イ・ヒョンジュ (監督) 映画『恋物語』について【3/4】
第17回東京フィルメックスのコンペティション部門上映作品
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──それというのは、父親の理想的な娘を振る舞わなければいけないという意識がジスの中に植え付けられている部分があるのでしょうか。
ヒョンジュ ジスは少し前に母親を亡くしているのですが、亡くなる前までは両親とも距離を開けてソウルで自由に生きようと思っていたのではないかと思います。ですが母親が不在になり、父親がひとりになったので実家に戻ると、娘として、子どもとしての姿を父親の前では見せたいと考えているところがあったと思います。また、母親と娘の関係よりも、父親と娘の関係の方がちょっとぎこちなさがあるような気がします。よく見ると、知人の結婚式から父親が帰ってくる場面で、ジスは父親を出迎えることは出迎えるのですが、父親が脱いだ服を受け取ったりはしていません。このシーンは、父親と娘のふたりの関係が少し見えるシーンになっています。彼女としても父親に対して尽くしてあげよう、よくしてあげようとは思っているのですが、実際のところは、ふたりはそこまで和やかな関係ではないことがわかるかと思います。
──ジスは父親に最後まで打ち明けることができないまま映画は終わりますが、物語上、打ち明けるという選択にしなかったのはなぜでしょうか。映画的には、たとえばカミングアウトして何か騒動が起きた方がサスペンスや盛り上がる部分が生まれるような気もします。
ヒョンジュ その点は、以前作った短編『Ordinary Family』(ショート・ショート・フィルム・フェスティバル2015にて『ごく普通の家族』というタイトルで上映)で少し試みてはいました。それはサスペンスとまでは行かなかったんですが、カミングアウトするところをちょっとユーモラスに描いたものでした。その作品の中では、カミングアウトしたからと言って、受け入れないわけでもない家族がいるというようなお話になりました。ですが本作においては、今の韓国の現実の中で果たして父親に言えるだろうかということを考えてみました。母親だったらまだ少しだけ気楽に言えるところがあるかもしれませんが、あの父親の前でジスが自分の本心をさらけ出すというのは難しいのではないかなと思いました。誰か紹介された男性に会わないとか、ほかの伝え方で遠回しに言うことはできたかもしれないのですが、そんな風に撮ってしまうとあまりにも映画的過ぎるのかなと考えました。
──今回のフィルメックスのコンペに同じく選ばれた『私たち』もすごくいい作品で、これも女性が監督(ユン・ガウン)です。また、2014年にフィルメックスで上映され、翌年日本で劇場公開もされた『私の少女』も女性監督(チョン・ジュリ)でした。近年、韓国で女性監督が優れた作品を作られている印象があるのですが、そのような実感はありますでしょうか。
ヒョンジュ 実は、女性監督がなかなか作品を発表するというのが簡単ではない状況なのですが、そのような中でも今年はイ・ギョンミ監督が『荊棘の秘密(原題:秘密はない)』(2016)という映画を撮りました。興行的にはそこまで成績は芳しくなかったのですが、女優のソン・イェジンさんを主演に迎えて、女性の物語を撮った作品です。『私たち』も女性監督の作品ですし、今、女性の主人公に対しての関心も少しずつ増えている状況ではあるかと思っています。ただ、最近の韓国の商業映画を見ると、組織暴力団やヤクザが出てきて、犯罪が起こり、そこにまた感動がないといけない──そしてこれらのことをすべてひとつの映画の中に入れなくてはいけない圧迫感もどこかにあり、みなさん似たような作品がどんどん作られていっている気がしています。いわゆる男の物語が映画にされがちなんですが、でも観客に対しての理解を示すためにも、そういった物語だけではなくほかの物語、小さい物語もやはり必要であるということが最近は思われるようになってきています。小さい映画も少しずつですが、作られるようになってきていますし、観客のみなさんからよい反応も得られています。
監督:イ・ヒョンジュ 出演者:イ・サンヒ、リュ・ソニョンほか
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