ドラマと野球には何の関係があるだろうか。ドラマの盛り上がりと野球の盛り上がりには、どんな因果関係があるのだろうか。
これは野球に限らない話だと思うけれど、フィクションの中で特定のスポーツが行われるとき、または、あるスポーツを映画の舞台に選んだとき、
我々はさしたる疑いもなくドラマの盛り上がりとそのスポーツの盛り上がりを結び付けて考えてしまう傾向がある。
主人公が抱える葛藤の波に合わせるかのように、スポーツの試合なり、試合の中のある対決場面なりを配置して描いてしまっても、
そのまま素直に(というかそれが真っ赤なウソだと分かっていても、それがフィクションだからという理由で)受け入れてしまうのだ。
だがしかし、それは本当だろうか。本当なのだろうかと言うのは、はたしてその描き方はリアルなんだろうか。スポーツ選手というのは、
自分の日々の人間的な葛藤をスポーツの中に持ち込んでいるのだろうか。これはひょっとするとまったくの間違いかもしれないが、
スポーツは選手の個人的なドラマ(内面と言い換えてもいいかもしれないが)のために存在しているわけではないと思う。スポーツは、おそらく、
そのスポーツ自体のためにしか存在していない。人間はただスポーツ各々が持っているルールの中(不自由さの中に)に入っていって、
その中で肉体を駆使することで最大限の自由さを獲得しようとするのではないか。スポーツには種目各々に固有の運動があり、
それはドラマ性とはまったく別の次元で動いているのではないだろうか。
フィクションの中で、ほとんど暗黙の了解として、ドラマとスポーツは主従の関係で描かれることは多いと思うが
(スポーツを扱った映画をそう熱心に見ていないので強く断言はできないんだが)、それは安直な結びつきなのではないだろうか。
「フィクションだからいいんだ」とある人は言うかもしれないが、それはちょっと違うのではないか。違うというか、
毎回毎回そう言ってドラマとスポーツを結び付けて考えていたら、映画として、ほとんど何の進歩・進展もない。同じ構図に乗っ取った、
似たり寄ったりの映画しか出来ない。
「だったら映画にしないで、そのスポーツ自体をただ観戦すればいいではないか」と言われてしまうかもしれないが、それもちょっと違って、
ここでまた野球ということに話を戻すが、極端な話をいうと、
例えば野球の試合だけで二時間の映画を見せることだって不可能ではないのではないか。もちろん、球場で観戦するのともTV中継とも、
別の見せ方で野球を(面白く)見せていくということだが、もしそれが出来たなら、
それは同時に別の視点の発見ということにもなっているはずで
(あるいは野球の持っている独自の運動を映画の視点から発見するということかもしれない)、それは映画として、
多いに価値のあることなのではないだろうか(だからスポーツ自体を観戦すればいいとは単純には言えない)。
と、以上のことは、ノーマン・メイラーがかつて書いた、ボクシングの試合を一万語を費やして丸々描写した小説(『ファイト』
というタイトルだったと思うが、内容はちと違ったかもしれない)を念頭において考えたことであるが、その小説は読んでいないので、
まぁ何とも言えない。というか、その小説がボクシングだけを描いて成立させられているなら、
もちろん映画はそれとはまた別の方向からスポーツだけを扱って成立させるということを考えなければいけない。さっきも書いたが、
そうしなければ、進歩がない。というのは、決して実験するということを意味しているわけではなくて、まぁ、
全編野球だけじゃなくても別にいいのだが、つまり、リアリティのあり方を従来とは別の視点から追求した方がいいのではないかということだ。
ともかく、野球というのは日本人にとってもっともドラマという概念と結びつきやすいスポーツだと言えるのだろうが、しかし、というか、
だからこそ、ドラマと野球を切り離して考えてみてもいいのではないだろうか。そういうことを映画を見ながら思った。
さて、そんなところで、話はいきなり軟化して?長澤まさみのこととなるんだが、それが、ちょーかわいいんだよね、長澤まさみ。いいのよ、
とっても。こんな子が同じ高校にいたらどうしよう、毎日そわそわしちゃうよ、って。これからもどんどん映画に出てほしい。
例えば、筆者の長澤まさみに対する思いを小椋桂の歌で言ってみるなら「はだかぁになって抱きぃ、抱きしめたいぃ♪」
(調べたけどタイトル分かりませんでした。分かる人はメロディに乗せて歌って下さい)という感じで、
そんなんただの変態やんけと言われてしまうかもしれないが、別にそれに声を大にして反論しようとも思わんのだけど、「や、まぁ、
そんなこともないと思うんだけどね」と端の方でぼそぼそ一人ごちたいって感じだ。と、そういうのは冗談にしても、
これでは小椋桂の歌がとばっちりを食ってしまうかもしれないので一応説明しておくと、その歌の歌詞は
「限りなく青臭い君の夢を♪裸になって抱き、抱きしめたい♪」という流れの歌詞だった、と思った、確か。
脱線した。んで、長澤まさみの、すらりと伸びた四股が、美しい。美しいという言葉はまぁよく知られた言葉であるが、実のところ、
女性の身体を見てそれを美しく思うなんてことは(頭の中で言葉にして確認するなんてことは)、けっこう稀なのだ。特に、
普段男性が女性の身体を見るときは、美の観念より先立つものがあるものだ。そういう場合が非常に多い。なので、
そういった純に美しいものが映画に記録されるというのは、とても幸福なことだと思う。それを見るために(長澤まさみを見るために)
劇場へ人が行くというのなら、それは尚更幸福だ。
ロビーに東宝シンデレラガールの公募チラシがあったので頂いてきた。もちろんそこには長澤まさみが、
ちょっと大人っぽい表情をした長澤まさみが、いる。チラシいっぱいに、いる。なんかもう言葉が追いつかないが、輝きを放ちまくって、いる。
筆者のような性根の腐った人間には凝視することを許さないかのように、いる。とにかく、まぶしい、まばゆい、目がくらむ。
筆者の部屋にはジョン・コルトレーンやオーネット・コールマンやセロニアス・
モンクといったジャズミュージシャンたちのポスターが張ってあって、
というのはまぁ自分をよく見せようという魂胆を忍ばせたウソと言うものなんだが、それはとにかく、筆者の部屋の、
かつてダンボールと呼ばれるものだった、今ではCDラックということになっているものの側面に、
長澤まさみチラシを試しにペタリと張りつけてみた。するとどうしたことか、まるで、我が部屋に聖域が出現したかのような気分がしたのだった。
実際の長澤まさみは、本当かどうか、人見知りが激しいという。人見知りが激しいって、もうどうしようもなく、いい、と思った。
手放しでグッときた。なんかもう長澤まさみのためだったら死んでもいい、とふと思ったりしたが、やっぱり死ぬのは止めておこうと思った。
長澤まさみのためなら、たとえ火の中水の中、ぐらいには言ってみることが出来るかもしれない。でも、火の中は熱そうなので、出来れば、
水の中ということで済ませられればいいなと思う。でも水はやっぱり冷たいし、何より中に入ったら濡れてしまう。でも、ぬるま湯ぐらいなら、
まぁいいかもしれない。出来れば一緒に温泉に入れれば、なおいい。長澤まさみと二人で温泉に行きたい。
とか言いつつ、部屋に張ったまさみちゃんチラシを見ていたら、なぜだか、だんだんと罪悪感にかられてきたので、
今夜にでも外してしまうかもしれない。耐えられない。なんか、こう、毒虫を寄せ付けない感じというか、
そういうオーラがチラシから放たれてきた。このままでは筆者が浄化されてしまう。そんなことになったら、大変だ。
と、この辺りでどうも映画の内容に触れないといけないような気がしてきた。
原作もアニメもよく知られているので、ストーリーは改めて確認しないが、和也(交通事故で死ぬ方の、弟)
がとにかく悲しい奴として描かれていた。
上杉和也は明青学園の一年生エースとして将来を期待されているが、野球に熱心になっているうちに、思いを寄せる幼なじみの隣人・朝倉南は、
いつしかいい加減な双子の兄・上杉達也を好きになってしまっていたのだった。和也はそんなことに気がつきもせず、
寝ても冷めても野球に取り組んでいるが、それはかつて達也と交わした「甲子園に連れていった方が南と結婚出来る」
という子供じみた約束に未だに執着しているからではなかったか。そして、南は野球部のマネージャーを勤めてさえいる。いつも和也の側にいて、
和也を応援している。「カッちゃん、頑張って!」南、南、あぁ、南。私(和也)は今日も投げる、南のために。三振に倒れてもらう、
南のために。和也の将来は約束されたものであるかのように見えた。和也は何があっても日々練習を怠らない。
だのになぜ、兄なのだ。兄者なのだ。兄者、現実とはかくも非情なものなのであろうか。私(和也)は何か巨大な嘘に巻き込まれたまま、
道化の役を演じているだけなのではないか。誰か、影で私を笑ってはいまいか?
和也には女の子のファンが何人もついている。このままいけば、プロ野球でだって活躍できるかもしれない。だがそんなものはいらぬ。
欲しいのは南、ただそれだけだ。それだけが私(和也)にとっての真実だ。だが、それなのに和也は野球をすることしか出来ぬ。
キャッチャーミットにボールを放る、繰り返し繰り返し、投げ込む。ただそれだけしか、出来ぬ。野球、南、野球、南、野球、南……、
この両者の間に私(和也)の力の及ばぬ溝がある。その正体は何だ。かつてそれは一つのものではなかったのか。何かが、
ガタガタと音を立てて崩れていくようだ。だが、和也はそれを球を投げることで崩壊を食い止める。私(和也)にとって、野球とは何だ。
ある晩、パンチという名の飼い犬に餌をやりに出た和也は、プレハブ小屋(じゃないか)
から漏れ聞こえてくる達也と南の話し声を聞いてしまう。どうやら、二人は、先日キスをしたというのだ。和也はぴくりとも動けなかった。
キス、キス、キスキスキスキスキスキスキスキスキスキス……。兄者が南とキスをした。私(和也)はくらくらする。一瞬、
目の前が真っ暗になった。キスというのは、あれか、唇と唇を合わせる、あれか。噂には聞いたことがある。あ、兄者は、唇を舐めたんだろうか、
噛んだんだろうか、そして、舌を入れたんだろうか、吸ったんだろうか、歯が当たったんだろうか、南はその時、いや、もしや南の方から、いや、
そんな、まさか……。
ただキス一つ。携帯のない時代の、野球しか知らない高校一年生にとって、それがどんな一大事であろうか。野球が、なんだ。野球が一体、
なんだというのだ。兄者が、南と、キスをした。私(和也)の中で、何かが、音を立てて、崩れていった。みんな、ズルイ、ズルイよ……。
明日が甲子園出場を賭けた予選最終試合という日、南の父が経営する喫茶「南風」でのこと、達也のいる前で、わざと、和也は南に
「明日の試合のために、勝利の女神にキスでもしてもらおうかな、へへへ(正確な台詞は忘れたが)」などと言う。
……あぁ、この男(和也)は冗談さえ下手だ。筆者は、この男(和也)は長生きすまい、と改めて思った。オンリーザグッドダイヤング。
グッドとは、何も知らぬ者のことかも知れぬ。現実に置いてけぼりにされている者のことかも知れぬ。惨めな奴だ。
「勝利の女神にキスしてもらおうかな、へへへ」誰かこいつに冗談の言い方というものを教えてやってくれ。この男(和也)に幸あれ。
その日、南の父がやっている草野球チームに急遽参加することになった達也について、和也までもグラウンドにやってきた。繰り返すが、
明日は甲子園出場を賭けた試合があるのだ。草野球をやってる場合じゃない。怪我でもしたらどうする。肩を休めなくてどうする。しかし、
和也は来ずにはいられない。
双子の兄弟は、別のチームに入り、そして、対戦する。和也は、本気だ。兄者よ、私(和也)には理解できぬ。この世のからくりが、
何もかもが、理解できぬ。このままでは、暗黒面に落ちてしまうやもしれぬ。助けてくれ。和也は心でそう叫んでいる。だが口に出すのはこうだ。
「こうしよう、勝った方が自分が本当に欲しいものを手に入れる。どう?」「本当に欲しいもの?」「南さ」「……」(正確な台詞は忘れたが)。
……あぁ、和也、なんと悲しい奴か。この男は野球で欲しいものが手に入ると思っているのだ。自分の唯一得意な、野球で。
いつまでも昔の約束にしがみ付いているのだ。なんと悲しい奴か。和也は確かに本気だ。だが、本気になる、そのなり方が下手な者に対して、
現実はいつも微笑まぬ。この男(和也)に幸は訪れぬ。和也は達也にホームランを打たれてしまうのだった。よりによって、ホームランだ。
負けた。完全に。もう、真っ白だよ。
私(和也)はようやく目覚めた。甲子園に行ったところで、本当に欲しいものなど何も手には出来ぬ。それが真実なのだ。もっと早く、
もっと早く気がつくべきだった。神よ、あなたはどうしてこんなひどい仕打ちをなさるのです。あなたは本当に存在するのですか。
存在するとすればどこにいるのですか。茨城の方ですか。今まで私(和也)が信じてきたことは何だったのです。私(和也)は、あなたを恨む。
いや、そうではない、なぜに私(和也)は兄者を恨めぬのか。兄者、兄者、私(和也)と兄者が双子だというのは、
一体どんな運命のイタズラであったのだろうか、兄者よ、あなたは本当は何者なのだ……。
だが、全てはもう遅かったのではなかったか……。その夜、プレハブ小屋(じゃないか)で和也は南にキスを迫る。この男(和也)
は現実を前に引き裂かれ、往生際さえ、悪い。そして、一向に冗談が下手なままだ。
和也が顔を寄せていくと、南は、一歩引くのだった。南が、嫌がった。南の唇は遠かった。三万キロぐらい離れていた。
和也は南のおでこにキスをしたのだった。あぁ、もうこれ以上いじめないでやってくれ。
あぁ、私(和也)の声が聞こえるか?誰か、聞こえているか?今夜は大音量でバッハを聞こう。ヨハネ受難曲を聞こう。よく分からんが
(和也はクラシックが好きだ)。このまま野球しか知らず、私(和也)はもしかすると、長生きしないかもしれない……。
和也はふとそんなことを思ったかもしれない。この和也という男に、金閣寺の一つや二つ燃やさせてやりたいと、筆者は思った。人は、暗黒面に、
落ちたっていいんだ。
そして、結局、和也は死ぬのであった。予選グラウンドに向かう道すがら、トラックに引かれそうになる子供を助けるという、
これ以外にはもうありえなそうなシチュエーションで、和也は死ぬ。童貞のまま、死ぬ。この男(和也)は、暗黒面にも落ちず、
童貞を失えないまま、しかし他の何もかもを失っていたのかもしれぬ。そして映画はまだまだ続く。誰か、この男(和也)のために、
泣いてやってくれないか。
和也の死後、達也は再び野球をやりはじめた。両思いであるはずの達也と南の関係は、和也の死が影を落として、あやふやなまま、霧の中だ。
……などと書き出すとキリがないのでもう止めにするけれども、話は皆々様ご存知の通りに展開していく。アニメ主題歌もかかるので、
見に行く価値は、十二分にある、ような気がする。
蛇足的に筆者が思ったのは、後半、達也が南に「甲子園に連れていってやる」と約束して、ホントに連れて行くのは、かなりすごい、
ということで、それは、海とかスキーに連れて行くのとは、まるで訳が違う。甲子園に連れて行くというのは、
旅行の一環として立ち寄るとかそういうことではなくて、「(自分が高校球児として)甲子園の大会に出場する」という意味なのだ。
それはなかなかどうして、果たせない。普通の者には。だが、達也は出来てしまった。かなりすごい、と筆者は思った。
というか、以上のような、こういう映画の捉え方がマズイんじゃないか、ということで書いたのが、
冒頭のリアリティに関する記述だったわけだが。
補足だが、小見出しの「ぼくたち長澤まさみの大ファンです」というのはレナード・コーエンのトリビュート・アルバム「ぼくたちレナード・
コーエンの大ファンです」から来ているのだが、まぁ分からないなら分からないで、何の支障もないことである。
(2005.9.21)
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