小林 政広 (映画監督) 映画「日本の悲劇」について
2013年8月31日よりユーロスペース、新宿武蔵野館他にて全国順次公開
2010年7月に東京都荒川区で起きた年金不正受給事件から明らかになった高齢者所在不明問題が全国に拡大し、年金に頼った遺族が死亡を伏せたまま受給を続ける事例が次々に報告されたことを覚えているだろうか。高齢者、年金、雇用という現代の日本が抱える問題が凝縮された事件でありながら、東日本大震災によってかき消されてしまった感がある。雨後の筍のように製作される震災関連映画は、いずれも“あの日から”を描こうとする。『日本の悲劇』は、あの日の前と後も日常が続く老人の視点から今を描く。自ら部屋に閉じこもり、ミイラになると宣言する老人を仲代達矢、失職からうつ病となったせいで父の年金に頼って暮らすことを余儀なくされる息子に北村一輝、その前妻に寺島しのぶ、仲代の亡妻に大森暁美と、実力派の俳優たちが顔を揃え、ある一家の悲劇を映し出す。全シーンを家の中だけに限定し、モノクロの画面で展開する重々しい内容だが、安易な希望や優しさが入り込む隙を与えない厳しさが全篇を貫く。監督の小林政広は、イラク日本人人質事件で巻き起きた個人攻撃をテーマにした『バッシング』(05)、行き場を無くした老人と孫娘がさまよう旅を描いた『春との旅』(10)など、現代日本を厳しい視点で描き続けてきた。『春との旅』に続いて仲代達矢を主演に迎えた本作で、仲代が現在の映画に主演することの意味、そして自主製作の形で映画を作り続けることができた理由を中心に小林政広監督にお話をうかがった。(取材/文:モルモット吉田)
――小林政広監督の作品に仲代達矢さんが主演するのは、『春との旅』に続いて2作目になりますね。
小林 もう映画を辞めようと思っていたんです。出し尽くした感があって。それに体を壊したこともありましたから。そうしたら仲代さんの方から話があって。その時は何も思い浮かばなかったんですけど、毎月のように電話で「どうなってる?」と。早くやらないと舞台のスケジュールがどんどん埋まっていくのでスケジュールが取れないと。ちょうどその頃テレビを見ていると、無縁社会っていうシリーズや、孤独死が取り上げられていて。2010年7月に、足立区の年金不正受給事件が起きたんです。男が即身仏になって、死ぬって宣言して自分の部屋に立てこもって死んでミイラになっちゃったっていう話だったら出来るなと。ただ、仲代さんが餓死する男の役を演ってくれるかな? というのがあったんです。それで脚本も書いたんですけど、これは無理だろうと。本人も演りたくないと言うだろうし。それに、実は別の企画も動きだしていたんです。
――別の企画というのも、仲代さんの主演企画ですか?
小林 ええ。黒澤明の話です。ただ仲代さん、それは断られたんです。はっきりと断る連絡はなかったんですけどね。そのうち、その企画も、立ち消えてしまって。そのうちに彼は舞台に入り、僕は僕で、大阪に引っ越したりして、しばらく連絡を取り合わないようになった。そうこうしているうちに震災が起きたんです。引っ越して、3か月後ぐらいですかね、原発事故とか色んな問題が目の前ですごく大きく取り上げられてるんだけど、年金問題や孤独死が置き去りになっちゃったなと思った。今だったら震災と絡めてあの脚本を直せるんじゃないか。そう思い、直し始めたんですが、割と早く出来て、印刷して仲代さんに送ったら何日か後に、OKの返事が来たんです。
――映画監督と俳優の関係というのは、1本だけでは分からない部分があるんですが、仲代さんからそれほど熱心にラブコールがあったと言うことは、やはり『春との旅』の満足度が本当に高かったんですね。
小林 『春との旅』の初号が終わった時に、僕は直ぐに人と会うのが嫌なのでトイレに行ったんですけど、仲代さんとトイレで顔を合わせたんですよ。そしたら、仲代さん、自分の映画の初号で泣いたのは初めてだと言うんです。それ以降もプロモーションでいろんなところへ行きましたが、毎回、彼は、映画を観てから、舞台挨拶をするんです。家でも観てるみたいなことをおっしゃってました。
――仲代達矢という名優を、ある時期から日本映画は活かせなくなってしまったと思っていたんです。特に演技の質が、仲代さんの演技と今の映画の演技がかけ離れてしまっただけに、周りはナチュラルな芝居をしている中で、仲代さんだけが目を剥いてオーバーに演じている。そんな違和感が『春との旅』では無かったんです。どうやって仲代さんの演技を活かすことができたんでしょうか?
小林 『春との旅』は、もちろん『東京物語』がベースです。現代の『東京物語』みたいなものを書いてみたいなというのがあったんですけど、これを淡々と小津調で撮っても面白くないと思った。今の映画にはならないと思ったんです。なぜ仲代さんにお願いしたのかというと、その頃、家でいろんな映画を見直していたんですが、黒澤明ファンの知り合いがいて、DVD-BOXを貸してくれたんですよ。それを持って、気仙沼にこもって、『姿三四郎』から全部見直して、最後の方で『乱』を観たんですけど、公開時に観たときは、権威主義みたいな映画で好きじゃなかった。でも見直してみると、実験的ですごい映画だなと思ったんです。とくに仲代さんの狂気を帯びていく芝居が凄まじかった。この映画の仲代さんが『春との旅』の中井忠男の役をやったら全然違う映画になるなと。黒澤明の映画のように、躍動感が映画の中に入ってきて面白くなるって思ったんです。でも仲代さんは、ホンを読んで「僕は今までとは全然違う芝居をやってみようと思うんだ」って言うんです。笠智衆のような芝居を『春との旅』ではやってみたいと。僕は、「ちょっと待ってください、『乱』の仲代さんでやってほしいんです」と話しました。そしたら「いや、僕は何も芝居をしないで淡々とやっていきたい」と言う。
――仲代さんのような俳優になると、監督の思い通りの芝居をしてもらうのは難しそうですね。
小林 監督の思い通りに芝居をしてもらうと言うのは、最初から考えていません。それは、仲代さんに限った事ではなくて、どの役者さんに対してもそうですが。自分の掴んでる役のイメージと、役者さんが考えてきた役のイメージのすり合わせだと思うんですよ、演出と言うのは。僕は緒形拳さんと二本映画を作ったんですが、やるまでは「よろしくおねがいします!」なんて頭下げられて。でも現場に入ると別人のようになる。連日連夜現場が終わると翌日のシーンのホン直しを要求されるんです。それがすごく辛かった。もう二度とこんなことは嫌だと思いました。すごく勉強にはなったんですが、自発的でない台本直しと言うのは、腑に落ちないことばかりなんですね。最初、仲代さんもそういう人かなと思った。だから、現場に入る前に、マネージャーを通して、一度、仲代さんにお会いして、思ってることを全部、言ったんです。「台本に関して、疑問点などがありましたら、今、聞かせてほしい」と。そうしたら「僕はこのホンを気に入ったからやるんです。一字一句全部そのまま喋ります」って仲代さんはおっしゃった。でも、そう言われたらそう言われたで、逆にプレッシャーで(笑)。
――台詞は尊重するけれど、演技は監督の求めるものとは真逆のものになると。
小林 その可能性はありました。それじゃ、何か仕込まないとと思った。普通は、春役の女の子との芝居から撮るのが順当ですし、助監督もそういうスケジュールを組んだんですけど、変えて貰って、撮影の初めに大滝秀治さんとの芝居を組んだんです。遥か彼方から望遠レンズで2人を撮った長廻しの芝居です。そうやって撮ったら一発で芝居が『乱』の仲代さんに変わったんです。やっぱり大滝さんが芝居をする人ですから、2人に火花が散って。もう淡々となんてやっていられない状況になって。それが、すごくうまくいったんだと思っています。