映画『ヒア アフター』公開によせて
黒沢清監督にイーストウッドのことを聞く
2011年2月19日(土)より、丸の内ピカデリー他全国ロードショー
クリント・イーストウッド監督の『ヒアアフター』が公開されるにあたって、イーストウッド映画のことを一度じっくり聞きたいと思っていた黒沢清監督にお話をうかがった。イーストウッド好きとして知られる黒沢監督だが、スピルバーグ作品やデジタル撮影に関してまで話しが及び、興味深い内容になった。イーストウッド作品が好きな宮地昌幸監督にも同席していただき、協力いただいた。黒沢監督、宮地監督共に忙しい中をありがとうございました。 (わたなべりんたろう)
わたなべりんたろう(以下、わたなべ) 『ヒアアフター』はギリギリのところでストーリーが進んで行くところがあるじゃないですか。例えれば、細い崖っぷちを歩っているような作劇で、どちらかに落ちたら壊れちゃうような。よくそんなストーリー展開の映画を撮って、不思議な感触の映画になっているんですけど。黒沢さんが言ったように初めのスペクタクルが大きいから何か起きるのかと思ったら、殆ど何も起きないで終わっちゃう。死後の世界が逆光のようにぴょんぴょん途中で見える。少年が地下鉄で惨事に遭遇するシーンも不思議なタッチで。
黒沢清(以下、黒沢) <注/若干のネタバレあり>地下鉄でテロが起こるんですけれど、あれも時事的な話題が入っているのですけれど、脚本はそうなっているということなんでしょう。イーストウッドの個性が露呈しているところんなんでしょうが……どう撮っているか忘れましたが、帽子がこういって、あっちいって、地下鉄がヒュっていって、バン!……えっ?いやまぁ、多分、悪く言えばこんなものでいいのだという手抜き、良く言えば、案外実際にロンドンで体験した人はこんなくらいだったのではないか……盛り上げようと思えばいくらでもできる。いや案外そこで助かった当事者にしてみればあれがリアルで、ドラマ的に盛り上げる事は出来ても、それはドラマで現実はこんなものかもしれないよ。というあのあっけなさというのは案外現実に即しているのかもしれません。それがイーストウッドという人の世界観かも知れません。
わたなべ そうですね。本来、死体が出てくるシーンですよね。炎が下のほうであがって……。
わたなべ こわいですよね。
宮地 『インビクタス』でも試合会場に飛行機があたかも911のようなニュアンスでくるけれど平気でしたみたいな。
黒沢 あれも無茶でしたね(笑)。
宮地 興味のなさがすごい。さくっとやっちゃう。
わたなべ そうそう、だから大統領ごと爆殺……あたかも『ブラック・サンデー』のようですが。そんなことが当時の南アフリカであったのか実際は知らないですが。
宮地 意外と観客の気持ちを持っていくのにあっさりしている。
わたなべ こわいですけれどね。
黒沢 そうですね。
わたなべ 『インビクタス』でびっくりしたのが、トム・スターンで、試合中にカメラを選手の中において撮っているじゃないですか。あれが凄い面白かった。イーストウッド作品で、あんなに肉体的に撮ってしまうのだと。
黒沢 凄く素直なノーマルな発想だと思います。かつてはそれが大変ですよと言われた。なぜなら観客席が映るからなんですよね。何万人の観客をエキストラで呼ぶのですかと。それは後で平気でCGではめ込めるよという事でやったと思うのですが、その割り切り方はすごいなと思います。僕はやった事無いですが、試合やっていると、しかも大観衆だと、カメラ中の側におくと大変ですよ。テレビ中継みたいなものでも観客映りますが、ああやってやるとまだごまかせる。いや、えらいことです。
わたなべ 外では少年がラジオ聞いて喜ぶみたいな、古典的なことやるんですよね。ストリートが町中が熱狂する。他にもモーガン・フリーマン演じるマンデラのいた刑務所を訪ねたマット・デイモンを演じる主人公の思いと重なる。すごい古くさいので、あそこは良くないという批評もたまにありますが。
黒沢 どこまでイーストウッドがシーンの必要性を信じているのか分からない。しかし、マット・デイモンという俳優は奇妙ですよね。『インビクタス』でも、彼の家族は変でしたよね。試合してる彼とその家族、なんかつながっていない。今回も変で、サンフランシスコで働きながら悩んでいるマット・デイモンとディケンズの見学しているマット・デイモン……これは同じ人なのかなと。知的なのかバカなのか、閉じこもってるのか出て行くのか、孤独なんだか誰か求めているのか……むちゃくちゃですよね。それが多分それでいいという、マット・デイモンだから許されているのか、マット・デイモンだから余計混乱するのか分らないですが。こんな人がいるのかということで、いるんだからしょうがないということで成立させているのでしょうね。
わたなべ 観客はあんなにディケンズ好きだと分かってないですからね。そこまで行動するほど好きだっけみたいな。
宮地 キャラクター性を脚本上で作ったり、言葉で肉付けしなきゃとか色々考えすぎてしまうじゃないですか。それがどこかで映画は別にそういうものなんだという、あっさりとした映画への愛の無さが、逆にうまく愛になっているというか。
わたなべ 薄いのだか濃いのだかよく分からないという。
黒沢 僕もちょっと穿って考えたのが、イーストウッドはひょっとすると本が好きで、映画を出来たら本を読むかのように映画にならないかとどこかで思っていて、ある種の平板化、僕も本には詳しくありませんが、本を読む事においては東南アジアでの大津波も、ブックマーケットでの三人の出会いも割と同質のドラマとして捉えている。
わたなべ 確かに同質に感じます。
黒沢 ヴィジュアル化したらまるっきり違うんですが、分かっていながら本を読むように、ある種平板化していく。パリもロンドンもそういう意味では一緒です。そういうものを目指しているのか……?
わたなべ 『ミスティック・リバー』などは案外激烈だったじゃないですか。題材としてはまるっきり違いますし、ショーン・ペンの熱演もありますが。
黒沢 もちろん、これは意識的にしろ無意識的にしろ、これだけどっぷり映画のプロでありながら映画じゃないものを目指して、平気で映画を踏みにじるようなところが奇妙でイーストウッドの魅力になっているのかもしれません。
わたなべ 『ヒアアフター』はもしかしたら知らない人が見たら、イーストウッドだとわからないかも知れません。最後もこの終わり方でいいのみたいな感じだし。
黒沢 あそこだけがね、あたたかい色彩があるので、観ようによっては彼の妄想だと言えなくもないのですが分からないですね。
宮地 最後に食い足りなさが残る感じも、また食べたいとなるんですよ。それがずるいんですよねぇ。見せすぎない、ずるさってのが。
わたなべ 不思議な終わりでした。普通はあのようには終わりません。
黒沢 <注/若干のネタバレあり>ええ、普通はあそこから始まってもおかしくありません。通常、僕なんかが学んだある種オーソドックスでいくと、強烈な臨死体験をしたフランス人女性と霊能力があるアメリカ人男性が出会う……出会うのは真ん中です。起承転結の転ですね。しかしこれは出会うのがラスト……いやぁ無茶です。
構成:わたなべりんたろう 協力:宮地昌幸、書き起こし/小泉宗仁 1/14収録
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