スワンソング
シネスイッチ銀座ほかにて全国順次公開中
Text:青雪 吉木
ウド・キアー。古くはアンディ・ウォーホールが企画制作した『悪魔のはらわた 』(73)でのフランケンシュタイン男爵や『処女の生血 』(74)のドラキュラ、そして90年代以降はガス・ヴァン・サントの『マイ・プライベート・アイダホ 』(91)で男娼を買う男、あるいは『キングダム』(94)の奇っ怪な赤ちゃんを始め、ラース・フォン・トリアーとの一連の作品、近年では『アイアン・スカイ 第三帝国の逆襲 』(19)の総統閣下など、主に悪役で登場するや、脇役ながら、どの映画でも強烈なインパクトを残すドイツ出身の怪優。日本では、奥菜恵と共演した歯ブラシのTVCMで茶の間に侵食し、視聴者の度肝を抜いたことを憶えている人もいるだろう。
そのウド・キアーが堂々と主役を演じて最高なのが『スワンソング』だ。監督のトッド・スティーブンスが育ったオハイオ州サンダスキーに実在したゲイの名物美容師、パトリック・ピッツェンバーガーをモデルにした、異色のロード・ムービーであり、ライトなコメディタッチで人生の終焉を考えさせられる感動作でもある。実在の人物を扱う映画の常として、最後に本人の姿が映るが、それほど似ている訳ではない。むしろ本物が寄せられたが如きウド・キアーの魅力が大爆発。ウド・キアーの愛犬の名前がゲイ・アイコンのライザ・ミネリだったことがキャスティングの決定打だったという逸話も、さもありなん。
ウド・キアーが演じるのは、ゲイの元ヘアドレッサー。かつては大人気のサロンを経営する一方、ミスター・パットの名前でドラァグクイーンとしてゲイクラブのステージに立っていたが、仕事を引退し、老人ホームで暮らす今の日課は、食堂から盗んだ紙ナプキンを自室で折りたたむことだけ。なぜなら他にすることがないから。とはいえ、心臓に悪いと、どれだけ職員に注意されてもタバコは手放せない。単に喫煙をやめられないのではない、後で分かるのだが、仕事の流儀と関係しているのだ。
そんなパットに、かつて顧客だった街で一番のお金持ち、リタに死化粧を施す依頼が舞い込む。弁護士によれば、リタが遺言書でパットを指定していたという。ある理由から、過去にリタと喧嘩別れをしていたパットは、ぶざまな髪のまま葬ればいい!と一度は断るが、ホームで暮らす、認知症が進んで口がきけない女性の髪を美しくセットアップしたことで、ヘアドレッサーとしての腕が衰えてないことに気づき、紙ナプキンだらけの自室を後にして、ホームから身一つで抜け出す。目指すは街の葬儀場。
“美容指南致します”のプラカードを掲げてヒッチハイクをし、手にしたカネはすぐさま酒に消え、万引きを繰り返す冒険行は一直線には進まず、自らの過去と向き合う旅となる。エイズで亡くした最愛のパートナー、デビッドの墓前で涙に暮れ、一緒に暮らした家を訪ねれば、そこはもう取り壊されている。デビッドが遺言書を遺さなかったため、パートナーのパットではなく親族の甥にすべてが相続されたのだ。
だが、悲しいことばかりではない。かつての化粧品店は黒人ご用達の美容室に様変わりしていたが、日焼け止めはある?と吐いた毒舌を機に、最初は訝しがっていた黒人達みんなが、いつの間にやら味方になって、帽子を手に入れることに成功。その帽子と引き換えに今度は古着屋で緑のスーツをゲットするなど、わらしべ長者の趣きもあるが、ここで大事なのはミスター・パッドの時代の商売の基本が描かれていることだろう。それは、一度でも相手をした客の名前と顔を忘れないということ。自分を覚えていてくれたことに感動したからこそ、古着屋の女主人は緑のスーツを提供したのだ。それにしても、このスーツを着用したウド・キアーの輝きはどうだろう。ポージングも、流し目もキマリまくり!
旅のお供に劇中で流れる曲は、ジュディ・ガーランド始め、メリサ・マンチェスターやシャーリー・パッシー、ロビン等、数々のトーチソングにゲイ・ディスコ。見るからにゲイな選曲だが、かつてパットの元で働いていて独立し、顧客を奪ったディー・ディー(演じるはジェニファー・クーリッジ!)の店で、時代遅れのブランドのヘアクリームを手に入れるべく、ディー・ディーと対決する場面は、音楽なしでも丁々発止のやりとりがまた、強烈にゲイ。曰く“顧客が求めるのは技術であって、店の豪華さではない” “私は客を横取りしていない。あなたが落とした球を拾っただけのこと”。
ところが、この映画、実はゲイシーンにも変化が訪れていて、在りし日のゲイカルチャーが失われていくことも示している。パットのパートナーのデビッドがエイズで亡くなったのは95年の設定。ジョナサン・デミが監督し、トム・ハンクスがオスカー主演男優賞を獲った『フィラデルフィア 』(93)で描かれたように、90年代のエイズは死に直結する脅威だったが、今では薬で発症を抑える病になっている。パットが通っていたゲイバーは今夜で閉店となるが、それを聞いたゲイ仲間の旧友ユーニスはこう言う。“ゲイバーは時代遅れ(So 90’s)”。お相手を探すのはゲイバーでも公衆便所でもなく、スマホの出会い系アプリ。ベンチに座って前を見れば、若いゲイカップルが誰に見咎められることもなく子育てをしている。それは進歩であって、悪いことではないかも知れない。だが、90年代から生き抜き、道を切り開いてきたパットのような世代の存在なしに、そうした環境の変化はあり得なかった。
スワンソングとは、死を目前にした白鳥が最も美しい声で鳴くという伝説から、生前最後の作品を指すが、パットにとってはリタへの死化粧が最後の仕事。一方で、仕事の流儀で咥えタバコをしたパットがリタの前に誰のヘアメイクでプロの技術を使ったか?を考えれば、そこにはゲイカルチャーの継承への努力も見て取れる。長年俳優を続けてきたウド・キアーにとっても畢生の名演技と言えるだろう。
人生の宿題を果たす旅を終えたパットは白い安スニーカーを脱ぎ、『オズの魔法使い』のドロシーよろしく、最後は趣味のよいリタの銀の靴を履いている。けれどもう、彼は踵を3回鳴らして90年代に戻ることはなく、虹の彼方をプライドを持って歩き続けていくに違いない。
(2022.10.1)