言いようがなくて。観たうえで、こう思う、と言うならわかるけど……。逆に全然由美香さんを知らない人は、まったく違うベクトルでこの映画に向き合ってくれるんじゃないでしょうか。
それと僕がこの映画で描きたかったのは、もちろん由美香さん本人は外せないけれど、由美香さんに関わった男たちの映画をつくりたかったんですよ。生きてる人の映画をつくりたかった。彼らがどんな顔をして、亡くなった人のことを思い、また新しい物語を紡いでいくのか。だから、由美香さんを知らなくても、この男たちを見て、こんな人たちに愛されていた由美香さんのことを知ってほしいし、出会ってほしいんですよ。そして『たまもの』や『由美香』や「硬式ペナス」といった作品を観てほしい。人がいなくなっても、映画は生きつづけるし、過去が現在と出会うこともできる。僕はそういう映画の力を信じているんです。
彼女の出演作を全部観ている人もいない。本人でさえ把握できていないんですから。つかまえたと思ったらすり抜けていく。そして、気づいたときにはもういない。だから、この映画の由美香さんだって、人によって見え方が違うと思うんです。林由美香と関わりをもった男たちがいて、そんな彼らを撮っている僕がいる。その「関係性の真実」だけを見てくれればいいんじゃないか、と。
わたなべ 同じ意味で『ライブテープ』だって、前野健太という人を知っている必要はないわけで。ただ、あの映画を体験しに来ればいいんですよね。
松江 でも、いまの観客はそういうものを映画に求めなくなっているような気はします。だからこそやらなきゃいけないな、とは思いますけど。そこが届かなくなったら、ねえ。もうひとつは、いわゆる批評の不在に対する疑問というか、ライターや批評家の人たちがこういう僕らのやってることをスルーしないでほしいですよね。「いまは書けない」とか「一般的でないから」とか、ちょっと待って、と思いますよ。
わたなべ 全体の中の立ち位置で、ものを書く人もいますからね。「好きな作品を嫌い」と書いたり。
佐野 個人の感情じゃなくて、全体の中での立ち位置をさがす、みたいな考え方になってるんですね。
わたなべ こっちは作品で闘ってるんだから、おまえもやれよ、と。
松江 だから、僕はいまの批評の不在というのは、作品と一緒に闘う人たちがいないってことだと思うんです。たとえば、僕が文章を書いたり、映芸のベストテンに参加したりするじゃないですか。あれってある意味、僕はまずいと思うんですよ。でも、そうでもしないと闘えない状況というのも一方にある。僕がなぜ批評するかというと、それは僕の作品のためなんですよ。僕がこういうふうに映画を観てます、と表明することは、イコール僕はこういうふうに映画をつくってます、ということなので。誰かがつくった映画に対して辛辣な意見を言うことは、当然自分のハードルを上げることにもなるわけですから。
佐野 それは松江さんのブログを読んでいても感じることですね。ある映画がいま自分が映画をつくろうとしているモチベーションにどう作用していくか、という。
松江 そうなんですよ。だから、僕は映画をつくるのをやめたら、文章も書かないですよ。そんなこと言ってるけど、やってねえじゃん、ってことになっちゃうじゃないですか。
ただ、これは直井さんによく言われることなんだけど、僕のブログを見て、観る映画、観ない映画を決めているような若い人がいるって、それはすごくおかしいと思う。批評のサイトだったら、それやってもいいと思うんですよ。たとえば、批評を専門にやってる人の星取り表を参考にするとか。僕が星を付けないのは、僕の批評は、観る人のためではなく、作り手である自分に対しての表現だから。僕がボロクソに書いているとしたら、それはその作品が僕のスタンスから外れただけで、必ずしもその作品がわるいわけではない。僕にとっては、映画もブログも一つの作品なんです。
佐野 それは松江さんに限ったことではなくて、すぐれた批評は本来それだけで一つの作品なんですよね。
松江 そういうものがないから、作り手がさらに言葉で語らなければならない。
わたなべ 今年は『あんにょん由美香』に次いで『ライブテープ』が公開されるわけですが、つぎはどんな展開を考えていますか?
松江 客観的に『あんにょん由美香』という作品を観たら、この人しばらく映画撮れないな、と思いますよね。なにからなにまでブチ込んで、つぎが見えない。『あんにょんキムチ』から10年やってきて、もうこのままではできない。まあ、来月なに言ってるかはわからないですけど(笑)。
そういう意味では、『ライブテープ』が自分にとっての新しい一歩になります。いったん決めたことを、本番でどんどんぶっ壊していく。あるいはフィールドを変えて、もっと自分の表現が届くような場所に出ていく。これからはそういうことを考えながら、やっていきたいですね。
演出・構成:松江哲明 編集:松江哲明,豊里洋 構成協力:向井康介 音楽:豊田道倫
出演:林由美香,ユ・ジンソン,入江浩治,キム・ウォンボギ,カンパニー松尾,いまおかしんじ,平野勝之
柳下毅一郎,中野貴雄,野平俊水,華沢レモン,柳田友貴
挿入曲『ほんとうのはなし』(唄:川本真琴) 『さよならと言えなかった』(唄:豊田道倫)
プロデューサー:直井卓俊 撮影:松江哲明,近藤龍人,柳田友貴
制作・配給・宣伝:SPOTTED PRODUCTIONS 配給協力:インターフィルム
製作:『あんにょん由美香』フィルムパートナーズ
7月11日より、ポレポレ東中野でレイトショー公開
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