青山 真治 (監督)
映画『共喰い』BD/DVD発売に寄せて
2014年3月5日(水)より、青山真治×田中慎弥×菅田将暉『共喰い』BD/DVD発売
作家・田中慎弥氏の芥川賞受賞作を映画化した『共喰い』(監督:青山真治 脚本:荒井晴彦)が、3月5日に待望のBD/DVD発売を迎える。劇場公開時にスクリーンで鑑賞した筆者は、本インタビューにあたってDVDを見直すうち、画面のそこかしこに配された細やかな演出の多くを見落としていた事実に気付かされ、ひたすら嘆息するばかりだった。とりわけ物語の重要な局面で反復される縦構図の演出、それと完璧に同調したカメラワークには非常な感銘を受けた。この感銘の源泉に迫るべく、演出に込められた意図を青山監督に伺った。(取材:後河大貴)
――遠馬たちの暮らす『川辺』は、原作ですと「戦後の開発から取り残され、暫くの間貧乏を凌ぐだけのつもりで集まってきた人たちがそのまま居ついてしまった」共同体だと設定されていますが、赤い公衆電話のあるタクシー会社が既に廃墟と化しているように、解体しつつある現在として捉えられているような気がしました。それゆえ、“どこからか、誰かが誰かを見ている”ようなカメラ・アイが用いられているのかな、と……。
青山 いや、どっちかっていうと、それは解体っていうこととは別の意味で作用していますね。解体が不可能な場所というか。つまり、タクシー会社が潰れているというのも、『川辺』が終わっているからではなくて、終わっている町の中から出られないという、その強迫観念ですよね。だから、出られないっことは、解体しようがないような場所だというふうに考えていました。
――円が琴子さんが不在であるにもかかわらず、微睡んだまま腹部を撫で続ける描写が印象的でした。田中さんとの対談で、青山監督は『共喰い』のキー・イメージを“酩酊感”だと仰られていましたが、“どこからか、誰かが誰かを見ている”ようなたゆたうカメラは、円が体現する“酩酊感”と重なってくるように思えます。
青山 僕が“酩酊感”と言ったのは、光の眩さと気温の高さ――それでクラクラしているといったような状態ですね。あの地方の夏独特の、陽の光と湿気で気圧の重さを体感する感じ。本当に重いんですよね、空気が。そんな中でカメラがたゆたう感じになっていく。基本的にはフィックスなんですけど、ときどき不安定に揺れるんですね。“どこからか、誰かが誰かを見ている”という視点に加えて、ある種、不安定な……もう、暑さと空気の重さでクラクラしているような感じを出したかったということですね。
だから、円は夢うつつのような感じのところにずっと居るんですけど、カメラを通して見ている側も、なんだか夢うつつみたいなことになってくる。それが目的だったんですよ。
――「別のあり方」に関して興味深かったのが、光石さんが現在時制から当時のことを追憶=反復するようなナレーションの多用でした。こうしたナレーションのあり方は、青山監督の作品では特異かと思います。
青山 これは、脚本の荒井晴彦さんと僕の苦渋の決断だったんです。荒井さんも僕も、ナレーションは大嫌いなんですよ。つねづね、ナレーションなんか使わないほうが、映画はずっとマシになるんだと思っているんです。ただ、オープニングとエンディングの情報、とりわけラストの「そして昭和が終わった」という言葉がどうしても必要だったんですよね。それに、冒頭の仁子さんの左腕がないっていう情報も、どうしても必要だった。彼女がなにゆえ戦時中に左腕を失ったのか、ということは絶対に言わねばならない、と。
ということは、最小限に抑えつつも、「ナレーションで語られる部分のある映画だ」っていうことを、まずは観客の意識に植えつけねばならない、と。で、時々それを思い出してもらうのが一番いいやり方だよねっていうところに落ち着いて。それであのナレーションを荒井さんに書いてもらったんですね。
で、当初は菅田君にやってもらおうと思っていたんです。ところが、編集をしているうちに「これ、おっさんの声じゃねえとまずいなあ……」という懸念が浮上してきて。つまり、平成24年の時点から当時を振り返っている声じゃないと、なんか距離感がおかしくなってしまう。なので、自分の中で、“どこからか、誰かが誰かを見ている”っていうのと同じような感じで、これはどこか“遠い果てから誰かが語っている”という映画にしたいなあ、と。「そういう映画になっちゃったなあ、これ……」みたいなね。直感みたいなものですけど。
それで、「じゃあ……」ってことで、まずは僕が入れたんですよ。でも、編集ラッシュを見ていたら、荒井さんから「下手だな、お前」って言われて。「わかりましたよ」ってことで誰にしようか考えて、いろんな人を想像したんですけど、結果的に「光石さんでしょう、やっぱり」というところに落ち着いて。遠馬の父親ですからね。親子の声は似るというし、「遠馬の25年後ってことでいいんじゃないの?」っていうことで、光石さんにお願いしたんですね。
――個人的にもっとも感銘をうけたポイントが、原作ではわりと早く出てくる仁子さんの「右腕」(映画では「左腕」)の描写(「腕にはいまも、肘の近くまで川辺を焼いた炎そのままの形の火傷が艶やかに波打っていた」)を、遠馬が見ることになる場面が到来するタイミングでした。この点に向けて構造を組み上げられたりしたんでしょうか?
青山 いや、というよりも、母の傷というものをそう簡単に見せたくないという意志がなんとなくあったんじゃないかと思います。撮影をする直前にうちの母が亡くなったんですけども、なんかね、僕はべつにマザコンじゃないけど、やっぱり母親の尊厳というものを大事にしたいという想いはあったんですよ。だから、最後までそれを見せない――隠して、隠して、隠して、一番最後に遠馬は傷と対面するわけです。
むろん刑務所の中だし、囚人だからぜんぶ外さなきゃいけないわけで、義手もゴムのカバーも外された、囚人服姿の母親が目の前にいるわけですよね。いわば、裸にされた母親が檻の中にいる、と。そこで初めて、彼女の失われた手首の傷を見せるという……。僕の意志として、母親の尊厳みたいなものを守ろうとしていたんだと思いますね。だから、映画の構造そのものよりも、そっちに寄ったんだろうと思います。
――ありがとうございました。
- 映画原作
- (著):田中 慎弥
- 発売日:2013/3/13
- おすすめ度:
- ▶Amazon で詳細を見る
- 監督:青山真治
- 出演:菅田将暉, 木下美咲, 篠原ゆき子, 光石研, 田中裕子
- 発売日:2014/03/05
- ▶Amazon で詳細を見る