ぼくの桃色の夢
第28回東京国際映画祭コンペティション部門出品作
あなたは初恋を覚えているだろうか。初めて異性を好きになり、彼・あるいは彼女のことしか考えられず、夜も眠れない日々が続く、あの感覚を。中国映画界の期待の星、ハオ・ジエ監督の最新作で、先日開催された東京国際映画祭のコンペティション部門に出品された『ぼくの桃色の夢』(15)は、一人の中学生が同じ中学校に通う美少女に一目ぼれして、その初恋を忘れられないまま大人になる姿を描いた青春ドラマだ。
主人公は、中国の山村で両親と暮らすシャンシャン(バオ・ベイアル)。シャンシャンは全寮制の中学校へ入学するのだが、入学式へ向かう途中、すれ違った美少女のチュンシア(スン・イー)に一目惚れしてしまう。引っ込み思案なシャンシャンは、チュンシアに想いを伝えられぬまま年を重ね、遂に高校進学の時期を迎える。チュンシアは専門学校へ進むという噂に落ち込むシャンシャンだったが、チュンシアも高校へ進学することに。そして、シャンシャンはチュンシアと再会し、徐々に距離を縮めていく……。
本作は、前半と後半でタッチが大きく変わるのが特徴的だ。前半はコメディ色が強く、下ネタを交えた笑いが盛り沢山になっている。オープニングでは、朝勃ちを母の目から必死に隠そうとしたり、国旗を掲揚する棒に上ることで快感を得ているシャンシャンの姿が映し出され、筆者は少年時代の自分自身を見ているようで、思わず声を上げて笑ってしまった。また、中国らしいと言ったら失礼かもしれないが、シャンシャンの学校生活の中では、「給食のなかにネズミ混入」「ホームルームの議題がシラミ問題」など、下品なジョークが多く組み込まれている。日本は中国の衛生問題を身をもって体感してきたので、こうした描写は不快に感じられるかもしれない。しかしハオ・ジエは、憤慨する先生と子供たちの屈託のない笑顔が生むコントラストを映すことによって、下品なネタを鑑賞者が気持ちよく笑えるギャグとして成立させてしまうから凄い。
また、青春のポイントをしっかりと押さえているのも素晴らしい。通常の場合、男子は女子よりも成長が遅い。しかし、男子はいつの日か女子を背丈で追い越し、その事実を女子に教えられる。高校へ進学したシャンシャンも、チュンシアに「背が伸びたね」と言われる。かくいう筆者にもこの経験があるのだが、このセリフを女子に言われると、かなり照れくさい。ましてや好きな子に言われたら、ドキドキが止まらないものだ。何の取り柄もなく冴えないシャンシャンが、憧れのチュンシアに声を掛けられるきっかけとして、このセリフ以上のものはないだろう。ここからシャンシャンのチュンシアに対する熱烈なアピールが始まるのだが、間違っても「イケテる」とは言えないシャンシャンが、チュンシアの前で格好をつけようと無理をする姿が可笑しくて仕方ない。
お世辞にもチュンシアと釣り合っていないシャンシャンだが、チュンシアはシャンシャンの熱烈なアピールに段々と心を許していく。初めてのデート、ジャージ姿でオンボロの中古バイクに2ケツする2人の姿が、素朴で微笑ましい。シャンシャンとチュンシアが席替えによって隣の席になるのも良い展開だ。思春期の少年たちにとって、好きな娘の隣に座ることほど嬉しいことはない。ハオ・ジエは、こうした学生時代の初恋や青春における重要な場面をしっかりと積み上げていくことで、「あ~、こういうこと自分にもあったな…」という共感や、「こんなことあったら良かったな…」という憧憬を呼び起こし、鑑賞者をストーリーに引き込むことに成功している。
ただ、演出の中にはやりすぎだと感じざるを得ないものもある。特に、交際にいちゃもんをつけてくる不良とシャンシャンの決闘シーンは勿体無い。ここでは、シャンシャンはある道具を使ってしまうのだが、シャンシャンは何も持たずに立ち向かい、無抵抗を貫くべきだったろう。せっかくクラスメートが助けてくれるのだから、彼の優しさを引き立てるシーンにしたほうがベターだ。あるいは、臆病なシャンシャンが、チュンシアのために奮起し、素手で勝ってしまうという展開もありかもしれない。
他方で、計算されたカメラワークと画面構成には光るものがある。シャンシャンとチュンシアがまだ親しくない頃は引きの画で2人の姿が捉えられるが、2人の距離が縮まっていくのに比例して、2人だけが映し出されるショットや、顔と顔のクローズアップがしっかりと映し出されていく。また、純粋で不器用なシャンシャンの熱い愛情を象徴する赤が、中国国旗はもちろん、カーテンなどの小道具に至るまで用いられており、2人の周囲を美しく情熱的に彩るのも素晴らしい。
甘い初恋に夢中だったシャンシャンとチュンシアだが、彼らに厳しい現実が訪れる。中盤、シャンシャンとチュンシアの仲は、理解のない大人と、不良の干渉によって裂かれてしまう。好きという気持ちは2人とも変わらないのに、シャンシャンを守るために、敢えてシャンシャンが望まない選択をするチュンシアの優しさが切ない。こうして2人の距離は徐々に広がっていき、それに合わせて画面構成にも変化が現れる。2人の愛を象徴していた赤は少しずつ姿を消していき、2人が抱く寂しさや憂鬱を象徴するように、暗い色合いが強くなっていく。前半では、悲しげなシーンでもすかさずギャグが挿入されることで笑いを生んでいたが、中盤以降はその傾向も消える。
後半では、大人になることのほろ苦さが描かれる。大学に落ちてチュンシアと別れたあと、まさかの補欠合格を果たしたシャンシャンは、紆余曲折を経て、チュンシアとの初恋を描く映画を作ることになる。出資者やカメラマンはトントン拍子で見つかり、映画製作は順調に進む。そしてシャンシャンは、チュンシアに出演依頼をするために故郷へ帰るのだが、そこで彼が目にするのは、彼が想像してもいないチュンシアの姿だった……。
青春ドラマである本作は、中国の急速な発展を描いた歴史ドラマでもある。70年代の終わりから90年代初頭まで続いた、「改革開放」(中国国内体制の改革および対外開放政策)の流れの中に生まれたシャンシャンは、教育熱の高まり、地方と都市の格差拡大、映画に代表される欧米文化の流入、農業文化の破綻と産業の近代化、北京オリンピック前に起こった「鳥の巣」の建設事故に代表される社会開発の悲劇や政治家の腐敗などが象徴する時代の変化を通じて、数々の挫折を経験していく。しかし、時代の変化の中で多くの挫折を経験しても、シャンシャンは変わらずチュンシアを想い続ける。その結果、シャンシャンはチュンシアと結ばれる最大のチャンスを手にするのだが、彼は自らそのチャンスを逃してしまう。シャンシャンがチュンシアを好きな気持ちは子供の頃から変わらないのに、その想いの重みが、いつの間にか彼が大人になることの足枷になってしまっていたのが、なんとも皮肉で切ない。
ハオ・ジエ監督いわく、本作は彼自身の自伝的な作品でもあるという。初恋に落ち、挫折し、虚栄心に溺れ、成功を掴みかけ、それでも初恋の相手を想い続けたシャンシャンの姿には、ハオ・ジエ監督自身の過去が反映されているのだ。そして、監督自身の過去を、中国が実際に辿った近代化の歴史にあわせて描くことで肉付けしているからこそ、本作には確かなリアリティがあり、人々に共感を抱かせる。また、マジックリアリズムを用いた意味深なラストに象徴される、初恋の相手と、永遠に失われてしまった大切な人の記憶を背負って生きていくことを決心したシャンシャンの姿は、挫折や悲しみを抱える人々に、新たな一歩を踏み出す勇気を与えてくれる。
本作には、主演の若手俳優をハッピーなストーリーで輝かせることに腐心しがちな日本の青春映画にはないリアリティと、鑑賞者の心を動かす大きな感動がある。中国映画にはあまり触れてこなかった筆者だが、本作は胸を張ってオススできる1本となった。ハオ・ジエ監督には心から敬意を表すとともに、今後の更なる活躍を期待したい。
(2015.10.28)
監督:ハオ・ジエ 製作:ヤン・チェンリー・リン 美術:ポン・シャオイン 編集:チュー・リン
出演:バオ・ベイアル ,スン・イー ,ワン・ポン
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