今週の一本

シャネル&ストラヴィンスキー

( 2009 / フランス / ヤン・クーネン )
芸術家同士の許されない愛は、ハッピーエンド

富田 優子

『シャネル&ストラヴィンスキー』1昨年は『ココ・シャネル』(08)、『ココ・アヴァン・シャネル』(09)と高級ブランド「シャネル」の創始者ココ・シャネルに関する映画が相次いで公開された。シャネルについて門外漢の筆者であるが、この2作でシャネルの人生やファッションや恋愛へのポリシーを知ることができ、シャネルのブランドにも以前よりは興味が湧いてきて、シャネルのお店やロゴマークを見かけると「おっ!」と反応するようになった。だからと言ってシャネルで買い物ができるような財力はないのだが。
ただ、この2作はあくまでシャネル中心で物語は展開されていて、最愛の人ボーイとの恋愛もシャネル側からの描写がほとんどだ。本作はこの2作と違い、ボーイ(アナトール・トブマン)を亡くした後のシャネル(アナ・ムグラリス)とロシアの作曲家イゴール・ストラヴィンスキー(マッツ・ミケルセン)の恋愛に焦点を当てていて、かつ、シャネルの視点もストラヴィンスキーの視点もほぼ均等に取り入れている。また、本作でのシャネルには、デザイナーとしての名声や富を確立していて、ある種の落ち着きや余裕が見られる。『ココ・シャネル』『ココ・アヴァン・シャネル』で描かれていたように、革命的なファッションが非難の嵐にさらされても負けないというハングリーな姿勢とは対照的だ。

それにしても芸術家というのは、恋愛からインスピレーションを得やすいものだな、と思う。絵画の世界ではピカソがその最たる例だし、作曲家でもショパンやべートーヴェンも愛する女性のために曲を書いている。そういう裏話を知ると、絵画や音楽も一段と興味を持って接することができるが、本作もまさにそれ。世界で最も有名な香水とも言えるシャネルの〈N゜5〉の成り立ち、そして初演当時は酷評されたストラヴィンスキーの代表作〈春の祭典〉がなぜ20世紀の名曲とされたのか。その裏にあったのが20世紀前半という時代を先駆けた2人の濃密な恋愛だったとは、非常に興味深いものだ。

『シャネル&ストラヴィンスキー』2そう、濃密。この映画はとにかく濃密な空気が漂っている。それをもたらしているのが主演の2人の存在感だ。実際にシャネルのミューズとして活躍中のアナ・ムグラリスがシャネルを演じ、数々の華麗かつ洗練された衣装をいとも簡単に着こなしている。本作で使用された衣装はシャネル社のデザイナーであるカール・ラガーフェルドが特別にデザインしているもので、目を楽しませてくれる。某コーヒー飲料のCMではないが、思わず「贅沢だ~」とつぶやきたくなってしまう。当時の衣装を再現したということだが、今でも十分着られるようなデザインばかりで、シャネルはまさに時代を先読みしていた人だったのだなと感じる。パールのネックレスの使い方もさりげないけれどセンスがあるし、女性なら誰でもマネしてみたいと思うはず。また、アナの低く落ち着きのある声は官能的な響きを持ち、観客を映画の世界へいざなうのに十分だ。
一方、ストラヴィンスキーに扮するのは、デンマークを代表する俳優マッツ・ミケルセン。『007/カジノ・ロワイヤル』(06)での目から血を流す悪役ル・シッフル役で鮮烈な印象を残し、『アフター・ウェディング』(06)では一転してインドで人道支援をする善人ぶりを発揮していた彼は、筆者の好きな俳優の1人だ。その端正なマスクには心ざわめき、もう勝手に「マッツ様」と呼んで崇拝している。
そのマッツ様、本作ではアナに負けず劣らず、硬派で上質な大人の男の色気を漂わせていて、これはもうたまらない!ピアノを弾くマッツ様、アナとの大胆で狂おしいまでのラブシーンを演じるマッツ様、妻カトリーヌ(エレーナ・モロゾヴァ)とシャネルとの間で苦悩するマッツ様・・・。いかなるシーンにも品があり、さまになっていて、ファンとしてはもう、ただただ息を殺して見つめてしまう。筆者のなかでの「史上最高のマッツ様」を記録した。
そんなアナとマッツのセリフはさほど多いわけではない。だからこそ、彼らの表情や立ち居振る舞いがとても重要。アナはただ普通に歩くシーンだけでも他を圧するようなオーラが発揮されるし、マッツの雰囲気のある佇まいにも胸が高鳴る。そんな2人の存在感が本作を支配し、濃密な空気を醸成することに成功している。

『シャネル&ストラヴィンスキー』3シャネルがストラヴィンスキーの才能に惚れ込み、彼に経済的援助を申し入れたことで、彼とその家族がシャネルの別荘で彼女と同居することとなる。ファッションと音楽と分野は違うものの、20世紀初頭にあって時代の最先端のものを生み出す2人が恋に落ちるのはごく自然の成り行きだった。2人の恋のパワーは、シャネルを「女そのものの香り」の追求に、ストラヴィンスキーを〈春の祭典〉の再演に情熱を傾けさせることになる。
恋愛が互いに刺激となり、ともにステップアップしていくさまは、とても理想的な大人の恋愛で、憧れてしまう。主に女性からすれば、恋愛のパワーを得て輝きを増すワーキングウーマンの姿に共感を覚える人が多いことだろう。しかも男性のほうも彼女に劣らず成長するのであれば文句なしだ。その恋愛が〈N゜5〉と〈春の祭典〉再演に昇華していくのだから、特にシャネルのファンやストラヴィンスキー愛好家にとっては見逃せない映画だ。筆者も割とクラシック音楽を聴くのが好きで、ストラヴィンスキーの曲も嫌いではないが、〈春の祭典〉にこのような情熱的な裏話があったことに驚いた。

ただ、ちらっと前述したのでお分かりだろうが、シャネルとストラヴィンスキーの関係は端的に言ってしまえば不倫である。ストラヴィンスキーには病身の妻カトリーヌと子供達があり、カトリーヌは夫の作曲を献身的に支え、いじらしいほど夫を愛している。シャネルとの関係に夢中になりつつも、糟糠の妻を放っておけないストラヴィンスキー。彼女がいなければ譜面を書き起こすこともできないのだ。2人の女の間でなす術もなく1人苦悩するだけ。
対して、シャネル。カトリーヌにストラヴィンスキーとの関係に「罪悪感はないの?」と問われて、迷うことなく「ないわ」と即答。そのとおり、ストラヴィンスキーとの恋愛に迷いがない。シャネルから言わせれば「そもそも罪悪感とは何なの?」といったところか。普通の概念であれば、多少なりとも罪悪感(もしくはそれに似たような感情)や愛する人を独占できないことから嫉妬心を抱いて苦しむのだろうが、彼女にはこういった当たり前の考え方というものは全く通用しない。まさにファッションと同じで、自分がこうしたいと思ったことを躊躇せず実行してしまうのだ。

『シャネル&ストラヴィンスキー』4ここにシャネルとストラヴィンスキーの決定的な違いが出ている。2人ともファッションと音楽の分野に関しては時代の最先端を走っているが、恋愛に対しての価値観という面では全く違うのだ。第一次世界大戦後の封建的で保守的な社会を背景として、シャネルはファッションだけではなく、自分自身の心や価値観も時代の最先端を突っ走っているからこそ、平然と「罪悪感はない」などと言えるのだ。しかも、ストラヴィンスキーが妻と別れて、自分と再婚することなんて、これっぽっちも考えていない。
だが、ストラヴィンスキーは違う。音楽こそ「チャイコフスキーともシュトラウスとも違う」という、これまで誰も耳にしたことがない斬新なものを作り上げたが、ただの1人の男として捉えれば、妻と愛人の間に挟まれて右往左往するだけの決断力のない保守的な男で、社会の体質を引きずっている。カトリーヌの「あの人(シャネル)と寝たの?」との問いにも肯定も否定もできず、ただ黙りこくるだけ。とは言えシャネルのほうは何とも思っていないのだから、観客としてはそのギャップにもう苦笑するしかない。
このように、シャネルとストラヴィンスキーの価値観の落差がカトリーヌを軸としたときに際立つ演出が効果的だ。2人が一緒にいるときには、その価値観の差異は感じられず、互いを愛し、高め合うさまが描かれている。だが、カトリーヌとシャネルの会話、カトリーヌとストラヴィンスキーの会話で、その差異は明確にされる。2人の価値観に境界線を引くのがカトリーヌなのだ。本作は彼女の存在をクローズアップしたことで、本能の赴くままに愛し合うシャネルとストラヴィンスキーとはいえ、表面的では分からないような価値観の違いがクリアになり、濃密な空気のなかにあっても、いつ爆発するのか分からない爆弾を抱えているような緊迫感を与えることに成功している。

『シャネル&ストラヴィンスキー』5史実を鑑みても、シャネルは生涯独身を通しているので、当然ストラヴィンスキーと結婚できたわけではないことは、映画を観る前から分かっていた。でも、筆者はこの映画の結末はハッピーエンドであったと思うのだ。仮にストラヴィンスキーが妻子を捨ててシャネルの許へ走る気概があり、2人が結婚していたとしても、〈N゜5〉と〈春の祭典〉が後世に残っていたのかと問われると、それは否であろう。未練たらしいストラヴィンスキーを「2人の女に値しない男」と断じたシャネルではあるが、不倫の状況に置かれたからこそ、その狂おしいまでの情熱をもって〈N゜5〉を完成させた。それはストラヴィンスキーの〈春の祭典〉も同様だ。そして現在を生きる我々は、シャネルが革新的、ストラヴィンスキーが保守的な価値観を持っていたからこそ、〈N゜5〉と〈春の祭典〉を享受できているのだ。その運命の不思議さというのには感慨深いものがある。

何らかの出来事に隠された裏話というのは、とても面白い。それが秘められた恋愛の話ならばなおさらだ。いつの時代に生きた人のものでも、その恋愛というのは、人を惹きつける。本作はシャネルとストラヴィンスキーという、20世紀を駆け抜けた芸術家同士の、結婚というかたちでは成就することはなかった愛ではあるが、一般人とは別次元の感性を持つ芸術家にとっては、〈N゜5〉と〈春の祭典〉の完成こそが、2人の究極の愛の結晶だったのだろう。そのことはストラヴィンスキーがタクトを振る〈春の祭典〉の再演を満足げに聞き入るシャネルの表情からも窺える。だから、本作はハッピーエンドであると筆者は思うのだ。
結婚だけが愛のかたちではない。もちろん、このことが広く一般人にも適用されるのかというのは別問題として、愛のかたちが後世に残るのがとても羨ましいし、素敵なことだと思う。このようなことは、ずば抜けた才能を持つ芸術家だけの特権かもしれないが、彼らが紡ぎ出す濃密な世界をのぞき見ることくらいは許されるはずだ。本作はそんな願いをかなえてくれた映画であって、119分と限られた時間ではあるが、ぜひ堪能していただきたいと思う。

(2010.1.12)

シャネル&ストラヴィンスキー 2009 フランス
監督:ヤン・クーネン 脚本・原作:クリス・グリーンハル「COCO&IGOR」
出演:マッツ・ミケルセン,アナ・ムグラリス
配給:ヘキサゴン・ピクチャーズ (C)EUROWIDE FILM PRODUCTION

2010年1月16日より
ネスイッチ銀座、Bunkamura ル・シネマ他にてロードショー

007 カジノ・ロワイヤル (初回生産限定版) [DVD]
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  • 出演: ダニエル・クレイグ, マーティン・キャンベル, エヴァ・グリーン, マッツ・ミケルセン, カテリーナ・ムリーノ
  • 発売日:2007-05-23
  • おすすめ度:おすすめ度4.5
  • Amazon で詳細を見る
シャネル&ストラヴィンスキー (竹書房文庫) (文庫)
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2010/01/17/19:00 | トラックバック (5)
「し」行作品 ,今週の一本 ,富田優子
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