大塚 信一 (監督)
映画『横須賀綺譚』について【3/4】
2020年7月11日(土)より新宿k’sシネマにて3週間レイトショー
公式サイト 公式twitter (取材:深谷直子)
――映画は知華子の引越しのシーンで始まって、部屋から大量の本が運び出され、空っぽになった本棚の前で春樹が寝てしまうことから不思議な展開をしていくのですが、「本」に込めた意味はあるのでしょうか?
大塚 本は記憶の象徴ですね。空っぽの本棚を見ることで、歴史や記憶をないがしろにする僕らの空虚さをダブらせたかったんです。このシーンは本当は大学図書館で撮りたかったんですが、ロケ地が見つからなかったので、仕方なく僕の自宅で撮りました。映っている本も僕のもので、背表紙が見えるものは小説家志望の女性が読むような本をセレクトしていたんですが、テイクを重ねるうちに選んで並べている余裕がなくなっていって、うまくいかなかったですね。でも本で表現したかったのは記憶の問題です。
――『横須賀綺譚』というタイトルはどのようにつけたんですか?
大塚 シナリオは『すべては変わってしまった。のに、なにも変わらない』というタイトルで書いていて、そのまま撮影に入ったんですが、それを映画のタイトルにするつもりはなくて、クランプアップの日に『〇〇奇譚』がいいなと思い付きました。『震災奇譚』はどうかな?と思って、監督補をしてくれた『カメラを止めるな!』(17)の上田慎一郎くんに訊いてみたら、「僕はそんな映画絶対観ないです!」と言われて(苦笑)。それで、横須賀で撮ったしその地名が重要だったので、永井荷風の『墨東綺譚』のように「地名+綺譚」をタイトルにしました。糸へんの「綺譚」というのは永井荷風の造語らしいです。このタイトルがわりと評判よく、心に留めていただけるようなんですが、上の世代の方には結構批判されますね。足立正生さん、長谷川和彦さん、荒井晴彦さん3人別々に話を聞いて、「なんで横須賀で撮って米兵をキャラクターとして出さないんだ」と、3人から同じことを言われました。ああそうか……と。でも外国人をキャスティングする予算も精神的な余裕もなかったですね。
――ああ、そこまでできていたらもっと面白くなったかもしれませんね。でも基地は外さず撮っていて。すごく自然なシーンになっていますね。
大塚 フェスティバルのときにゲリラで撮っていますからね(笑)。役者が飲食のブースに普通に並んでいます。
――錚々たる監督たちに意見をいただけるのもすごいことだと思います。長谷川和彦監督に師事していたそうなのですが、経歴について詳しく教えていただけますか?
大塚 大学を卒業して就職活動をし始めたとき、ぴあの1行広告で「長谷川和彦監督が助監督を募集」というのを見つけて、僕は長谷川監督のことを知らなかったんですが、僕の勤め先に監督の麻雀友達という人がいて、すごく面白い人だと聞いていたし映画も好きだから行ってみたんです。1年後に審査があって、それになんとか残り、時間にしたら12時間ぐらいになる『連合赤軍』の脚本がそのとき既にあったんですが、その手伝いをしていました。ただ、長谷川監督は基本的に現場のない監督なので、助監督といっても現場のことは覚えないですよね。シナリオの資料を集めるために国会図書館に行ってコピーして、自分でもちょっと書いてみて。それを20代のときに仕事をしながら5、6年続けて、このままだといつ現場が踏めるかわからないから、これは自分で撮ろうかなあと。
――長いお付き合いなんですね。長谷川監督からどんな影響を受けましたか?
大塚 直接的な影響というのはないんですが、いちばんの影響は、僕は生活費はラーメン屋の仕事で稼いでいて、映画を撮るのは生きるためとは別腹なので、撮るときの志の高さというものかなと思います。現場ではもちろん妥協することもたくさんあるし、目を覆いたくなるような失敗もたくさんしていますが、「こういう企画でこういう映画を撮るぞ」とあげた手の高さは誰にも負けないつもりでいます。それが長谷川監督から学んだものですね。
――なるほど。その後、映画学校に行かず、現場の経験もないまま長編を撮ってしまったんですね。
大塚 はい。先ほど話したように、長編を1本撮ってから短編を撮ってみるかと思ってこの映画が始まっていったんですが、僕は映画学校の類に全然行ったことがなく、シナリオぐらいは勉強しないとまずいかな?という反省があって。でも仕事があるし、子供も生まれたので映画学校に通う時間的な余裕はないな、と困っているところに、榎本憲男さんという方が開いている「シナリオ座学」のことを知って、4時間の講座を月1回、というペースなのでこれなら通えるなと。書いていったシナリオを榎本さんに添削してもらいながら書き進めていきました。
――そうなんですか。私は榎本さんに何度かインタビューをしていて、「映画史座学」に通っていたこともありますよ。
大塚 そうでしたか。かなり手厳しい方ですよね(笑)。そのとき『カメラを止めるな! 』の上田慎一郎くんも座学に通っていました。受講生でタバコを吸うのが僕と上田くんだけだったので、休憩時間に喫煙所で喋るようになり、仲よくなって。「映画を撮るんだけど、映画学校に行っていないので、助監督や制作などをお願いできる知り合いがいない」という話をしたら「手伝いましょうか?」と言ってくれて。
――おお、親切ですね! この映画には『カメ止め』の長屋和彰さんも出演していますが、撮影したのは『カメ止め』前になるんですか?
大塚 『カメ止め』を撮り終えた後で、公開前です。『横須賀綺譚』がクランクアップしてから彼らは『カメ止め』の公開に打ち込んで、バーン!と行って、「マジックだ……」って(笑)。『カメ止め』に遅れること2年でようやく僕の作品も公開を迎えます。
――楽しみですね。コロナでの延期もあったので、本当にいよいよという感じですが、昨年のカナザワ映画祭で評判になりました。
大塚 はい、いろんないいコメントをいただいて。特に審査員だった森義隆監督から評価の言葉をいただきました。