青山 真治 (監督)
映画『共喰い』BD/DVD発売に寄せて
2014年3月5日(水)より、青山真治×田中慎弥×菅田将暉『共喰い』BD/DVD発売
作家・田中慎弥氏の芥川賞受賞作を映画化した『共喰い』(監督:青山真治 脚本:荒井晴彦)が、3月5日に待望のBD/DVD発売を迎える。劇場公開時にスクリーンで鑑賞した筆者は、本インタビューにあたってDVDを見直すうち、画面のそこかしこに配された細やかな演出の多くを見落としていた事実に気付かされ、ひたすら嘆息するばかりだった。とりわけ物語の重要な局面で反復される縦構図の演出、それと完璧に同調したカメラワークには非常な感銘を受けた。この感銘の源泉に迫るべく、演出に込められた意図を青山監督に伺った。(取材:後河大貴)
――この若いお三方を演出するうえで、とくに気を配られた点などがありましたら、ご教示ください。
青山 篠原に関しては、ああだこうだ言う必要がなかったですね。「そのまんまやって」って言って芝居をしてもらって、そのまんま「お、いいんじゃないの」みたいな流れでした。美咲に関してもとくに何も言ってないですね。「とりあえず一回やってみて」みたいな。ただ、それは若い3人に限らず、皆さんに対しても同様なんですけど。まあ、勘のいい役者さんたちを選んだってことじゃないでしょうか。
僕は、基本的には「役者の芝居を見せるだけで映画は成立するんだ」って思っているところがあるんですよ。「役者がよけりゃ映画はいいんだよ」っていう。それが、ここ最近の自分のモットーなんです。そのためには、いい役者を選ぶっていうのがポイントといえばポイントですね。
ただ、菅田君に関しては、ひとつだけ気を配った点がありました。彼は関西人なんですが、九州の言葉、とりわけ北九州弁って、関西弁のイントネーションが混ざると崩れてしまうんですね。だから、じつは関東の人のほうが北九州弁を喋りやすいんですよ。で、菅田君は、ときどき関西訛りが出ちゃうんですね。そこだけは注意しました。
――物語が展開していくうえで、衣装や装身具の変化が重要なポイントになっている気がしました。なにか具体的な指示は出されたんでしょうか?
青山 とりあえず、どういう方向でいくかを決めるさいに、「役者さんが決めるからいっぱい集めといて」っていう指示は出しました。いつもそうなんですけど、「役者さんが着たい服を着ればいい」というのが僕の衣装合わせなんですね。で、「どれか着てみませんか?」と提案するんです。だから、役者さんが選んで実際に袖を通して、「これ、ちょっと違うかな」っていうものを除くぐらいで、あとはだいたいお任せです。
ただ、田中裕子さんの衣装合わせはちょっと凄かったですね。とにかく、「おばさんくさいブラウスやシャツをできるだけたくさん用意して」と仰られて。で、取っ替え引っ替え着ていって、「これは違うかな」とか言いつつ、片っ端から着替えていくんですね。さらに、それを何回か洗濯してぐちゃぐちゃにして、天日ざらしで乾かして、「アイロンもかけなくていい」と。そういう指示が田中さんから出されていたんですよね。あと、ゴムの前掛けやエプロン、或いは古くなった酒屋かなんかの前掛けを「用意しといてください」みたいな感じでしたね。
やっぱり、衣装は役者さんが着るものですからね。役者さんが自分に一番しっくりくるところに持っていくっていうのが正しいやり方だと思うんですよ。
――光石さんに関してはいかがだったんでしょうか? 登場シーンで分厚い眼鏡をかけるお芝居がありますが、ああしたディティールは原作にはなかったかと思います。
青山 眼鏡は、僕が「あったほうがいいんじゃない?」みたいなことを言ったのかな?
或いは光石さんの提案だったのかもしれないけど、そのへんはいつも突発的に出てくるんで、あんまり記憶が鮮明ではないんですよね。
――というのも、冒頭で分厚い眼鏡をかける身振りが入ることで、視線というか盲目性をめぐるお話である、ということが暗示されているのかな、と。そのあたりが、前作の『東京公園』(11)から連続性があるのかなあなんて考えたんです。自分の独り合点かもしれませんが……。
青山 そこはあまり感じてなかったかもしれない。というよりも、それを言われると、“じつは誰かがどこかで見ているけど、どこから誰かが見ているのかわからない”というのが今回のテーマだったかもしれないですね。『川辺』という町の中では、絶えず誰かが誰かの噂をしていて、それが流れてくる。そして、その流れてきた噂が魚屋に持ち込まれる。そんな噂の連係プレーが町の中であって、何か見えない力の働きに遠馬が閉じ込められていくっていうシチュエーションで、頭からケツまでもっていこうとしていたんですよね。
だから、キャメラのポジションに関しては、なんとなく“どこからか、誰かが誰かを見ている”ような、ちょっとした遠景がメインになっています。で、なんとなくその噂話を聞いている、というような空気感を作り出そうとしていたのは確かですね。だから、『東京公園』とは真逆のやり方をしていると言っていいかもしれません。視線という意味では繋がりがあるんですけど、別のあり方だということでしょうね。
――今仰られたカメラポジションは、遠馬が潰れてしまったタクシー会社の赤い公衆電話から千草に謝罪をする場面に顕著ですね。川を挟んだ木陰からその情景を捉えるカメラが、微かにたゆたっている、という。
青山 そうですね。木の上に乗っている子供なのかもしれないし、別の誰かなのかもしれないですけど、とにかく“どこからか、誰かが誰かを見ている”ということですよね。