思い出のマーニー
(ネタバレ有り)スタジオジブリの最新作『思い出のマーニー』(2014)は、2人の少女の愛の物語だ。イギリスの児童文学の名作が『借りぐらしのアリエッティ』(2010)以来、4年ぶりにメガホンを取った米林宏昌の手によって、今までのジブリ作品には無かった要素とジブリらしさが溶け合った、新しいジブリ作品へと生まれ変わった。
札幌に住む病弱で心を閉ざした中学生の杏奈(高月彩良)は、夏休みの間だけ海辺の町で療養生活を送ることになる。慣れない環境に戸惑う杏奈だったが、入江の先に見える「湿っち屋敷」には何故か見覚えがあった。そして屋敷で杏奈を待っていたのは、マーニー(有村架純)と名乗る不思議な少女だった。杏奈はマーニーと遊ぶうちに元気を取り戻していくが、街の人は「湿っち屋敷」には誰も住んでいないと言う。そして杏奈は、マーニーとは夢の中でしか会っていないことに気づき、マーニーを「自分の空想が作り上げた少女」だと考えるようになる。しかし、東京から「湿っち屋敷」に引っ越してきた少女の彩香(杉咲花)が「マーニーの日記」を発見する。マーニーは実在したのだ。そして屋敷から見つかった一枚の絵には「湿っち屋敷」を描く久子(黒木瞳)の名前があった。久子はマーニーの親友だったのだ。そして久子の口から明かされるマーニーの過去とは……。
注目すべきは、杏奈とマーニーという2人の少女の関係性だ。従来のスタジオジブリが描いてきた女性キャラクターたちは、強い心を持ち、男性キャラクターとの出会いを経て成長してきた。しかし、前作の『借りぐらしのアリエッティ』で「滅び行く小人の少女」と「重い病を抱える人間の少年」による秘密の交流と切ない別れを描いた米林は、本作でも、心に傷を負った子供の交流を描く。そしてその傷を互いに癒していく2人の少女の愛を美しい映像と共に描き出した。
主人公の杏奈は、他者とのコミュニケーションがうまく取れない、喘息持ちで内気な、絵を愛する女の子である。彼女は早くに両親と祖母を亡くし、本当の親の愛を知らずに施設で育った。その後、杏奈は養母の頼子(松嶋菜々子)に引き取られ、幸せに暮らしていた。しかし、頼子とその夫が助成金を受け取っている事実を知ってしまったことで、杏奈は「自分は愛されていないのではないか」という不信感を抱いてしまう。この経験から、杏奈は同年代の子供とも距離を置き、「見えない輪」の外側にいる自分が嫌いになってしまった。一方マーニーは「湿っち屋敷」で裕福で華やかな生活を送っているように見えるが、実際は奔放な両親に放ったらかしにされ、メイドや女中に虐められてきた不幸な少女。自由を求めても、小さな部屋に閉じ込められてしまう姿は余りにも不憫だ。そんなマーニーの唯一の楽しみは、夜な夜な屋敷を抜け出してはボートを漕いで湿地の景色を眺めること。
孤独で、誰にも明かすことのできない心の傷を初めて打ち明けることができた2人には、友情を超えた愛が生まれる。そして杏奈とマーニーは、この幸せな時間を「2人だけの秘密」にすることを約束する。こうした悲劇的で秘密を孕む少女2人の関係性に加えて、男の子が劇中において決定的な役割を果たさないことが、今までのジブリ作品との差別化を実現している。
一方で差別化とは対照的な、ジブリらしい「何気ない場面に対するこだわり」が随所に見られるのが素晴らしい。精緻に描き込まれたアニメーションは、決してアップにはならない画面の隅々にも鮮やかな色彩が散りばめられ、見ているだけで楽しくさせてくれる。また、ストーリーには直接関係のない会話、特に海辺の田舎町で杏奈の世話をするセツ(根岸季衣)と清正(寺島進)の会話は「ああ、こういう会話ってあるある」と観客に共感を抱かせることで、物語へ引き込む役割を持つ。そして食事のシーンを大切にしてきたジブリらしく、セツが作る家庭的な料理や、マーニーがピクニックに持ってくるジュースとクッキーは、画面に入って一緒に食べたくなってしまうほど美味しそう!
現代を舞台にしていながら、本作には現代性を象徴するものは全くと言っていいほど画面に現れない点にも注目したい。車や電話などの露出は必要最小限に抑えられ、これらとは対照的な、散歩やボート遊び、ハガキでのやりとりや手作り感の溢れる品々が画面のいたる所に現れている。こうした小道具を繰り返し観客に見せることによって、本作は観客に言いようのない「懐かしさ」を喚起させる。これは『借りぐらしのアリエッティ』にも共通する特徴で、米林の美学でもある。
また、本作における「懐かしさ」はマーニーが口ずさむ『アルハンブラの思い出』にも象徴されている。誰もが一度は耳にしたことがあるであろう旋律を持つこの曲は、ギタリストのフランシスコ・タレガが、過去のイスラム=スペインの栄光の象徴であるアルハンブラ宮殿を訪れたイスラム教徒たちが抱いたであろう「懐かしさ」をクラシックギターに乗せて作曲したことで知られる。つまりこの曲は、杏奈が「湿っち屋敷」とマーニーに対して抱く懐かしさと、マーニーの寂しくも楽しかった過去への懐かしさを象徴しているのだ。こうした何気ない演出によって、本作で映し出される世界が、ジブリらしい、どこか懐かしく忘れられない印象を、見る者の心に深く刻み込むのだ。
本作で特筆すべき点は、青の色使いだ。杏奈のスケッチブック、杏奈とマーニーの瞳、彼女たちが身につけている服、湿地、2人が乗るボート、マーニーの日記、「湿っち屋敷」や清正の家の隅々などにも青が配色されている。青は、ロマン主義以降、憂鬱な気分を象徴する色である。ロマン主義とは、主として18世紀末から19世紀前半にヨーロッパで起こった精神運動であり、それまで軽視されてきた神秘主義や夢 、憂鬱、不安、苦悩、手に入れることが出来ないものへの憧れ、個人の愛情などを題材として扱った。つまり、劇中を彩る青色は、杏奈の「私は私が嫌い」というセリフに現れる実存的不安、マーニーの抱える不自由、などの「憂鬱」を象徴している一方で、2人の夢の中での神秘的な出会い、杏奈とマーニーの愛、なども象徴していると解釈することができる。
また、米林は『借りぐらしのアリエッティ』で登場するドールハウスの中に絵画や調度品を緻密に描き、美術に対するこだわりを見せたが、本作では印象派の絵画を想起させる場面が数多く登場する。夕日を背に杏奈とマーニーがボート遊びをする場面は、モネの『印象・日の出』をイメージさせるし、「湿っち屋敷」や清正の家に飾られている絵は輪郭がボヤけていて、印象派のタッチで描かれたものだ。そして忘れてはならないのが、久子の絵だ。「少し、色が散らかっちゃったかしら」というセリフの後に杏奈に見せる「湿っち屋敷」の絵は、多彩な色が散りばめられ、光を受けた色が溶け合ったように明るい絵に仕上がっている。これは印象派の大きな特徴だ。また、杏奈はいつも外で絵を描いているが、印象派の画家たちも、屋外で移ろいゆく自然のふとした一瞬を多彩な色使いで切り取った。そうして描かれた一瞬の美しさは、斬新でありながら「どこかで見たような懐かしさ」を見る者の中に刻んだ。劇中でも、このような印象派のタッチが端々に感じられる。本作はいわば「ジブリの印象派」と言える作品なのだ。
本作のテーマは「少女の再生」である。これは『借りぐらしのアリエッティ』における「少年の再生」と通じるテーマだ。辛い過去を知ってしまったことから、無表情で、他者との接触を怖がるようになった杏奈は、物語を通じて少しずつ表情と他者との繋がりを取り戻していく。この杏奈の再生は、2つの変化に象徴されている。まず一つは、物語の中盤から杏奈が身に付ける髪留めだ。それまでの杏奈は前髪を長めに垂らして、まるで表情を隠しているように思えた。しかし表情を出すことによって、他者と触れ合うことを恐れない女の子に変化したことが示されているのだ。そしてもう一つは空の色だ。杏奈が湿地に来たばかりの頃の空の色はくすんだ青だった。しかし、マーニーとの愛情を育むうちに空の色は少しずつ明るくなっていき、杏奈が笑顔と元気を取り戻し、部屋の窓から眺める湿地の景色は澄み渡るように美しい。
物語の終盤、杏奈は自分を迎えに来た養母の頼子の、苦悩の末の告白を受け入れ、笑顔で頼子を自分から抱きしめる。これは劇中を通じて、触れ合いにおいては受身だった杏奈の成長を象徴するシーンである。この後、頼子が杏奈に手渡した写真によって、謎だったマーニーの正体が明かされることになる。こうして杏奈の心にかかっていた霧は晴れ、真実を知るまでは「おばちゃん」と読んでいた頼子のことを、久子に「母です」と紹介する。親子の絆が取り戻された瞬間だ。そして杏奈が心を通わせた人々に別れを告げ、湿地を去ろうとするその時、マーニーも笑顔で杏奈に手を振る。悲しみに満ちた物語は、いつの間にか笑顔で満たされていた。そしてエンディングで流れるプリシラ・アーンの歌う主題歌、”Fine On The Outside”は、澄み渡る空に吹く風のように優しく、聞いている内に思わず涙が溢れた。
米林は、「高畑、宮崎のいないジブリはこんなものしか作れないのか、とは言わせない」と宣言していた。その宣言に偽りはなかった。言いようのない懐かしさと、幾重にも組み込まれた米林らしい仕掛け、美しいアニメーションが織り成す物語は、誰の心にも染み渡ることだろう。
(2014.08.20)
出演:高月彩良,有村架純 他
原作:ジョーン・G・ロビンソン「思い出のマーニー」(松野正子訳・岩波少年文庫刊)
監督:米林宏昌 脚本:丹羽圭子・安藤雅司・米林宏昌 作画監督:安藤雅司 美術監督:種田陽平
音楽:村松崇継(サントラ/徳間ジャパンコミュニケーションズ)
主題歌:プリシラ・アーン「Fine On The Outside」(ヤマハミュージックコミュニケーションズ)
©2014 GNDHDDTK
▶公式サイト
2014年7月19日(土)より全国ロードショー
- (著):米林宏昌
- 発売日:2014/8/9
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- 映画原作
- (著):ジョーン・G・ロビンソン
- 発売日:2014/5/16
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