映画『サーミの血』トークイベントレポート【3/7】
宮台真司(社会学者)× 榎本憲男(小説家・映画監督)
新宿武蔵野館、アップリンク渋谷にて絶賛上映中!ほか全国順次公開
公式サイト 公式twitter 公式Facebook (取材:深谷直子)
榎本 じゃあ僕から別の映画も挙げると、『デザート・フラワー』(09)っていう映画があって、これはアフリカのちょっといびつな感じのイスラム教の社会に生まれた女の子がいて、そこでは女性割礼が行われているんです。それはすごくひどい因習、伝統で、死ぬ子もいるらしいんです。伝統は、例えば復古主義者は大事にしているんだけど、この主人公は「こんな伝統はいやだ」って言って命からがらロンドンに逃げていって、マクドナルドの店員をやっているときにカメラマンに見初められてモデルになって幸せを手に入れる。ここでは、古の世界、前近代というのは悪しき場所で、やはりロンドンみたいな近代都市は自分の命をセーブしてくれたよい場所として描かれている。こういった物語はやっぱり宮台さんからしたらクソですか?
宮台 いいえ。
榎本 宮台さんがよく言う「クソ社会」というものがあって、一方で宮台さんは「バーチュー(美徳)」ということも言いますね。つまりよき心、肉体というギリシャ的なもの、ある意味復古主義的なものじゃないですか。そういったものって今どれぐらい有効なのかな?って、僕は宮台シンパですけど思ったりするんですよね。
宮台 僕の答えは単純でね、このクソ社会は手放せませんよ。なぜかと言うと定住している僕たちが生きていくためには、定住社会のシステムや決まりにそれなりに従うしかないからです。先ほど祝祭の話をしたことからもわかってもらえるかもしれないけど、このクソ社会、定住社会というのは、僕に言わせると今がクソなんじゃなくてもともとクソなんですよ。使っていないものが誰かに帰属しているとか、あまたある性愛関係のうちのごく一部だけがレギュラーであとは許されませんよ、という虚構とか、1万年以上前にはまったくあり得なかったでたらめが定住社会を支えている。それはいいとして僕らの実存にとってはどうかと言うと、僕らが言葉を獲得してから4万年ですよ。それまでは歌を歌っていた。1万年前から定住をした。われわれの遺伝子的なものは、ご存じのように少なくとも20万年前、もしかしたら50万年前からまったく変わっていないんですね。ところが社会は、どの社会が滅びてどの社会が生き残るかという原理の中で淘汰、選別が行われるから、かなりの勢いで変わってきました。過去4万年前、1万年前、そうですね。特に過去3千年はかなりの変化です。しかしわれわれの感受性のベース、感情のプログラムを支えるベース、簡単に言うと基本的な感情の働きのポテンシャリズムはほとんど変わっていないんです。
榎本 「農業」はどう関わりますか? われわれの感受性ってすごく農業に制約されていますね。
宮台 でもそれは局部だし、非常に最近的な出来事だし、ある種インチキだっていうこともわかっている。
榎本 ああ、そこまで遡るとそういうことになる。
宮台 そうです、だからわれわれの国はもともとはサンカのもとになるような山人、やまびとを圧倒的に擁護していたんですけど、ある時期からそれを一切表向きはやめるんですね。ですから多くの人は転向したと考えるけど、転向していない、なりすましているだけだと考える説もあるんです。それは榎本さんの質問に対する僕の答えと同じで、もはやこのシステムを生きている以上「なりすます」しかないと。しかしなりすましを忘れてマジガチで適応すると病気になる。
榎本 なるほど。よく言われるのはグローバル社会は止められないと。もうグローバル化は必須で、だけどグローバル化というのは感情の劣化を促すものじゃないですか。で、解答を早めに求めると「どうしたらいいんだよ?」となるんですけど、そこは耐えろという話ね。
宮台 耐えろと言ってもいいし、「なりすませ」っていうことですね。なりすませないから多くの人は耐えられなくなってしまうんです、残念なことに。簡単に言うと、それが嘘だということを忘れて本当だと思うことで楽に生きられるというふうに思いがちだけど、実際にはこの社会って明らかに矛盾をはらんでいるんです。さっき性愛の話をしましたけど、恋愛結婚って19世紀の半ばからでしょう? それ以前には恋愛は既婚者同士の婚外における関係にしか働かない心の働きだとされていた。なぜなら恋愛=情熱愛、情熱=制御不可能性、制御不可能性=法を破らざるを得ない、だから恋愛というのは既婚者の間の感情。ところが印刷物が発達して小説が出てくると、一般ピープルも恋愛にアクセスできるようになって、未婚者の恋愛が出てくるわけです。そういう歴史を知っていればね、「1対1恋愛じゃないやつは許せん」とかってクズですから(笑)。「歴史を知らないのか」という話で一瞬で終了です。倫理でも何でもないんです。今日は他の映画の話はあまりできないんだけど、「ルールだと思われていたものがあまりにも非倫理的だ」という考えの映画作品がこの2年ぐらい続々と出てきているのは、やはりみなさんの感受性の中にある疑念が生じているからだと思う。「なんかおかしい、法を守ることが幸せにつながるとは到底思えない。いったいなぜ俺たちはこの社会に適応しているんだ?」みたいな感じが出てきているので、悪く言えば媚びているように見えるかもしれないけれど、こういった感受性に響くような作品が出てきているんだと思います。
監督・脚本:アマンダ・シェーネル
音楽:クリスチャン・エイドネス・アナスン
出演:レーネ=セシリア・スパルロク、ミーア=エリーカ・スパルロク、マイ=ドリス・リンピ、
ユリウス・フレイシャンデル、オッレ・サッリ、ハンナ・アルストロム
2016 年/スウェーデン、ノルウェー、デンマーク/108 分/南サーミ語、スウェーデン語/
原題:Sameblod/DCP/シネマスコ―プ
後援:スウェーデン大使館、ノルウェー王国大使館 配給・宣伝:アップリンク
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