坪川 拓史(映画監督)
映画「掌の小説」について
第22回東京国際映画祭 日本映画・ある視点部門正式出品作品
山形国際ムービーフェスティバル2009招待作品
全州(チョンジュ)国際映画祭2010 公式招待出品作品
2010年3月27日(土)より、ユーロスペースにて モーニング&レイトショー他全国順次公開
映画『掌の小説』は、日本人初のノーベル文学賞を受賞した川端康成が、20代の若き日から四十余年にわたって書き続けた掌編小説が原作である。詩情あふれる豊かな感覚と、冷徹な人生観によって見据えられた人間性の本質にきびしく働きかける作品群は、痛切な現実の秘密をあぶり出して、川端文学の精華となっている。
その文豪の独自の世界観を映画化するという意欲的な企画に、現代日本映画界、気鋭の若手監督4人が集まった。今回は、このオムニバス映画の第3話『日本人アンナ』の監督であり、『掌の小説』プロデューサーでもある坪川拓史監督にお話を伺った。(取材:鎌田 絢也)
坪川拓史(映画監督)
1972年北海道出身。舞台俳優やアコーディオン奏者として活動するかたわら、1995年に8mm映画「12月の三輪車」を制作。1996年に、長編第1作目「美式天然(吉田日出子・高木均)」の制作を開始。9年という長い歳月をかけ、2005年に完成したこの作品で、「第23回トリノ国際映画祭」の長編コンペティション部門に招かれ、「グランプリ(最優秀作品賞)」と「ベストオーディエンス賞(最優秀観客賞)」をW受賞という日本人初の快挙を成し遂げる。その後も世界各国の国際映画祭に招かれ高い評価を得る。2007年、自身の脚本による長編第2作目「アリア」が完成。世界各国15か所を超す国際映画祭に招待され、フランスKINOTAYO映画祭において「Grand Prix du Public(最優秀観客賞)」を受賞。カザフスタンでは「中央アジア映画連盟」より最優秀作品に選出される。新作が期待されるアジアの新人監督の一人として、今後の活躍が期待されている。「掌の小説」では、初となるプロデュースも兼ねる。
――作品を拝見させていただきました。とても詩情あふれるフォトジェニックな世界観で、日本情緒が豊かな映画です。これは世界に誇れるオムニバス映画であると思いました。
坪川 ありがとうございます。
――まずは、この気鋭の若手作家4人で創り上げる短編オムニバス映画を立ち上げるきっかけとなったいきさつをお聞かせください。
坪川 撮影したのが3年前の今頃なので、忘れてしまっている部分も多々あるんですが(笑)。2007年の初めに、ある制作会社から企画を出すように言われまして、そこに長年映画化を妄想していた『掌の小説』の企画を提案したのが始まりです。
僕は、あまり純文学を読む方ではなかったのですが、以前から昭和初期の風俗に興味がありまして…。モボモガ達が銀座を闊歩し、芸能の中心地として浅草六区が賑わっていた頃。映画はまだ無声映画で(活動写真)と呼ばれていて、人気弁士に人々が列をなし、舞台ではエノケンやあきれたぼういずが活躍していた時代。その流れで、その頃の浅草を描いた川端さんの作品に入っていきました。「雪国」ではなくて「浅草紅団」から入っていったという感じですかね。「掌の小説」は初めて読んだ時から、『無人島に一冊だけ持って行くならこれ』というくらい思い入れがありました。
――今回はプロデューサーでもあられるわけですが、各作品を担当された、岸本司監督、三宅伸行監督、高橋雄弥監督との御関係は?
坪川 まず高橋監督から話しますと、彼は本作全体のチーフ助監督でもあるのです。僕の前作「アリア」にスタッフとして参加してくれて、それ以来の関係でした。彼が担当した『不死』は他の3作品とは違い、企画当初から第4話に置くと決めていました。しかし、他の3作が動き始めても『不死』の監督だけが決まらないまま進んでいき、そこで、他の監督とも話し合った末、この映画全体を一番身近で、なおかつ俯瞰で見ている高橋君にお願いしたという経緯です。
三宅監督と知り合ったのは、2006年に僕が審査員で参加した某映画祭の時でした。その映画祭のコンペ部門に、彼の作品が2本ノミネートされていて、その作品がとても素晴らしかったので、その後、声をかけて決まりました。
岸本監督とは、彼が映画学校の学生だった頃に知り合いました。20年程前の話なんですが、僕は当時、某劇団で俳優の勉強をしていたのですが、その劇団の稽古場の近所に映画学校がありまして、そこの学生たちが卒業制作の作品にタダで出てくれる俳優を探しに稽古場にやって来て、ひょんな事から僕が出ることになりまして。
それが生まれて初めての映画の現場でした。その映画で岸本さんは相手役の俳優だったんです。不思議な俳優さんだなぁと思っていたら、俳優じゃなくて監督だったという。そこからの付き合いです。彼は今、故郷の沖縄を拠点に活躍しています。
――この原作『掌の小説』122編ある中で、坪川監督作品となる「日本人アンナ」をテーマに取り上げられた理由というのは?
坪川 やはり、昭和初期の浅草が舞台になっている事が大きな理由でしたが、もうひとつの大きな理由は、僕は音楽の活動もしているのですが、その音楽を違和感なく効果的に取り入れて描けると考えたからです。原作では、主人公のアンナは浅草の映画館でロシアの子守唄を演奏しているという設定だったので。
当初は、同じく浅草を舞台にした「白粉とガソリン」という作品をやろうとしたのですが、予算がゼロひとつ足りませんでした(笑)。
――原作では、アンナが主人公の財布を盗むというシーンはローラースケートを見物している賑わいの最中で行われますが、映画ではちんどん屋が演奏している見物の中で行われます。この焼き直しはやはり、音楽と浅草の風俗という監督のテーマによるものでしょうか?
坪川 そうですね。そこは原作を忠実に再現しなくても川端さんは怒らないのではと(笑)。どちらにしても伝えたいことは変わりませんから。あと僕はたまにチンドン屋さんのような活動もしているので。
――物語は大正末期から昭和初期という時代背景の中で描かれております。当時の和洋折衷な文化を再現する美術プロダクションがとても印象的ですが、特にこだわった点などをお聞かせください。
坪川 各話それぞれに各監督がこだわった点はありますが、僕は、予算の許す範囲で、なるべく原作に出てきた小物を忠実に作りたいというのはありました。原作では細かくアンナの部屋にある小物が描写されているんです。衣桁に花輪がかかっていて、古いトランクとその上には豆袋があって、木馬があって、その木馬の首には勲章がかけられていて、と。それを出来うる限り美術さんに相談しながら作ってもらいました。あとは古い映画館が出てくるんですけれど、かつての雰囲気を出すのは大変でしたね。まぁ、大変だったのは美術さんなんですけど。昔風のポスターを作ったり、舞台の下にオーケストラピットを作ったり。撮影で使用した映画館は横浜にある(かもめ座)というところだったのですが、残念ながら撮影の半年後に取り壊されてしまいました。他にも古い建物や路地を求めていろいろな場所へ行きましたね。東京から静岡、最後は福島県まで。
――映画のトーン、カメラの筆致に見る質感がとても抒情的でありますが、画面のルックに対するこだわりについては?
坪川 この映画は16mmフィルムで撮影しました。予算が少ないのに『フィルムで撮れないのならやらない』って言い張ったんです。デジタルで撮っていたら、もう少し余裕が出来たかもしれないのに。でも完成した作品を観て、言い張って良かったなぁと思いました。
――映画の中で、小松政夫さん扮する木賃宿の番頭が、主人公の部屋の障子戸を「ピシャリ!」と必要以上に思い切り閉めるというシーンがありました。淡々とした展開の中に目を見張るユーモアだったなぁと今でも笑えてくるのですが、あのシーンはどのような流れで生まれたものなのでしょうか?また監督のユーモア感覚とは?
坪川 僕の理想の笑いは、死の間際にふと思い出して「あぁ、あれってこういう意味か」と気づくような笑いです。ですから「ピシャリ!」はちょっとやりすぎたかなぁと悩んでいるのですけど(笑)。もちろん自分でも好きなんですけどね。小松政夫さんには、有難い事に僕の作品へ連続出演して頂いています。僕が大ファンなので。その「ピシャリ!」も小松さんと二人で、「いやぁ、もっと早い方がいいですねぇ」「視線はまっすぐなままがいいね」などと真顔で話し合いながら楽しく撮りました。小松さんは、真の意味で芸人と呼べる最後の砦のお一人だと思っています。小松さんの芸の引き出しの数はもの凄いんですよ。ミュージカルナンバーの話をしていると、急にその辺のモップを持って、タップを踏みながら歌い踊れるし、さのさと小唄の違いを歌って教えてくれたり。これだけ出来てはじめて芸人なんだなぁと、本当に尊敬しています。
――先ほどお話にも出てきましたが、『日本人アンナ』ではチンドン屋が登場し、「美しき天然」を奏でるシーンがあります。その音色がまた郷愁を誘い、この作品に一抹の風情を与えていますが、監督の初長編のタイトルもまた『美式天然』でありました。これは間違いなく音楽家でもある監督の特徴を反映したテーマとお見受けしましたが、その辺りをお聞かせください。
坪川 ちょっとだけ自負しているのは、「単純に古い曲だから使ってるんじゃないよ」というのがありますね。映画の中で流れている音源は僕の楽団(「くものすカルテット」)で演奏したものなんですけど、僕は普段もああいう曲を聴いていますし演奏もしています。あの時代を知らないはずなのに、僕の体の中のどこかが「懐かしい」と言うんですよね。CGを使って昔の浅草を再現するような予算は無かったので、まぁ、予算があってもやりませんけど。そうではない形であの時代の空気を描けないかなと考えて入れました。あの音色というのは、多分今の若い人が聞いても「懐かしい」と感じるはずです。日本人の遺伝子の中に染み込んでいるんですかね。
――前述の美術と音楽の融合が実に日本情緒あふれる世界を演出されていて巧みですが、今回も全編の音楽を担当されているのは関島岳郎さんです。関島さんはあのチンドンからフリージャズまでといった音楽性で知られるバンド「シカラムータ」にも在籍されている方ですが、関島さんの起用はやはり音楽関係の交友からでしょうか?
坪川 自慢ですけど「シカラムータ」さんの別働隊「ジンタらムータ」さんとは、かつて共演させていただきました。しかもその時一緒に演奏した曲が「美しき天然」(笑)。僕は、関島さんの事はコンポステラ(篠田昌已、中尾勘二、関島岳郎のトリオ)時代から大好きで、僕の『美式天然』のラストに関島さんの名曲「最初の記憶」をどうしても使いたいと思い、関島さんにお願いをしに行ったんです。関島さんは「あ、どうぞ、煮るなり焼くなり好きにしてくださーい」と快諾してくれまして(笑)。そこで僕は調子に乗って「すいません!全体の音楽も…」とお願いしましたら「あ、楽しそうだねぇ」と(笑)。それで『美式天然』の音楽をやって頂きました。とても楽しく共同作業ができまして。で2作目の『アリア』もお願いして、今回も引き受けて頂きました。きっと次回も…。
――フェリーニとロータのような名コンビですよね。
坪川 なりたいですね~(笑)。まず僕がフェリーニになれるのかという大きな問題がありますけど。関島さんは『掌の小説』に、チラっと出演もしているんですよ。全員で合奏するシーンの後方でテューヴァを抱えていらっしゃるのは関島さんです。ちなみにそのシーンには、シカラムータにも参加している川口義之さんにも出演して頂いております(笑)。
――(ここで時間が来てしまう)まだまだお話をお伺いしたかったのですが、最後の質問は監督にお選び頂きたいと思います。映画『掌の小説』は、いづれの4作品も、女性を見つめる視点が印象的な作品です。監督にとっての女性とはどのような存在であるか?また、今後こうした意欲的な短編映画、オムニバス映画が生まれくる可能性とは?来るべき映画の未来についての私見をお伺いしたいと思っておりました。どちらがよろしいでしょう?
坪川 女で!(笑)
――(笑)それでは、坪川監督にとっての女とは?
坪川 うーん、やっぱり難しい質問だ(笑)。やっぱりねぇ、すべては女で出来てますよね。全ては女から生まれて、終わるのも女でなんだろうなぁ…ってそういう話じゃないですよね(笑)。川端さんはきっとあの大きな目で女の人をジーッと凝視していたと思いますが、僕はまだそこまで行けなくて、『日本人アンナ』の福士さんのように、まだ襖の隙間から覗いている感じですね。でも、これまで生きてきて、いつも曲がり角には、女の人がいましたねぇ…ってそういう話じゃないですよね(笑)。まぁ、女の人には足を向けて寝られません(笑)。
坪川監督の長編一作目『美式天然』、二作目『アリア』ともに、日本での公開は未だ決まっていないという。しかし、いち早くヨーロッパでは、その特異な作風が映画祭を通じて紹介され、新しい日本情緒をポエジー豊かに描写する作家として注目を浴びているのだ。鮮烈なイメージに匂い立つような抒情は、音楽家でもある坪川監督の独自の美学に基づいた資質がよく表れている。近日公開となる『掌の小説』で、その才能の片鱗がいよいよお披露目である。
(取材:鎌田 絢也)
原作:川端康成(新潮文庫) 監督:坪川拓史,三宅伸行,岸本司,高橋雄弥
プロデューサー:浅野博貴,坪川拓史,小林洋一 撮影:板垣幸秀,八重樫肇春 照明:田中利夫
録音:山方浩 美術:太田喜久夫,井上心平 衣装:宮本まさ江 メイク:清水ちえこ 特機:枡井正美
音楽:関島岳郎 制作:T-artist 主題歌:「四季」Kagrra,(KINGRECOREDS)
出演:吹越満,夏生ゆうな,寉岡萌希,中村麻美,長谷川朝晴,福士誠治,清宮リザ,菜葉菜,香椎由宇,
奥村公延,小松政夫,コージー冨田,星ようこ,森下哲夫,内田春菊,内田紳一郎,有川マコト,三浦佳子
2010年/日本/80 分/カラー&モノクロ/35mm/ステレオ
製作:「掌の小説」製作委員会 配給:エースデュース 配給協力:グアパ・グアポ
(C)「掌の小説」製作委員会
2010年3月27日(土)より、ユーロスペースにて
モーニング&レイトショー他全国順次公開
主なキャスト / スタッフ
TRACKBACK URL: