大塚 信一 (監督)
映画『横須賀綺譚』について【1/4】
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2020年7月11日(土)より新宿k’sシネマにて3週間レイトショー
カナザワ映画祭2019「期待の新人監督」部門で上映され、注目を集めた大塚信一監督による人間ドラマ『横須賀綺譚』が、コロナ禍による延期を経て、いよいよ7月11日(土)より新宿ケイズシネマ他にて公開される。東日本大震災から9年後、仕事に追われ孤独に生きてきた男が、被災して死んだものと思われていた昔の恋人が生きているかもしれないとの怪情報を得て旅立ち、再生していく様を描く。小林竜樹、しじみ、川瀬陽太ら気骨ある俳優陣が織りなす不思議な物語に翻弄され、記憶や人間の存在の不確かさに想いを巡らせたあと、「これからどうなるんだろう?」とさらに謎を投げかけるラストシーン。あとあとまで一人で考えたくなる、そして人と語り合いたくなる映画である。長谷川和彦監督に師事し、現場は踏めぬまま志を引き継いで、5年がかりで本作を完成させた大塚監督にお話をうかがった。 (取材:深谷直子)
STORY 結婚目前だった春樹と知華子は、知華子の父が要介護になったため、別れることとなった。春樹は、知華子との生活と東京での仕事を天秤にかけ、仕事の方を選んだのだ。それから震災を挟んだ9年後、被災して死んだと思われていた知華子が「生きているかもしれない」との怪情報を得た春樹は 半信半疑のまま、知華子がいるという横須賀へと向かう。
――『横須賀綺譚』、タイトル通りの複雑怪奇な物語を堪能しました。重層的でいろいろなことを考えさせられましたが、もともと短編として構想していたとのことですね。
大塚 フィリップ・K・ディックの『地図にない町 』という短編があって、それを元に短編映画を撮ろうと思いました。『地図にない町』というのは、都市開発計画が議会でギリギリで否決されてしまって存在しなかった町があり、電車に乗ると、ときどきその町の幽霊みたいな駅に着くという話です。僕は長崎出身でして、その短編を元に、長崎に原爆は落ちていなかった、被爆はなかった、という『二十四時間の情事 』(59)の現代版のような話をやったら面白いんじゃないか?と思ったのが最初です。その後、「今この話を描くなら舞台は福島だな」と思い、長編に膨らんでいったんですが、最初の切り口がSFなので、いわゆるジャンル映画、娯楽映画と、福島という重い問題を含む人間ドラマとがうまく混ざり合わなくて、どうしたらいいか考えている中でフェイクニュースというものに思い至りました。当たり前だと思っていた事実が嘘で塗り変えられてしまう、例えば原爆についても「原爆は落ちていない」とか「アメリカではなく中国が落とした」といった流言がまことしやかに飛び交いかねない時代の中、社会派映画とも人間ドラマともSF映画とも言えない妙な感覚が意外と受け入れられるかもな、と思いました。今またコロナという異常事態に突入してしまって、「あんな出来事があったことを忘れてしまっているんじゃない?」ということを描く映画が、どう受け止められるんだろうなと思っています。
――この作品の前にも自主映画を作っていたそうですね。
大塚 長編を1本撮りました。公開しようとしたんですがなかなかうまくいかず、1、2年寝かせた状態になっていたので、それを公開するために短編を撮ってみるかと。それと一緒に長編も売り込もうと考えたんです。
――そういう作品があったんですか。その1作目はなんという作品なんですか?
大塚 『アメリカの夢』という作品です。実はコロナの問題が起こる前は、『横須賀綺譚』と一緒に『アメリカの夢』もかけていただけるという話が動いていたんですよ。でもこういうことになって、それはやめておこうということになったんですが。
――どんな作品なんですか?
大塚 今回のと似たところがあって、9.11をテーマにした映画です。僕には外部からガツンと大きな力が来て、日常が非日常になる瞬間を描きたがるところがあるんでしょうね。
――ぜひその作品も観てみたいですね。『横須賀綺譚』の方は、震災で亡くなっていたことになっていた昔の恋人が、実は生きていたというところから始まる不思議なストーリーに、記憶に関する哲学的な要素や、高齢者介護の問題なども織り込まれる作品になりましたが、どうやって物語を作っていったのですか?
大塚 ひとつ大事なテーマとしては、キャッチコピーではないですけど「幽霊に会いに行く」というのがありました。この間バーで飲んでいて、隣に座っていた男性に映画のチラシを渡して話をしていたら、その人も映画と同じように結婚を考えていた女性と別れたあとで震災に遭うという体験をしていて、結婚していたら東北で暮らすつもりだったから、今どうなっていたかわからない……という話をしてくれました。僕は「幽霊」という言葉を使っていますが、それが実際に死んでしまった人物とかだけではなく、「あのとき東北にいたらどうだっただろう?」という可能性みたいなものも含むとしたら、無数の幽霊に囲まれて僕らは生きていることになる。その幽霊の存在を介することによって、人は他人に共感したりできるんだろうなと思います。「あのとき東北にいたら」と考えることによって、東北に自分の気持ちを引き寄せることができると。「慰霊」の問題ですね。平和祈念公園や靖国神社といった慰霊の空間が都市の真ん中にあるのは、慰霊というものが人と人を結びつけ、気持ちを通わせるからだと思います。死者を悼むというだけではなく、「あのとき自分がああしていたら?」と可能性に思いを巡らせる、そういう「果たされなかった約束」のようなものがあるから人は生きられると思うんです。そう考えて社会派映画とSFとが結びつけられると思いました。自分でも珍しい映画ができたなと思います。嘘と現実を等価に描いているので、どう受け止められるのかな?と。
――夢なのか?現実なのか?という描写がたくさん出てきました。幽霊ではないはずの人も不思議な登場の仕方をして、例えば主人公の春樹が女友達と再会するシーンでは、彼女が運んでいるダンボールが宙を漂っているように見えましたし、同僚が老人ホームを訪ねてくるシーンもいつの間にかヌッと立っていた感じで。あえてそうしているんですか?
大塚 登場の仕方はわりといろいろ工夫しましたね。僕は基本的に演出にはド素人で、芝居をどう導いていけばいいのかがわからないので、せめて役者が登場するシーンだけはしっかり考えていこうと思いました。設定はとにかく面白くやろうと、そこをしっかり設計しておけば途中で困ってもある程度は行き着くんじゃないかなと思って、クランクイン前から考えていました。
――撮影場所も、歩道橋やトンネルなど異界の入り口を感じさせるところが多かったです。トンネルは内部がやけに明るかったりして、見せ方も工夫しているなあと。
大塚 橋とかトンネルというのは此岸と彼岸を結びつけるものですから、この映画では象徴的に使っています。あのトンネルはY字路みたいになっているんですよ。もともとディックの短編を撮ろうと考えていたときに、ゴーストタウンを探していて、横須賀にそういう場所があるのでロケハンに行ったんです。結局そこは使わなかったんですが、すぐ近くにあのトンネルがあって、ヤバい磁場が発生している感じで(笑)。ゴーストタウンの磁場があるのか、面白い場所だなあと思いましたね。
――(笑)。ロケハンにはかなりこだわられたんですね。
大塚 そうですね。何十回かわからないぐらい行きました。