カティンの森
『地下水道』(56)、『灰とダイヤモンド』(58)などで知られる巨匠アンジェイ・ワイダ監督の新作『カティンの森』(07)がいよいよ日本で公開される。本作に関して、ワイダ監督へのロングインタビューや映画の撮影の様子をNHKのETV特集で取り上げていたので、それを見て本作の日本公開を心待ちにしていた人も多いことだろう。
ワイダ監督の母国ポーランドは苦難の歴史を歩んできた。1795年にロシア、プロイセン、オーストリアに分割され1918年までポーランドは地図上から消滅。第1次世界大戦後に一時独立を果たしたかと思えば、今度は第2次世界大戦で、ソ連とドイツに攻め込まれる。そして戦後はソ連の衛星国とされ、その監視下に置かれ、1989年の東欧革命でようやく民主主義を打ち立てたのである。ワイダ監督は1926年生まれだから、その人生はポーランドの激動の時代の変遷とともにあったと言ってもいい。彼の作品には大国に翻弄され続けていた小国の悲哀が刻まれている。『灰とダイヤモンド』では戦後ポーランドを支配した社会主義政権への抵抗を描き、『大理石の男』(76)ではスターリニズムの嘘に立ち向かい、『鉄の男』(81)では生まれつつある自由の兆しを見つめている。
そんなワイダ監督が本作の題材に選んだのは「カティンの森事件」だ。1940年にソ連で起こった、約15,000人のポーランド将校虐殺事件のことである。事件発覚時からナチスの所業とされてきたが、1990年にゴルバチョフ大統領がソ連の関与を認め、謝罪。ワイダ監督の父もカティンの森事件の犠牲者であり、いずれこの残虐な事件を映画化したいという思いを長らく抱いていたが、冷戦下のポーランドではカティンの森事件を語ることはタブーとされ、その思いはなかなか叶うことはなかった。そのことを思えば、ワイダ監督にとって本作はまさに入魂の一作であるのは疑いようもないが、今、カティンの森事件を取り上げることによって現在を生きる我々にいったい何を示唆してくれるのか?そんな思いを抱いて本作を鑑賞した。
映画は1939年9月、ポーランドに東からソ連、西からドイツが侵攻してくるところから始まる。ポーランド軍の大尉アンジェイ(アルトゥル・ジミイェフスキ)がソ連軍に連行されることを知った彼の妻アンナ(マヤ・オスタシェフスカ)と幼い娘ニカは、共に逃げようと訴えるが、軍に忠誠を誓うアンジェイはこの提案を拒否し、友人のイェジ中尉(アンジェイ・ヒラ)らとともにソ連軍の列車に乗せられる。彼は見聞きしたこと全てを記録することを決意し、ソ連兵の監視の目を盗んで手帳にペンを走らせる。また、アンジェイの父で大学教授のヤン(ヴワディスワフ・コヴァルスキ)はドイツ軍に逮捕され、収容所に送られ、そこで死亡。アンナもニカもアンジェイの母(マヤ・コモロフスカ)も、アンジェイの無事をひたすら信じ、帰還する日を待ち望んでいる。
物語はこのアンジェイ一家を核として、アンジェイの上官の大将(ヤン・エングレルト)とその夫人(ダヌタ・ステンカ)と令嬢エヴァ(アグニェシュカ・カヴョルスカ)、アンジェイが収容所で一緒になった空軍中尉ピョトル(パヴェウ・マワシンスキ)とその姉妹(アグニェシュカ・グリンスカ、マグダレナ・チェレツカ)、アンナの兄(ソ連兵に連行されている)の息子タデウシュ(アントニ・パヴリツキ)など、多くのキャラクターを登場させている。そのことにより、本作はアンジェイ一家のホームドラマではなく、当時のポーランド国民の物語という、家族の物語の枠を超えてスケールの大きく、奥行きのある作品に仕上がっている。
1943年、カティンの森で多数のポーランド将校の射殺体が発見される。やがて大将、アンジェイ、ピョトルの死亡が確認されたが、この事件はナチスの蛮行と発表された。そして戦後、ポーランドはソ連の支配下に置かれる。それにより、ピョトルの姉妹は立場を異にし、姉は学校の校長としてソ連の指令通りの教育を生徒に施そうとするし、妹は兄がカティンでソ連によって殺害されたことを墓碑に刻み、警察に逮捕される。イェジは生きて帰還するが、ソ連の下で結成された軍に入隊して少佐に出世し、ソ連から吹き込まれた内容(カティンの森事件はナチスの仕業)をオウムのように繰り返すばかり。大将夫人は、夫のかつての部下であるイェジの話す内容を「嘘です」と毅然と言い放ち、彼を責める。このようにワイダ監督は様々な人間模様を描いているが、どの登場人物にも明るい未来も、かすかな希望も見出せない。父親がカティンでソ連に殺されたと信じるタデウシュとエヴァとの間に芽生えた淡い恋が、唯一の希望の灯となるのかな・・・と思わせたのも束の間、次のシーンでは一転して悲劇に突き落とすという残酷さ。そして大将夫人に責められ、絶望と後悔に苛まされ自殺するイェジ。校長の「ポーランドに自由はない」という諦念。当時のポーランドの人々の絶望的なまでの厭世観や閉塞感がスクリーンから伝わってくる。
ワイダ監督の父はカティンの森事件で虐殺されているのだから、自身の父の姿を投影しているのであろうアンジェイが生きて帰ってくることはないと、映画を観る前から諦めに似た気持ちで予測していた。だが、アンジェイは過酷な運命が待ち受けていることを知らず、いずれ帰還できることを信じている。収容所でクリスマスの日に、アンジェイ達将校が国を思い、家族を思いながら聖歌を合唱したり、大将が将校達に「生きて帰って、祖国の復興のために力を尽くそう」と激励したりするシーンは、大将やアンジェイ達の思いと我々観客サイドの思いの温度差が最も際立ち、見ている側としてはやり切れない思いでいっぱいになる。
ただ、本作はこのような悲惨な事件を引き起こしたソ連を糾弾するものではない。糾弾を目的とするのなら、エンド・クレジットの前に、例えば「1990年、ゴルバチョフ大統領はソ連の関与を認め、謝罪。事件の犠牲者は約15,000人」などという総括のコメントを挿入したほうがソ連の犯罪という点がより明確に示せたはずだ。だが、本作のラストシーンの後には何らコメントを入れていない。音楽もなく、クレジットが流れるだけだ。
またワイダ監督は、アンジェイを英雄として描いているわけではない。戦争を扱う映画のなかには、勇ましく戦ったものの志半ばで気高く散っていった軍人や兵士を英雄視し、過度にエモーショナルに美談化している作品も見受けられる。だが、本作ではそのような感傷を一切排除している。将校達を処刑するソ連兵は無表情で、まるで流れ作業のように無駄な動きもなく処刑を繰り返す。将校達が自らの人生を振り返ったり、家族を思ったり、愛国心をたぎらせ「ポーランド万歳!」などと叫んだりする状況を与えていないので、感傷に浸る間がないのだ。カティンの森に乾いた銃声が響くたびに、一人また一人と命を奪われていく。
アンジェイはなぜ自分達が殺されるのか分かっていなかったし、従容として死に臨んだわけでも、自分の死がポーランドの明るい未来の礎になることを願い、生き残る家族に望みを託したわけでもない。彼らの命の犠牲によって、ポーランドが平和で自由な国になったわけではないことは、戦後生き残った人々の様子を見れば明白である。アンジェイ達の死は、犬死に以外の何物でもない。
このような描写を前にして、観客がソ連の所業に怒りを覚え、アンジェイ達の無惨な死に心を痛めるのは人間として自然の心理だろう。だが、あれほど無情な処刑シーンを長々と描いたワイダ監督の目的はソ連を憎ませるためではなく、あくまでもカティンの森事件を事実としてフィルムに残しておきたい、という一念によるものだ。では何のために?
東欧革命から早20年。ソ連の支配下に置かれた冷戦時代を知らない若者が増えているのだろう。本作はカティンの森事件を真正面から捉えた最初の映画と言ってもよい。事件からおよそ70年が経とうとしている今、ワイダ監督のようなカティンの森事件の遺族も高齢化が進んでいるはずだ。あの悲劇を体験した人が年々減っていくなか、事件が風化し、人々の記憶から忘却されることを食い止めようとしている。
ワイダ監督は父が無意味に殺害されたのであれば、せめてその死がどういうものであったのか、父はなぜ殺されて、それによって戦後のポーランドがどう変えられてしまったのか、ということを人々に再認識させたかったのだ。さらに若い世代に対しては、その事実を明らかにして残しておきたかったのだ。
アンジェイが見聞きしたものを手帳に書き留めているのも、自分に万一のことがあった場合、何かを残しておきたいという思いからだ(ただし、彼はここまで悲惨なことになるとは想像だにしていなかったのだが)。イェジの計らいにより、奇跡的にその手帳がアンナに届けられるが、事実を残そうとした人と、それを受け取った人がいたことは、せめてもの救いだ。
だが、冷戦時代は事件に触れることは許されず、手帳に書かれていたような出来事が公表されることはなく、手帳は残し伝えるという役割を果たせないでいた。まるで無意味に殺されたアンジェイ自身のようだ。だが70年の時を経た今、その手帳の記載内容を映像化したスタイルをとった本作が完成したことにより、封印されていた過去が現在に蘇り、人々の記憶に楔を打ちこむ。事実を伝えたいと願ったアンジェイの思いがようやく叶えられたようにも思え、カティンの森事件の犠牲者へのせめてもの鎮魂になれば、と観ている側も願わずにはいられない。
そんなワイダ監督の真摯な思いは、ポーランドだけではなく世界の人々にも充分通じるものだ。日本もそうだが、過去に多くの国が戦争によって悲惨な経験をしている。そして戦争によってどれだけたくさんの人が無意味に死んでいったことか。カティンの森事件と他の様々な凄惨な事件はそう簡単に比較はできないが、戦争によって愛する人を失う辛さは人類共通だ。そんな愚かなことを繰り返さないために、戦争の悲惨さや残酷さを次の世代に伝えるためには、もはや記録を「残す」ことしかできない。さらに、若い人達にも生半可な気持ちで過去を振り返ってほしくない。そのためにはクライマックスであるカティンの森の処刑シーンも躊躇することなく描いている。その惨劇ぶりに思わず目を背けてしまいたくなるが、どんな悲惨な歴史だとしても、それと向き合う覚悟が問われているようで、目を逸らすことも許してくれないような、ワイダ監督の強靭な意志が感じられ、圧倒される。
また、前述のとおりエンド・クレジットが流れる際には音楽はない。これはカティンの森事件の後、ソ連によって抗議の声を抹殺され(手帳から事実を知ったアンナもなす術がなかったことは容易に想像できる)、沈黙を強いられたポーランド国民の思いであり、まさに「死者に口なし」とでも言うべきか、正当な理由もなく殺害されたことについて声を上げることができなかった犠牲者達の無念の思いのようだ。
だからこそ、その「沈黙」が非常に重く心にのしかかる。何しろ70年分の重みを持っているのだ。エンド・クレジットで映画館の席を立ってしまう人もいるが、本作ではぜひとも館内が明るくなるまで席を立たずに、その重みも感じていただきたい。そして、ワイダ監督の渾身のメッセージをしっかりと受け止めていただきたいと思う。現代人必見の一作と言っても過言ではない。
(2009.11.27)
カティンの森 2007 ポーランド
監督・脚本:アンジェイ・ワイダ
出演:マヤ・オスタシェフスカ,アルトゥル・ジミイェフスキ,ヴィクトリャ・ゴンシェフスカ,
マヤ・コモロフスカ,ヴワディスワフ・コヴァルスキ,アンジェイ・ヒラ,ダヌタ・ステンカ 他
12月5日(土)岩波ホールにてロードショー、他全国順次公開
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主なキャスト / スタッフ
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