公開二日目の日曜日。池袋ヒューマックスシネマズ4の前には女子中高生どもとその彼氏どもの長蛇の列ができていた。
筆者は前売り券を持っていたのだが、それを窓口で劇場用のチケットに換えねばならずその長蛇の列の中におよそ三十分間「あーオレ、
今どんな目で見られてんだろ・・・」などと思いながら佇んでいた。
おそらく年に一、二度映画館に足を運ぶか運ばないかのこの連中は劇場内でもうるさい。「一人で来ているのはオレだけだろうな、多分」
そう思うと、これから映画が始まるということとは何の関係もなくなぜか血圧、心拍数ともに妙に高くなっていき、
一刻も早く場内が暗くなってくれることを祈りながら、「理由ないけど、気に入らねー」モードに突入してしまったのである。
そんな良くない気持ちで映画を観始めたから、視線は自ずと意地悪になっていくはずなのだが、話が主人公の高校時代に突入し、
ヒロインとデートをしはじめる辺りから妙な気持ちになったきた。ちょっと気恥ずかしくてコソバユくて、そして懐かしい。
そんな気持ちになってきたのだ。これは良質な青春映画を観ているときによく喚起される気持ちだが、この映画の場合ちょっと意味合いが違う。
映画の内容というよりもこの映画の存在自体にそんな気持ちになってきたのだ。
少々気恥ずかしい話で、しかも話がそれるが筆者は中高生時代、漠然と俳優になりたいと思っていた。
そして出来れば悲劇のヒーローを演じたいと思っていた。
悲劇の中にいる主人公は、誰にも自分の悲劇を話さない。でもそんな主人公を陰からずっと見守っている女がいて・・・。
なんて好きな女の子ができるとそんなような話ばかり想像しては文化祭なりで劇にして発表していた。
一度も主人公の男を演じることはなかったが・・・。
この映画はその頃の筆者の気持ちにビシバシ触れてきたのだ。あの頃、俺が劇でやろうとしていたことが、
分不相応な美人になぜか気に入られる、そいつとバイクに二人乗りする、ガラス越しにキスする、
そして何らかの不条理な理由で別れざるを得なくなる、全てが詰まっているではないか!そして紛れもなくあの頃の筆者は、
自分の満足だけでなく、今この映画を観に来ているような当時は女子中高生だった女の子たちに向けて劇を作っていた。モテたいがために。
だから映画の内容ではなくその頃の感覚を思い出し、そして気恥ずかしくなり、「でも、やっぱこーゆーのっていーよなー」
と思わずにはいられなくなっていたのだ。
つまりこの映画は決して悪い意味ではなく、学芸会なのである。本来全ての映画やお芝居は学芸会の延長なのであろうが、
多くの人間はそんな学芸会をしていた頃の気持ちは失うし、こんな単純な話を面白いとも思わなくなっていく。
だが学芸会はいつの時代にも必ず行われているだろうし、そこではこんな話がガンガン作られているはずだ。
誰もがこんな劇の主人公になっている自分を夢想しながら一つ二つと英単語など忘れていった経験があるのではないだろうか?
特筆したいのがそんな劇の主人公を演じた森山未来という俳優だ。恥ずかしながら筆者はこの俳優さんを全然知らなかったのだが、
もう素晴らしいと思った。ヤンチャそうな中にちょっとの優しさと、微妙なはにかみ加減がブレンドされたあの面構えが特に良い。
決して二枚目ではないが、同姓から見ても妙に気になってしまう。「約束」という映画のショーケンのような雰囲気があると思った。
特に彼が空港で「助けてください!」と絶叫するシーンはえらくカッコ良く、冗談抜きに「あ、俺もやってみたい・・・でもあいつ、
ブルッちゃうくらいカッコイイ・・・」なんて場面なのであり、事実その場面では劇場から溢れんばかりの嗚咽が漏れていたし、
女の子だけでなく男の子もガンガン泣いていた。筆者も泣いた。みんな朔太郎と亜紀になりきって、
この虚構の中の愛を生きた気になっていたのであろう。素晴らしいことである。
そう、この映画は莫大な金をかけて、プロフッショナルな大人たちが集まって作った全く隙のない完璧な学芸会の劇であったのだ。
一つだけ残念だったのはせっかく地方を舞台にしているのになぜか方言ではなかったところだ。演出的な狙いがあったのかどうか分からないが、
なぜ方言にしなかったのだろう。
特に四国のそののんびりとした雰囲気の方言は主役の二人にもこの映画のテイストにもぴったりだと思ったのだが。
(2004.5.10)
主なキャスト / スタッフ
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