本作におけるヒロイン役のマギー・チャンの熱演は、第57回カンヌ国際映画祭主演女優賞受賞も納得ものだし、ヒロインの義父を演じたニック・ノルティの深みのある演技も一見の価値がある。ヒロインの息子役のジェームズ・デニスはまるで天使のように愛らしい。
だが本作を観ているうちに、どうしてもある事件を連想せずにはいられなかった。連日のように報道されている某女優とその夫による薬物使用に関する事件だ。マスコミの過熱っぷりもいかがなものか……と疑問に感じるものの、両親ともに薬物に手を出し逮捕され、この夫婦がどうなろうとも個人的にはどうでもいいことと思っているのだが、彼等の幼い子供はいったいどうなるのであろうか……とおせっかいにも心配せずにはいられない。
そうすると彼等の子供への心配は、本作のヒロインの息子への同情に似た感情へと繋がってしまい、ひいてはマギー演じる母親への非難と悪感情を押さえることが難しくなってしまった。
話の筋としてはこうだ。
歌手のエミリー(マギー)の夫は、今は落ち目のロック歌手で、薬物過剰摂取により死亡。エミリーは夫が死亡する直前に薬物を渡していた。彼女自身も恒常的に薬物を使用しており、逮捕される。半年間の服役中に幼い息子ジェイ(ジェームズ)の養育権は夫の両親に渡ってしまう。そして息子は「母親のせいで父親が死んだ」と思い込む(祖母がそう思い込んでいることもあり、その考えが孫にも伝染したのだろう)。釈放後、エミリーは義父アルブレヒト(ノルティ)と会うが、息子の養育権について反論の余地もなく、裁判所の下した決定と義父の助言に淡々と従い、夫との思い出の地パリへ向かう。ジェイと会うことなく。
両親ともに薬物に手を出し逮捕され、幼い息子が取り残されるなんていう状況はまさにあの女優と同じではないか。だからこそ、薬物使用を肯定するようなセリフがエミリーの口から飛び出した時(「クスリを使うと力が出るのよ!」というような主旨のセリフ)、眉をひそめた観客も少なくなかったはず。かくいう筆者もその1人だ。しかもそのセリフを発したのは、エミリーがジェイから「何でクスリを使うの?」という疑問に答えるかたちになっていて、観ている側としては、例の女優の息子の姿とジェイの姿が重なり、いたたまれなくなる。
エミリーはとにかくプライドが高い。自分の思い通りにならないと感情を爆発させる。何事も自分のやりたいことが優先だけどすべてにおいて中途半端、しかもヤク中。夫の仲間からは彼がエミリーといるためにカムバックできないと思われていて、疫病神のように中傷されている。ジェイのことはバンクーバーにいる夫の両親に預けっぱなしだ。自分本位で生きていくだけならまだいいとしても、周囲に迷惑をかけ通しで、一言の感謝や謝罪の言葉もない。
釈放後にパリに戻ったら戻ったで、親戚のつてで中華料理店のウェイトレスとして雇われたものの、「こんなことは私がするべき仕事じゃない」とふてくされている。そして薬物を完全に断ち切ることができず、ずるずると手を伸ばしてしまう。再起を図るために、まずは地味な仕事でも心を入れ替えてコツコツ働くというのならともかくとして、歌手をしていた頃の華やかな世界に未練を残し、努力をしているようにも見えず……。そんなエミリーの心に寄り添うことは非常に難しい。観る人の共感を呼ぶことができない人物設定だ。
筆者が勝手ながら期待していたのは、エミリーが改心し、自分のことよりも息子のために生きていく姿だ。仕事が中華料理店のウェイトレスでも、ブティックの店員でも「息子のため」と考えれば、プライドを捨て、耐えることはできたはずではないだろうか。「あれもイヤ、これもイヤ」と傲慢な彼女の姿は、とても一児の母親のすることとは思えない。
とどのつまり、エミリーは「大人になりきれていない大人」なのだ。全てにおいて自分中心。つまりは子供同然なのだ。そして、むしろ息子のジェイのほうが大人だ。ジェイは父の死に母が微妙に関わっていると感じていても、それでも母を慕う気持ちも残しているという複雑な心境にあり、でも祖父母に心配させたくないと健気に振る舞っている。わがまま放題の母と自分を抑制する息子。いびつな親子関係が修復される日が来るのだろうか。
もしエミリーが、母親として息子第一に考えるのならば、アルブレヒトの心ある計らいのおかげでジェイと再会できたとき、「これが(歌手として)最後のチャンスなの」というエクスキューズを切り札にして、ジェイに納得してもらい、突如湧いて出たレコーディングのために、サンフランシスコへ飛ぶはずがない。最後までわがままを貫いた彼女に対して、「それでいいのか、エミリーよ」という冷ややかなツッコミを入れたくなってしまう。彼女がずいぶんと葛藤していたことを差し引いたとしても。
母親としてよりも、まずは1人の人間として再出発することを選んだエミリー。物語の表面的な筋だけを追えば、エミリーは歌手として再起を図ることについて息子の理解を得られ、レコーディングに立ち会ったプロデューサーにちょっと褒められて、かすかに希望を感じ涙する……、と万事、エミリーに都合良くまとめられているように見える。
だが、彼女の歌手としての前途は果たして本当に視界良好=“Clean”なのであろうか。また彼女自身も、今度こそ身も心も“Clean”な人間になって、心を強くして生きていけることができるのか。映画のタイトルは「クリーン」にも関わらず、筆者には歌手としての成功を示唆しているようには思えなかった。彼女がサンフランシスコでレコーディングのために歌った歌は、あまり上手とは思えなかったし、遠くに見えるゴールデン・ゲート・ブリッジは霞んでいた。この点が本作のキモではないか。
息子をほったらかしにし、自分のやりたいことを優先してきた母親のことを(しかも薬物使用の罪での逮捕歴もある)、世間は「よく頑張って戻ってきたね」とほいほい許すものだろうか。“Clean”らしからぬラストは、「世間はそんなに甘くないぜ」と、現実の厳しさにさらされることを暗示している。結局のところ、エミリーは歌手として再起することはできないのだと思う。
ただエミリーにとっての唯一の救いが、ジェイからの許しだ。本作のなかでエミリーは誰からも許されていない。夫の仲間からも、夫の両親からもだ(アルブレヒトは大きく広い心で彼女を見守っているが、それだからといって彼女に対して何のわだかまりも持っていないというわけではない)。そんな状況で、最も自分のことを許してほしい人からの許しを得たことこそが、彼女の救いになっているはずだ。
歌手としての再起には失敗しても、エミリーには自分を待っている息子がいるのだ。エミリーにとって、これ以上望むものが他にあるのであろうか。そういう意味において、彼女の未来には希望があり、“Clean”だ。だが、今の彼女は歌手としての再起で頭がいっぱいで、ジェイこそが彼女の本当の生きる証であることに気がついていない。それを彼女が理解したときに、本当の意味での親子関係修復への第1歩を踏み出せるのだろう。
本作のなかでは精神的な成長を見せてくれず、自分のわがままを通してダメ母のままで終わってしまったエミリー。自分がしたいように生きてみたいというのは、誰もが抱く憧れだ。だが、それを求めるあまり自己中心的になってしまうと、彼女のように本当に大切なものを見落としてしまう。そんな彼女を反面教師として、自分にとって本当に大切なものとはいったい何だろう?と見つめ直してみたくなった。
(2009.9.25)
クリーン 2004年 フランス・イギリス・カナダ
監督・脚本:オリヴィエ・アサイヤス 撮影:エリック・ゴーティエ 音楽:ブライアン・イーノ
出演:マギー・チャン,ニック・ノルティ,ベアトリス・ダル,ジャンヌ・バリバール
(c) 2004 - Rectangle Productions / Leap Films / 1551264 Ontario Inc / Arte France Cinema
8月29日(土)より、シアター・イメージフォーラム他にてロードショー中
- 監督:オリヴィエ・アサイヤス
- 出演:ジュリエット・ビノシュ, シャルル・ベルリング, ジェレミー・レニエ
- 紀伊國屋書店
- 発売日: 2009-11-28
- おすすめ度:
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