話題作チェック
( 2009 / アメリカ / ニック・カサヴェテス )
それは愛情なのか、自分のエゴなのか

藤澤 貞彦

『私の中のあなた』1(結末のネタバレあり!)
長女が白血病を罹った家族の闘病の物語といえば、とても月並みな感じがしてしまうのだが、この映画の中の家族はちょっと特殊である。というのも、幼いころより闘病生活を余儀なくされた姉の命を救うために、ドナー提供者としての妹を、遺伝子操作により誕生させたというのである。赤ん坊の時から幾度も手術台に乗った妹アナもすでに11歳。姉のために腎臓を提供するという要求に対し、今度ばかりはもう親の言いなりにならない、自分の身は自分で守ると弁護士事務所を訪れる。なんと「両親を訴えたい」と。そんなところから映画は始まる。

映画を観る前、このテーマにちょっとばかり不安を覚えていた。家族の名字はフィッツジェラルド、父親は消防士となれば、もう典型的なケルト系カソリック教徒である。遺伝子操作というようなものに保守的なはずの彼らが、そこまでしたというところ、その是非が全面的に押し出された冷たい映画だったらどうしようと。
監督はニック・カサヴェテス。彼の作品『ジョンQ―最後の決断―』(02)は、心臓病の息子を救うため、父親が病院に立てこもり、人質を盾に手術を要求するという過激な内容だった。民間の医療保険に入れないため、あるいは入っていても保険の対象外と認定されたら最後、法外な治療費を払わなければ治療を受けられないというアメリカの医療保険システム。病気になってしまったがために、破産する人が続出しているという現実。これに一石投じた作品だ。とはいえ、我々の感覚からすると、人の命を危険にさらしてまで我が子を守るというのは、いかにもアメリカ的というイメージを禁じえず、折角のテーマにも鼻白む思いがしたものだった。

しかし、その不安は数シーンを観ただけで吹き飛んだ。映画の開巻は、いくつかの章に分かれている。妹アナ(アビゲイル・ブレスリン)、弟ジェシー(エヴァン・エリングソン)、母サラ(キャメロン・ディアス)、父ブライアン(ジェイソン・パトリック)、病気の姉ケイト(ソフィア・ヴァジリーヴァ)。家族それぞれの気持ちが順番に綴られていく。この映画のテーマは、家族なのである。

『私の中のあなた』2母サラは、弁護士の仕事を辞めて娘のことばかり考え続けた10数年、他のことは何も見えず、いつしかそれだけが人生の目的のようになってしまっている。私などそもそもドナーを提供できる娘を産むため遺伝子操作をしたこと自体に抵抗を感じるのだが、その上彼女のもうひとりの娘アナに対する態度は、「家族なら臓器を提供するのが当たり前」なのである。
11歳になり物事がわかりかけてきたアナ、難しい時期を迎えている娘に対して、一人の人間として扱っていないかのような態度は、親だからといって許せるものではない。アナは自分の将来への不安を訴える。「いつまでこんなことが続くのか、自分は将来人並みの生活が送れなくなるのではないか」と。それでもサラは、なぜ娘がそんなことを言うのかまるで理解できない。たまりかねた夫のブライアンや、家を手助けしてくれている妹が、疑問の声を投げかけても、やはり一切聞く耳を持たない。
母親が娘の死を受け容れられないというのはよくわかる。けれどもそのために犠牲になる他の家族はどうでもいいのか。ある意味、彼女はジョンQの延長線上にある人物と言ってもいいかもしれない。自分の生き方、考え方が絶対に正しいと信じており、それを人に押し付けずにはいられない。常にボジティブに行動していなければ不安でしようがないという、いわば「成功している」アメリカ人の典型である。彼女の行動はいつしか家族をバラバラにしてしまっていた。

一方、病気のケイトが作ったスクラップ・ブックには、楽しかった家族の思い出の写真が切り抜かれ、コラージュされている。いっしょにそれぞれの家族への思いも綴られている。病気とは孤独なものである。突然具合が悪くなって洗面所に駆け込むケイト、心配そうに見つめる家族。こちら側とあちら側、なぜ自分はいつもあちら側ではないのか。弱っていく身体、見ようとしても思い描くことができない未来。扉の向こうで言い争う家族の気配。夜はいつもひとり取り残され、色々な思いが頭を駆け巡る。そんな時には、スクラップ・ブックの中に自分を閉じ込める。そこには幸せそうに寄り添う家族がいる。
『私の中のあなた』3現実には、母サラは自分のためにすべてを犠牲にしているし、アナはドナー提供者として生まれてきた自分が両親にとって一体何なのか、姉が元気だったら今の自分は存在しないのかという疑問を抱いている。弟ジェシーは、誰も自分のことなど気にかけてくれないと、家族の中でひとり疎外感を持っている。父ブライアンは、妻サラの一番の理解者でありながら、妻より一歩離れて家族を見つめ、いつも態度を決めかねている。
この家族の肖像、例えて言えばひとりひとりがパズルの断片のようだ。病気の家族を思う気持ちはいっしょであり、ピースのひとつひとつを集めれば、一枚の絵が完成するはずである。けれども今はただ散らかってそこにあるだけ。実は、そのことを一番気にかけているのは、病気のケイトなのである。そのピースをひとつずつ集めたスクラップ・ブックは、彼女の逃避場所であるのと同時に、家族が寄り添い幸せに生きてほしいという彼女の願いの結晶でもあるのだ。

そんなケイトも当然ながらその辺にいる普通の女の子となんら変わりがない。けれども病気の彼女が普通の女の子のように生きるとき、特別に輝いて見えてしまう。ケイトは病院で同じ病気を持つ素敵な少年と知り合う。病気でも、限られた活動範囲の中でも、今日という日をなるべく普通に生きようとしている彼に彼女は勇気づけられる。ボーイフレンドと初めて行ったダンス・パーティーでの生の輝き。普通に生きることがどんなに尊く素晴らしいことか、私たちはそれを知る。

しかし、その輝きもいつかは終りが来る。その輝きが素晴らしければ、素晴らしいほど当然ながら家族としてはその時が来ることを認めたくはない。おそらく家族の中では子供たちのほうが、ケイトの命にも限りがあることを先に覚悟していたのであろう。彼らのほうが大人たちより身近な存在だからこそ、ケイトの思いもよく理解できていたのだ。
父ブライアンが初めてそれを覚悟したのは、起き上がれなくなったケイトが、海を見たいと言ったときだ。母サラが、娘を心配するあまりに、出かけようとする家族の車を阻止しようと半狂乱になったのに対し、それまでの彼とは違う断固とした態度で臨む。離婚してでもここは譲れないと。娘の願いを叶え、かつ自分たちの最後の楽しい思い出になるかもしれないこの小旅行を強行したところに、もうすでに自分のエゴはない。サラは、この時にもまだ、一縷の望みにかけていた。肝臓移植の手術を受けさせるのに、海なんかに連れて行って取り返しのつかないことになったらどうするのだと。海に出かけて行った家族から取り残された自分、孤独になっても彼女は裁判をやめるつもりはなかった。元弁護士というキャリアゆえ、ひとりでも闘うことができると信じていたのだ。

『私の中のあなた』4それにしても、サラは裁判をどう考えていたのだろう。初めのうちは、審理に入る前に、アナが折れるだろうくらいの気持ちだったことは確かだ。が、そうはならなかった時、その結果が家族にどんな影響を及ぼすと思っていたのだろう。裁判に勝ち、ケイトがそれによって生き延びれば元に戻るとでも思っていたのだろうか。いや、もしかしたら、自分が追い込まれるにつれ、目の前のことで精一杯になり、後のことは考えていなかったのかもしれない。
結局、裁判はサラの敗北で終わる。しかしそのあと、彼女がアナの様子におかしなところがあるのに気がついたのは、あの海への小旅行の一件があったからかもしれない。その上、さらに追い打ちをかけるような裁判での敗北だ。人は孤立無援になったとき、初めて何かが見えてくるということが確かにある。しかし、アナに問いただしたところで、彼女はだまっているだけだ。その時、その様子を見ていてたまりかねた弟のジェシーが、初めて真実を明かすことになる。なぜアナが突然両親を訴えたのか……。

それは、すべてケイトが描いた計画だった。ケイトは、自分の気持ちを母に伝えるのには、もはや裁判しかないと考えていたのである。勝っても負けても、家族内が混乱することは間違いない。それでもその時になれば、自分の真意が、多分姉思いの弟ジェシーあたりから伝わるであろうことを見越していたのである。それをきっかけに、バラバラの家族ひとつになる。それは危険ともいえる最後の賭けだった。
もちろん当事者のアナから裁判の真意を伝えても母には通じないことは明白だった。そのため、ケイトはアナには絶対に本当のことを言わないように口止めをしていた。彼女にとってはとても辛いことだったのが、すべては姉のためと、じっと耐えていたのである。アナがそのためずっと苦しんでいたことを知って、サラは初めて目が覚めるのだ。

『私の中のあなた』5おそらくサラはそれまで、娘を死なせることは自分の敗北というような感じを抱いていたように思う。それが自分のエゴであることに気が付かなかった。そのため、自分だけが苦しんでいるという錯覚、自分だけがケイトのことを本当に考えているという錯覚に陥っていたのだ。自分が家族をバラバラにしていたという事実、それを心から悲しんでいたケイトの気持ちを知った時、初めて彼女は自分のエゴを捨てることができたのだ。
もちろん、身近な人の死はなかなか受け容れられるものではない。けれどもいつかは覚悟しなければならないこと。人は自分のエゴが捨てられた時、それを認められるようになるのだろう。最期に、ケイトは母とふたりきりになることを希望する。そこでサラはあのスクラップ・ブックを見せてもらう。ケイトの願いが一杯つまったスクラップ・ブックは、サラのこの本物の愛情でついに完成する。

ジョンQからサラへ……病院で人質を監禁し手術を訴えてみたものの、息子の心臓を提供するドナーが現れないことがわかった時、自分の心臓を摘出することを医師に訴えたジョンQ。他人の迷惑を顧みることよりも最後まで諦めないこと、それが親の愛であり英雄的行為であると信じ込んでいたジョンQ(彼をヒーローに仕立てるマスコミ、さらにはそれを支持する警察関係者まで現れるというのが、あまりにも非現実的だ)。一方、アナを初めとする家族を犠牲にしても、娘を死なせないことが母の愛と信じ込んでいたサラ。
諦めるのは敗北と感じている点で、一見ふたりは同じようなアメリカ的な人物でありながら、サラにはリアリティがある。彼女は弱さを持った生身の人間として確かにそこに存在している。彼女は子供のためなら他人はお構いなしと思っていたわけではない。自分のしていることは、家族みんなが支持してくれるはずと思いこんでいただけである。確信犯ではなく、あくまでも無意識から出た行動なのだ。それ故、サラのしたことは決して他人事ではないと感じられるのだ。そしてこれは、彼女ほど極端でないにしても、誰にでも起こりうる問題なのである。

例えば、延命措置をどこまでするかという問題。病気の当人がそれを希望していないとしたらどうするだろう。すぐに同意できるだろうか。もしかしたら、延命措置によって回復することがあるかもしれないが、それもほんの数カ月のことと宣告されたらどうすればよいのだろう。それでも、家族が延命を願ったとするならば、もはやそれは本人のことを考えているのではなく、単に自分が家族を失いたくないというエゴになってしまうのではなかろうか。もっとも、それがわかっていたとしても、絶対に心は揺らぐはずである。実際、愛情なのか自分のエゴなのか考える余裕さえなくなってしまうような気もする。サラが自分の心を映す鏡となる日は誰の身にも起こりうるのだ。そうした意味で、この映画は、民族や国に囚われない普遍性といったものを獲得している。

(2009.11.14)

私の中のあなた 2009年 アメリカ
監督・製作:ニック・カサヴェテス 脚本:ジェレミー・レヴェン 撮影:キャレブ・デシャネル
美術:ジョン・ハットマン 編集:アラン・ハイム,ジム・フリン 原作:ジョディ・ピコー
出演:キャメロン・ディアス,アビゲイル・ブレスリン,アレック・ボールドウィン,ジェイソン・パトリック,
ソフィア・ヴァジリーヴァ,トーマス・デッカー,ヘザー・ウォールクィスト,ジョーン・キューザック,エヴァン・エリングソン,
デヴィッド・ソーントン
配給:ギャガ・コミュニケーションズ 原作:「わたしのなかのあなた」(早川書房刊)
(c)MMIX New Line Productions, Inc. All Rights Reserved.

10月9日(金)より、TOHOシネマズ日劇ほか全国公開中

ジョンQ 最後の決断 デラックス版 (初回限定パッケージ) [DVD] ジョンQ 最後の決断 デラックス版
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  • 監督:ニック・カサヴェテス
  • 出演: デンゼル・ワシントン, ロバート・デュヴァル,
    ジェームズ・ウッズ, レイ・リオッタ
  • 発売日: 2003-04-02
  • おすすめ度:おすすめ度4.0
  • Amazon で詳細を見る
2009/11/15/14:17 | トラックバック (1)
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