佐野 亨

正直申し上げれば、筆者はこれまで是枝裕和監督の作品が苦手であった。手抜かりなく丁寧につくられてはいるが、頻出する象徴主義的なショット、思わせぶりな台詞がどうも鼻について。
というより、おそらくそれは、描こうとしているテーマと映画技法とのアンバランスさがもたらす印象だったのだろう。なぜなら『空気人形』では、これまで筆者が敬遠していたそのような象徴主義的な技法が、作品のテーマときわめて奇跡的にマッチしているからだ。
そして、その奇跡的な達成を可能にしたのは、ほかでもない主演女優ペ・ドゥナの存在である。

孤独な男（板尾創路）のもとで、性欲処理の「代用品」として使われている空気人形（ダッチワイフ）。心を持たない空っぽの存在であるはずの空気人形があるとき、心を持ってしまったことから、孤独や哀しみといった感情を知り、自分の存在意義を追い求めることになる。

ペ・ドゥナは、神懸かり的としか形容しようのない演技で、空気人形に文字どおり生命を吹き込んだ。けっしてまばたきをせず、トコトコとおぼつかない足取りで歩く。その肉体の質感、軋み、傾き、目のうつろい。すべてが空っぽの人形そのものとなっている。彼女がいなければ、この映画は実現しえなかったと言っていいだろう。
観客は、そんな彼女の「空っぽの視線」をとおして、世界を、そこに生きる人間たちを観察する。
舞台となるのは、東京の再開発のなかでわずかに昔日の面影をたたえる水辺の町（おもに湊・佃島界隈でロケされている）。そこで暮らす人々はみな一様に孤独である。レンタルビデオ屋の店長（岩松了）、交番の警官（寺島進）、毎日交番に自首してくる未亡人（富司純子）、年増の受付嬢（余貴美子）、過食症のOL（星野真里）……みな自分ひとりの世界で、自分だけの風景のなかに生きている人たちだ。空と川の青色に挟まれた町の静けさが、彼らをいっそう「自分以外のだれも存在しない場所」につれていくようにも見える。
そんな町の住人たちのなかで重要な役割を担うのは、いつも川辺のベンチに座っている元国語教師の老人（高橋昌也）と、空気人形が好意を寄せることになるレンタルビデオ屋の若い店員（ＡＲＡＴＡ）だ。
二人は、空気人形に、いわば「体温」をあたえる存在である。他者とふれあうことの喜び、哀しみを、彼らは空気人形に気づかせる。そして、彼らは言う。自分もまた、君（空気人形）とおなじ、孤独な空っぽの存在なのだ、と。
孤独と孤独がよりあったとき、人は、ひとつになれる。
しかし、そんな一体感もまた、栓を抜けば吹き出してしまう空気のように実体のないものなのだ。
是枝監督は、そんな孤独な人々のドラマを、象徴的な風景（リー・ピンビンの流れるような撮影と種田陽平の屋内セットが世界観の構築に一役も二役も買っている）や言葉（老人が引用する吉野弘の詩がその最たるもの）であざやかに物語ってみせた。
ベースになっているのは、業田良家の短篇漫画『ゴーダ哲学堂　空気人形』だが、孤独な人々の交錯がおりなす現代の寓話、という点で原作のテーマをさらに押し進めたものになってもいる。
ペ・ドゥナのファンはもちろん、すべての現代人に観てもらいたい佳作である。

(2009.9.25)

空気人形　2009年 日本
脚本・編集・監督：是枝裕和　原作：業田良家「ゴーダ哲学堂 空気人形」(小学館ビッグコミックススペシャル刊)
撮影監督：リー・ピンビン　美術監督：種田陽平　美術：金子宙生　写真：瀧本幹也
出演：ペ・ドゥナ,ＡＲＡＴＡ,板尾創路,高橋昌也,余貴美子,岩松了,星野真里
丸山智己,奈良木未羽,柄本佑,寺島進,オダギリジョー,富司純子
(c)業田良家/小学館/2009『空気人形』製作委員会

9月26日(土)より、渋谷シネマライズ、新宿バルト9ほか全国順次ロードショー

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• 監督:チョ・ナムグク
• 出演：キム・スンウ, パク・シフ, ペ・ドゥナ, ミン・ジヘ, ソン・ヒョンジュ
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