先ごろ惜しくも急逝した映画女優・林由美香主演の
『たまもの』で、2004年度日本映画の話題を掻っ攫った、いまおかしんじ監督の最新作。
浮気癖のある夫(吉岡睦雄)に愛想を尽かした人妻のアケミ(向夏)は、駆け込んだ漫画喫茶でキョウコ(平沢里菜子)という女と知り合う。
キョウコは援助交際で生計を立てながら漫画家を目指している、中途半端な女。
キョウコの部屋に転がり込んだアケミはキョウコに倣って援助交際を始めるのだが……。
生々しい感情が脈打っていた前作に比べると、この映画はとことん軽い。演技、台詞、映像、
編集が織り成す総体的な手触りがいいようもなく軽いのだ。この映画には、
成人女性による援助交際の実態を精緻に描出しようという意欲もないし、倫理的な問題に切り込む意欲も皆無。あるときは金銭の必要から、
またあるときは自分を罰するために援助交際を繰り返す女たち。彼女たちは無計画で怠惰な毎日を送ることで、
人知れず若さをすり減らしてゆくのみである。
そんな、社会においては"とるにたらない"女たちを描くにあたって、いまおか監督は彼女たちを買う男たちに奇矯な造形を施すことで、
売春行為の構図を客観視する。ある者は身体に唾を吐いてくれと頼み、ある者は「殴らせて欲しい」と頼む。またある者は、
女性を無抵抗の状態にしたうえでサディスティックに弄ぶ。もっとも、売春に対して無感覚な女性と、変質的傾向を持つ客の男たちという構図は、
"援助交際モノ"においてまるで目新しいものではない。だが、そこに一筋縄ではいかない演出を加味することで、他とは一線を画した、
鋭い表現が生まれている。
たとえばキョウコがサディストの二人組に弄ばれる場面。後ろ手に縛られ、ボールギャグを噛まされたキョウコは、無惨にベッドに転がされる。
おぞましいSMプレイが始まるかと思いきや、ラバーマスクを被った男たち(どうやら演じているのは川瀬陽太と伊藤猛らしい)
はペットボトルで「えいっ」とお尻を叩いたり、ドライヤーの熱風を浴びせて悶絶させるという、なんともおかしなSMプレイを展開する。だが、
責めを受けるキョウコの表情は当然ながら苦しげに歪んでおり、その苦痛を捉えたショットは必要以上に長い。それが「ピンク映画」
といういささか特殊な上映形態の映画ゆえに要請されたショットだとは納得し難い。笑いを誘う男たちの遊戯と、
対照的に苦しげな顔をしているキョウコ。そこにはすっかり人口に膾炙された「援助交際」という言葉の裏にひそむ、
殺伐とした闇が広がってはいまいか。アケミはデブ男の頼みに応じ、大金と引き換えに自分の身体を殴らせる。腹を殴られて蹲ったアケミが、
唇から垂らす透明な液体――。そこにもひどく憂鬱な暴力の光が煌く。しかし次の瞬間、殴られた金で新居を得たアケミは、
赤紫に腫れ上がった顔に清々しい笑みを浮かべるのだ。こうした鮮やかな場面転換の連続が、映画に繊細な陰影をもたらしている。
もっとも、この映画はちっとも暗くないし、過度に暴力的なわけでもない。筆者は「援助交際」というモチーフを掲げた以上、
宿命的に挿入せざるをえない売春場面の冴えを指摘したのみである。映画はむしろ底抜けに明るいし、とても愛くるしい。彼女たちが、
唯一浮世の憂さを忘れてのめり込めるのが、漫画を読むことと一緒にダンスを踊ること。いまおかしんじが脚本を書いた、
サトウトシキ監督による傑作『ロスト・ヴァージン やみつき援助交際(ビデオ題名『手錠』)』でも、「プール、プール♪何があっても、
プール♪」という、とことん無意味な歌が劇中で流れて爆笑を誘ったが、この映画でも「飛んで、お腹出して、カエルの娘だ~ウッフン!」
という、絶句するほどくだらない歌詞の楽曲に乗り、アケミとキョウコは部屋の中でダンスを踊る。その初々しく溌剌とした躍動はどうだろう。
ここで監督は、べつに奇を衒っているわけではない。昨年、たしかに着ぐるみめいたファッションが一部で流行っていたし、
この映画でキョウコとアケミが興じるようなダンスは少女たちの遊びとして古くから定着している。要は社会の表面に浮かんだ現象を、
どれほどオリジナリティ豊かに映画の中へと取り入れるかということだろう。
一方で、なにやら自信にみちた正攻法の演出も多々見受けられる。キョウコがアケミに初めて援助交際をさせる場面。当惑していたアケミは、
キョウコのいる前で徐々に快楽に導かれてゆく。客の男に組み敷かれたアケミがあえぐ表情を捉えたバストショット。
十分すぎるほどの時間がそのショットに与えられた後、彼女をじっと見つめるキョウコのアップに切り替わる。その行間に不思議な「映画」
の薫りが立ち昇る。あるいは、病気にかかったキョウコが実家に帰ることになり、アケミとの別離を惜しむクライマックス。
駅のホームに佇む二人。「あんたの漫画、面白いよ!」精一杯の励ましの言葉をかけるアケミ。それに対してキョウコは「あんたと一緒にいて、
楽しかった」と返す。やがて二人の面前で閉ざされるドア。走り出す電車……。台詞にも映像にもシーンの構成にも何ら新味はなく、
驚くほどストレートな演出なのに、それらが不思議と胸の奥にすとんと落ちていく。
しかしこの映画が真に素晴らしいのは、その大胆不敵なエンディングだ。なので、もしこれからこの映画を見ようと思う人は、
ここから先は読まないで下さい。
駅のホームでの別れから何年かが過ぎて、アケミは「元気」と「勇気」
と名づけられた育ち盛りの二人の息子を抱えたシングルマザーとなっている。一家が下北沢の駅前で佇んでいると、
かつてアケミが好んで被っていたカエルの着ぐるみが近づいてくる。それはキョウコだった。漫画家としてデビューを果たしたキョウコは、
いつのまにか再び上京し、念願の漫画の仕事を続けながら着ぐるみのアルバイトをしているのだ。再会を喜び合う二人は、嬉しさのあまり、あの
「飛んで、お腹出して、カエルの娘だ~ウッフン!」という歌にのって踊り始める――。そして、魔術が起きる。アケミの浮気な夫、
アケミの初めての客、「殴らせて」と頼んだデブ男、変態ラバーマスク兄弟といった、脇役からエキストラ風情のすべての人々、
すなわち"とるにたらない、おれたちみんな"がにわかにフレームになだれ込み、アケミやキョウコと一緒になって、いっせいに踊り始めるのだ。
そのチープきわまりない祝祭的フィナーレは見る者を愕然とさせるが、このフィナーレによってこそ、
映画は何処か別の次元へとゆっくりと飛翔するのである。アケミとキョウコの隣に「元気」と「勇気」
が配置されているあたりのユーモアと優しさもたまらないじゃないか!
舞台が下北沢駅前に設定されているのは、最近話題になっている「下北沢再開発計画」の問題とも無縁ではあるまい。近い将来、
風景が様変わりするかもしれない下北沢駅前で繰り広げられる、名も無き人々による楽天的なパワーに溢れたダンス。
この温かな"昇華"の表現には、問答無用で心を揺さぶられた。つまりこれが映画芸術だ。必見!
(2005.7.25)
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