鈴木 聖史 (監督) 映画『ホコリと幻想』について【3/4】
公式サイト 公式twitter2015年9月26日(土)より、ヒューマントラストシネマ渋谷(レイト)他全国順次ロードショー
9月12日(土)よりディノスシネマズ旭川/ディノスシネマズ札幌劇場北海道先行公開
(取材:岸 豊)
――今回、何か特別な演技指導はされましたか?
鈴木監督 今回は、まっさらな状態から演じてもらうのではなくて、事前に話し合いを重ねたんです。特に戸次さんと美波さんとは撮影の直前にかなり話ができたので、お互いに思っているところなどを摺り寄せることができました。他のメンバーとも撮影前に話ができたんですが、特にメインの二人は事前に役を作りましたね。
――具体的に、お二人とは、どんなお話をされたんですか?
鈴木監督 戸次さんは、後半の芝居に関してまだ決めかねている様子でした。今回は順撮りというわけではなかったんですが、メインは撮影の後半に残していたので、後半は流れの中で、役者さんとして到達するところで演じてもらえればいいかなと思っていましたね。その中では、戸次さんから色々と質問されたりとか、戸次さん自身からの提案もあったりしました。それぞれのシーンを撮っていくと、予定していた通りにならなかったりもしたので、「こうしてみたい」というアイディアが本人から出てきたりもしました。予定通り撮影したところもあれば、思い切り修正したシーンもありましたね。
美波さんは、彼女が演じた美樹は地元に残って結婚をしているので、美波さんは結婚観について最初から最後までずっと考えていたみたいですね。そして松野というキャラクターが現れることで、どこに美樹の心の移ろいがあるのかについて懇懇と詰めていました。美樹には子供がいないので、そこに関しては美波さんなりのすごく女性的な捉え方があって、田舎に住んでいて子供がいないっていう状況については劇中では語られないんですが、「田舎に残った女性像」について中心的に話し合いましたね。
――今お話にあった子供について、遠藤要さん演じる松野の同級生と美波さん演じる美樹の夫婦の間に、子供がいない理由は?
鈴木監督 一番大きかったのは、美波さん自身も感じていたように、美樹自身が地元に残りたかったのかどうかということに対しての、追い込みがあったほうがいいなと思っていたんです。多分、子供がいると、「地元に残る」ことに納得すると思うんですよ。でも彼女には子供がいないので、言ってしまえば、心が何かに揺れ動いたら、身軽に動くことができるという状況がある方がいいと思ったんです。子供がいると、常に子供の存在を前提に心の揺れ動きを否定できるので。そうなると、物語の振り幅として面白くないなと感じていたんです。
――演出に関して、本作では肝心のモニュメントが直接映し出されず、マクガフィン的な小道具として使われているのが印象的でした。『ある夜のできごと』でも、幼馴染の再会のきっかけとなる、亡くなった地元の先輩については直接的な言及や回想などはありませんでした。ストーリーの展開の核となる小道具を、「敢えて見せない」という演出に、監督の作風が出ているように感じました。
鈴木監督 モニュメントを登場させなかったのは脚本の段階から決めていたんです。今回の場合、モニュメントが松野自身を表す可能性が強くて、それを具現化するということの面白みのなさというか、作っていくプロセスでこんなものができあがるとか、設計図が見えた段階で、松野の思いや抱えたものに、ある程度の線引きをしてしまう可能性がありました。なので、どう映ったのかはわからないんですけど、ストーリーはモニュメントを追わなくてもいいように構成したつもりだったんです。終盤でモニュメントを見ずに壊していくときも、破片すら見せない。彼が作り上げた根本にあったものを具体的なものとして表現すると、逆効果になる気がしたんです。『ある夜のできごと』も同じかもしれないんですが、過去の中枢みたいなものが具体的に出てくるよりは、今の心情から吐露して言ったほうが面白いのかなと思いました。
――本作では監督・脚本・企画・編集と1人4役をこなされていますが、相当な負担だったのではないでしょうか?
鈴木監督 4役については、企画をして、終わったら脚本を書いて、現場で監督をして、終わったら編集するというように、時間ごとに変わっていきました。自主映画をやってきたので、物語を書いて撮って仕上げるという意味では、全プロセスに関わるのは、最初からそうしてやってきたので、当たり前と言えば当たり前なんです。