第66回カンヌ国際映画祭レポート【3/5】
深谷 直子
失われる故郷と老いゆく人への思い
『ア・タッチ・オブ・シン』『ネブラスカ』
ジャ・ジャンクー監督
アマト・エスカラント監督 ©AFP
ベレニス・ベジョ、アスガル・ファルハディ監督 ©AFP脚本賞を受賞したのはジャ・ジャンクーの『ア・タッチ・オブ・シン』であった。これまでも中国の経済成長の裏側で苦しむ庶民の姿を憤りを込めつつ静かに見つめてきたジャ監督だが、この作品のテーマは「暴力」。山道をバイクで走る老人がナイフを持つ3人の若者に追われたかと思うと機敏に銃を抜き、あっという間に次々に撃ち殺すというアクション・コメディの常套手段のような冒頭シーンでまずあっけに取られた笑いが起こったが、これまでの作品でも製作を手掛けていたオフィス北野の北野武作品を思わせるような血に満ちた動的な作品だ。最近中国各地で実際に起こった4つの事件をモチーフとしており、日本人にも記憶に新しい鉄道事故も出てきたが、中国版ツイッターとも言うべきソーシャルメディア上で知ったこれらの事件を、「虐げられたごく普通の人々がこれほどまでに暴力的になることを映画を通じて伝えなければならないと考えた」のだとジャ監督は語った。一方で暴力の表現方法には中国古来の武侠映画の手法も取り入れ、非常に洗練されているとともに、長い伝統を持つ悠久の国のイメージがこの近年で急速に失われていることも痛感した。
監督賞を受賞したのは、コンペ上映初日に登場したメキシコのアマト・エスカラントの『エリ』。こちらも冒頭で男が歩道橋から吊るされるショッキングなシーンに驚かされ、小さな町である家族を襲う悲劇が、12歳の少女が警察官見習いと駆け落ちしようとすることから始まるのに、とても生々しく嫌な閉塞感を覚えた。麻薬絡みの犯罪が横行する腐敗した社会は遠い世界のようにも感じるが、そうした土地で築き上げてきた生活にしがみつくしかない人々の苦しみや、日常に不意に襲いかかる暴力への恐怖は、状況は違えど今の日本にも通じるものだった。
女優賞にはアスガル・ファルハディ『過去』のベレニス・ベジョ。作品は『彼女が消えた浜辺』(09)、『別離』(11)など監督のこれまでの作品同様、ミステリアスな設定の中、ある夫婦が家族の秘密を知っていく心理を濃厚に描くもので、『アーティスト』(11)のベジョが確かな演技力を持つのを見せつけるものではあった。ただ受賞に値するほど優れていたとも思えなかったが。パルム・ドールを獲った『アデルの人生』の主演二人が出てくるまでは、今年は秀でた人も、また女優に見せ場を作れる作品もなく、私としては『そして父になる』のヤンママ演技が光る真木よう子か、ニコラス・ウェンディング・レフン『オンリー・ゴッド・フォーギヴズ』の恐ろしい母親役、クリスティン・スコット・トーマスといった脇役陣が面白いと思っていたぐらいだったので、無難なところに落ち着いたという感じであった。
と、振り返ればコンペ上映3日目までの作品から、7つある賞のうちの4つが選ばれたことになった。『過去』はイランのファルハディが初めて国外へ出てフランスで製作した作品ではあるが、フランス、アメリカの名匠の名が並ぶ中、審査はとても冷静に、国際色も豊かに質の高いものが確実に選ばれていたと言えるだろう。ただ、開幕の華やかさとは裏腹に重厚で殺伐とした作品が続き、天候不順のせいもあって気持ちの浮かない序盤だったのだが、期待のコーエン兄弟からは興奮が戻ってきた。ブランプリを獲った『インサイド・ルウェイン・デイヴィス』は1961年のNYを舞台に、売れないフォーク歌手の1週間を描く作品。その後世に出たボブ・ディランなどではなく、フォーク・ブーム到来の立役者となった実在の歌手に光を当て、名をなせぬ運命を辿る人の実直な足取りと夢と葛藤に満ちた内面を、ユーモアを交えながら飄々と見つめるコーエン兄弟らしいドラマとなった。主演のオスカー・アイザック、そして彼といつも寄り添う猫も素晴らしかったが、ジャスティン・ティンバーレイク、キャリー・マリガンというスターもふわふわとした世界の住人になりきって歌声を披露して楽しませてくれた。
『ビハインド・ザ・キャンデラブラ』
ブルース・ダーン、娘のローラ・ダーン ©FDC / L. Otto-Bruc受賞は逃したが、スティーヴン・ソダーバーグの『ビハインド・ザ・キャンデラブラ』はガンとの闘病から復帰したマイケル・ダグラスの熱演を楽しんだ力作だった。50年代から活躍した派手なピアニストであり同性愛者だったリベラーチェの晩年を、マット・デイモン演じる若い恋人との関係を中心に描く。いまだステージではきらびやかな衣装と天才的な演奏で客を魅了するリベラーチェが、老いに整形手術やサプリメントで抵抗する虚栄心が笑いを誘い、すれ違っていく恋愛模様には男女間のものと何ら変わりない苦しさを覚える。何と言ってもダグラスとデイモンのラブシーンの体当たり演技が凄いが、驚くのはこれがテレビ映画だということだ。いや、こういう大胆なテーマは今のアメリカではインディペンデントでも扱いにくいということなのだろうかと、以前行ったアグニェシュカ・ホランド監督のインタビューでのテレビ作品についての言葉を思い出した。インディーズ出身のソダーバーグは引退宣言をしており、こうした映画界の現状に行き詰まりを感じているのかととても残念だ。
もう1本、アメリカのジム・ジャームッシュの『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』も奇しくも音楽家を描くものだった。ただしこちらはヴァンパイアをモチーフとしたファンタジックなSF恋愛映画。近年多く作られているヴァンパイア映画を、現代音楽家というマニアックな職業の人物を主人公に据え、彼らが生きる夜の世界を幻惑的な音楽と映像とで描いているのに個性が光る。長生きの種族ならではの様々な時代の音楽シーンを見てきていて、見事なヴィンテージ楽器コレクションを揃えているといった設定が巧妙でおかしみがあるとともに、アウトサイダーであり外見は若いが実年齢は相当な老人である恋人同士が、孤独と死を恐れ、移り変わる時代に戸惑いながらひっそりと寄り添って生きる姿は現代社会への批判とも取れる。トム・ヒドルストンとティルダ・スウィントンという端正な英国人俳優が退廃的なムードを醸し、受賞は逃したが完璧な世界観だった。
男優賞を獲ったのはアレクサンダー・ペイン『ネブラスカ』のブルース・ダーン。名悪役・脇役俳優の77歳の快挙である。口うるさい妻とともにくすぶった余生を過ごす男が、100万ドル当選したというDMに奮起し、賞金を受け取るためにモンタナからネブラスカまで徒歩で目指そうとする。そんなアル中で痴呆気味の父親に疎遠だった息子が同行することになり、立ち寄った故郷の町で父の原風景と痛みを持つ過去を知っていきながら距離を縮めていく。モノクロの映像も美しい見事なロード・ムーヴィーであった。ダーンの演技も本当に素晴らしく、無口な頑固親父ぶりも、痴呆と疲れをにじませるのも胸に迫ったが、何よりも、自分を支えてくれているのは何かを理解したラスト・シーンでの意気揚々の姿に涙が止まらなかった。『サイドウェイ』(04)、『ファミリー・ツリー』(11)と、悩みを抱える中年男性の成長や再生を描く作品が続いたペインだが、2002年のカンヌのコンペ出品作『アバウト・シュミット』と同様、親の世代の人物を故郷ネブラスカを舞台に撮ったパーソナルな作品で、老いゆく人に敬意を払うだけではなく、自分の足で歩くひとりの人間として見つめるところに大きな優しさを見た。