第八回 『別冊映画秘宝 80年代悪趣味ビデオ学入門!』
「別冊映画秘宝」のラインナップに、先ごろ、『80年代悪趣味ビデオ学入門』というタイトルの一冊が加わった。
筆者は、このムックシリーズを、毎回、特別な(格別ではなく、特別な)思い入れとともに読みつづけてきたが、今回のこの本に関しては、さらに特別な感慨を持った。
その感慨の正体を探るために、やや長い文章を書くことになるが、どうかお付き合い願いたい。
いま20代から30代くらいの映画ファンにとって、最も思い入れの深い映画雑誌は、「キネマ旬報」でも「映画芸術」でもなく、ましてや「カイエ・デュ・シネマ」でも「リュミエール」でもなく、おそらく「映画秘宝」だろう。
昨年公開された吉田大八監督の『桐島、部活やめるってよ』は各方面で評判を呼んだが、神木隆之介演じる主人公の前田くんが愛読している映画雑誌が、朝井リョウの原作では「キネマ旬報」であったのに対し、映画では「映画秘宝」に変更されていたのが印象的だった。
前田くんとは世代が違えど、筆者も「映画秘宝」の洗礼を受けた映画少年の一人である。
南青山の路地裏にあった映画グッズ専門店シネシティ(運営元はウォン・カーウァイやツァイ・ミンリャンの作品の配給を手がけたプレノン・アッシュ。ちょうどこの原稿を書いている最中に倒産の報せを聞いた)で、その創刊号『エド・ウッドとサイテー映画の世界』を手にしたときのワクワク感は忘れられない。
いや、正確に言えば、筆者はその少しまえに同じシネシティで手に入れた一冊の映画本から、すでに大きな衝撃を受けていた。
江戸木純なる映画批評家が著した『地獄のシネバトル』(1993年刊)というその本、太帯に「ポン引き映画批評宣言!」と大書きされた見た目のインパクトも強烈だったが、内容はさらに凄かった。『死霊の盆踊り』『ベルリン忠臣蔵』『ギャグ噴射家族』といった珍妙なタイトルの映画が、当時発売されたビデオのパッケージとともに紹介されているさまは、まるで吹きだまりのクズ市を散策するかのような淫靡な愉しさに満ちていた。そして、著者の江戸木氏こそは、かつて、それらの映画ビデオに扇情的なタイトルと嘘八百のキャッチコピーをつけて世に送り出した張本人だったのだ。
筆者はそれまで映画批評家の仕事とは、数ある映画のなかから観る価値のある傑作・佳作を選別し、その魅力を読者に伝えることだと思っていた。しかし、ここでは映画史に残らないどころか、一瞬姿を現しては消えてゆく文字通り「クズ」のような映画たちが、隠しようもなくあふれだす猥雑なパワーで、私たちの心をとらえていた。
つまり、映画を観る、あるいは批評する際に「悪趣味」という切り口が有効であることを、このとき筆者は初めて理解したのである。
その少しあとに、『地獄のシネバトル』の版元である洋泉社から『悪趣味洋画劇場』(1994年刊)というそのものずばりのタイトルを冠するムック本が出た。この本は、当時洋泉社が断続的に発行していた「キーワード事典」シリーズの一冊として、その最末期に刊行されたものである。「キーワード事典」シリーズ、いまでも古本市を覗くと500円前後で転がっているから、何冊か読んだことのある人は多いだろう(私事で恐縮だが、このシリーズを中心的に編集していたS氏こそ、筆者がかつて働いていた零細出版社の代表を務めていた人物である)。音楽(クラシック、ジャズ、ロック、ポップス)、美術、そして映画をカバーしたガイドブック的な体裁のシリーズで、代表的なタイトルに『朝までビデオ』『映画の現在形』などがある。
いま「ガイドブック」という言葉を用いたが、すぐれたガイドブックとは、一見「ただのガイドブック」のように見えて、ほんの一味か二味、独自の味付けがほどこされている。いわゆる論集やエッセイ集に比べて、ガイドブックが書評の対象となる機会はきわめて少ない。それでも、いやだからこそガイドブックの編集者や執筆者は、そのほんの一味に気づいてくれる読者の登場を心待ちにしているのだ。
「キーワード事典」は、まさしくそのような一味が効いたムックシリーズだったが、そんななかにあっても『悪趣味洋画劇場』の特殊さは際立っていた。
その後、ムック時代の「映画秘宝」を手がけることになる宇川直宏の、コラージュを基本としたブックデザインは、ヤバイ本を手に取ってしまった、という背徳感が満ちあふれていた(「映画秘宝」月刊化以降の高橋ヨシキ氏によるデザインもかっこいいけれど、宇川時代のあの得体の知れない異様さはない)。
そしてなにより中原昌也、ダーティ工藤、藤原章、藤木TDCといった個性的な執筆陣の「芸文」にやられてしまった。
この『悪趣味洋画劇場』の担当編集者が現在、「別冊映画秘宝」シリーズの編集を手がけている田野辺尚人氏である。
一方、『地獄のシネバトル』や『悪趣味洋画劇場』が刊行される少しまえ、洋泉社の親会社である宝島社は、やはりディープな映画ムックシリーズ「映画宝島」が刊行を開始していた(ゼロ号と呼ぶべき「発進準備イチかバチか!号」は1990年刊、その後別冊宝島のシリーズ内シリーズとして3冊が刊行された)。この「映画宝島」の発行仕掛け人である町山智浩氏と田野辺氏がタッグを組み、1995年、いよいよ「映画秘宝」が創刊されるのである。
「映画秘宝」創刊当時の、映画雑誌をめぐる、一言で言えば「低迷」した雰囲気を、筆者はたしかに記憶している。その象徴としてあえて名前を挙げさせてもらうが、当時の「キネマ旬報」は誰の目にも明らかにマンネリ化していた。多くの映画ファンが「硬直化」「権威主義」と同誌を批判し、筆者自身もそのように感じていた。わかりやすく言えば、時代の流れと完全にずれている気がした。
では、「映画秘宝」が創刊された90年代の映画状況とは、はたしてどのようなものだったのか。[つづく]
(2013.3.31)
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