大西 信満 (俳優)
映画『さよなら渓谷』について
2013年6月22日(土)より全国ロードショー
映画『さよなら渓谷』は、過去のレイプ事件の被害者と加害者でありながら現在は一緒に暮らす男女を主人公に、その複雑な心理をひも解くという困難なテーマに挑む作品である。吉田修一による原作小説は、氏のほかの作品同様に、映像が目に浮かぶようなきめ細やかな人物描写、背景描写がなされているが、大森立嗣監督はそれをなぞることはしなかった。物語の骨格の中に真木よう子、大西信満という俳優の肉体を投じ、彼らが混沌の闇の中であがいて何を感じ何を見出すかを、ドキュメンタリーのように生々しく映し出した。俳優たちには苦しい体験だったと思うが、性暴力という女性にとって真剣に語られてほしいと願うテーマを真正面から取り上げ、またついぞ近年の日本映画になかった30代の男女を主人公とした繊細で深遠な人間ドラマが生まれたことに深い感銘を受けた。そしてこれが大森監督と主演の大西さんという男性たちの企画であることに驚きと感謝のような気持ちを覚えた。どうしてこの作品を作りたいと思ったのかという最大の問いから始めたインタビューで、大西さんは小説から漠と受けた直感のようなものを追究し、大森監督の懐のもとで共演者とその世界を生き抜いた日々を振り返ってくれた。(取材:深谷直子)
――大森監督には『ぼっちゃん』(12)でインタビューさせていただいて、「役者がどう動くかを見たい」と言われていたのがとても印象に残りましたが、この作品での大西さんと真木さんは、監督の今までの作品の登場人物の中でもいちばん本能同士でぶつかり合っているように感じました。監督の演出はどんなものだったのでしょうか。
大西 演出っていろいろあるけれど、役者としてはクランクインするまでに終わっている部分があって、基本的にはインまでにどれだけ役を落とし込んでいくかということで、そうしてカメラの前で相手役の目を見て自然に生まれたものを監督がジャッジメントしていくんだけど、大森監督はそこですごく俳優を尊重してくれるんですよね。「プロの俳優なんだから当然インするまでに自分の中で作ってきているんでしょう? あとは細かいことは言わないから、大西くんの俊介、真木さんのかなことしてその場で生きてください」ということを尊重してくれる演出だったなと思います。大森監督に限らず、監督が「ここはこうなるんだろうな」と描いているそのままになってしまうはずはないって自分は思っていて。「赤」っていう色の見え方は同じでも人によってそれに対するイメージは違うように、同じものを読んで同じデータを受け取っていたとしても当然人によって違うわけで、そういう当たり前のことをちゃんと尊重してくれる監督だと思います。
――先ほども男性の目線という話をしましたが、この作品は女性映画と言われることもあるけれど、やっぱり大森監督ならではの男性の優しさで描かれているなという気がします。優しいと言ってもとてもそっけないぐらいで、こういう重いお話でも風通しのよさがあるというか。
大西 大森監督は突き放して物事を見る人なんですよね。主張しないというか、あるいはリアリストとも言えるんだろうけど、リアルに起きていることに対しての肯定する力がすごく大きい。人は自分の頭の中で考えられないことに出会うと「それは違う」となりがちなんだけど、リアルに起きることって自分の想定外のことの連続なわけで、それが飛躍を生んだり衝撃を与えたりすることであって、大森監督の中にはそういうのを受け入れる準備が常にあるんですよね。それは演出に対してもそうで、意に沿わないものや自分の感覚と違うものが出てきても「なんでそうなのかな?」ということを考えて数秒の間に判断するんですよ。自分が『さよなら渓谷』をやる上では、俊介というのは普通の人なんだけどなかなかあり得ない状況の中にいる人物なので、内面の作り込みというのがとてもデリケートで苦労した部分なんだけど、そういう中で準備してきたものを恐れずに媚びずにその場でやる勇気を監督が保障してくれることで生まれた、理屈を超えるリアリティというのがこの作品にはあると自分は思っています。
――俳優さんたちと監督との信頼関係もあってこういう素晴らしい作品になったんですね。
大西 自分にとってこの作品は、出発点である荒戸(源次郎)監督や若松(孝二)監督、あるいは同世代の熊切(和嘉)監督など、いろんな年齢層、キャリアの監督とやってきた中で、現時点での集大成というか、その中で学んだこと、思ってきたこと、確信したこと、排除してきたことを、この時期だからこそ活かせた作品だと思います。恐らく真木さんもそうだと思うし、何よりも大森監督自身にとってそうだと思うし。大森監督とはお互い何者でもないころからの知り合いで、それから10年以上経つけれど、その間お互いにのうのうと手練を重ねるのではなく1発1発確かな何かを残すような仕事を重ねてきて、今回機が熟したって言ったら生意気だしおこがましいけど、ひとつのタイミングとしてお互いが一緒に仕事をするいちばんいいタイミングだったんだろうなと思います。自分も全面的に信頼していたし、監督も信頼してくれたし、現場中は言葉は要らないという感じで。自分は撮影期間中はひたすら真木さんのことしか見ていなかったし、俳優としてとても贅沢にいさせてもらえたことには本当に感謝しています。そういう面ではキャストもスタッフも知っている人が多かったから、お互いのいいところを分かっていて、何を尊重するかということの共通認識みたいなものが自然にあったんですよね。この作品は16mmのフィルムで撮影しているからナイターとかセッティングに時間がかかるんですよ。カメラマンの大塚さんは少しでもよくしよう、っていう執念の人で、それを僕らみんな分かっていて、そういうことに時間がかかることすらが心地よかった。本当にいいものを作るための時間にその仲間だからできた、そのことがこの作品ではすごく大きいことだと思います。自分自身観ていてすごく好きな作品なんです。自分が出た作品ってどうしたって自分のアラばかり目が行ってしまうものだし、自分で好きだと思えるまでに時間がかかったりするんだけど、この作品は自分のことは棚に上げてこの作品に関わってよかった、やれてよかったというのをよどみなく言える作品になったし、そういう時間を過ごしたという感覚がありますね。
――長い間ずっとあたためてきた作品ですが、これ以上ないぐらい最良の力を注ぎ込めたんですね。完成した作品にはどんな思いを持たれましたか?
大西 読むのと演じるのとでは当然違うわけで、読むというのは一人の頭の中での想像力でしかないけれど、演じるというのは生身の人間の体温も感じるし想定外の心の動きを肉体が受け止める連続で、そうやって生きてみて感じたのは、この話は当初自分が思っていたよりももっと未来に向かう話だったんだな、と。それがやり終えたあとの感覚でした。難しいじゃないですか、こんなことをしてしまって、許されることじゃないという感覚も当然百も承知で。でも起こしてしまったことを戻すことはできないわけで、その中で自分に何ができるか、相手が少しでも生きることに希望を持てるようすべてを投げ出して寄り添って生きていく中で、自分が気付かないうちに心の真ん中に宿っていた大きな塊があって。俊介の心に宿ったそれは自分の人生以上に大切に守る何かを本当に持ち得た者にしか分からない、甘さとは正反対のもので、その何かの途方もない大きさは彼女がいなくなってしまってから強烈に自覚して。ラストシーンでの渡辺の問いに対しての自分のリアクションは、理屈でそういうふうにしようとしたわけではなく、実際に芝居場に立ってみて自然とそうなったんです。彼女といるときは何もかもが精一杯で自分が何を思っているのか把握する余裕すらなかったんだけど、ラストシーンを撮っているときに初めてそれを悲しいくらい強烈に感じました。ああ、やはり彼女を愛していたんだな、と。激情とともに、俊介はきっと事件以来初めて「生きている」という実感も得たんじゃないかと思います。人は人との出会いで傷つき、ときに生涯癒えない心と身体の傷を抱えたままその先のまだ続く絶望の日々を生きなければならないとしても、その暗闇に一筋の光を射すことができるのもまた、人との出会いなのではないでしょうか。人を傷つけるのも人だけど、その傷を癒せるのもまた人しかいないのだから。この映画を観てくれた人が、そんな小さな光を感じて劇場を後にしてくれたらいいな、と心より願っています。
( 2013年5月30日 シネマート六本木で 取材:深谷直子 )
監督:大森立嗣 原作:吉田修一『さよなら渓谷』(新潮文庫刊)
脚本:高田亮,大森立嗣 製作:細野義朗,重村博文,小西啓介 プロデューサー:高橋樹里,森重晃
ラインプロデューサー:村岡伸一郎 撮影:大塚亮 録音:吉田憲義 美術:黒川通利 編集:早野亮
音楽:平本正宏 エンディング・テーマ:「幸先坂」 歌:真木よう子 作詞・作曲:椎名林檎
出演:真木よう子,大西信満,鈴木杏,井浦新,新井浩文,鶴田真由,大森南朋
製作プロダクション:S・D・P,ステューディオスリー 配給:ファントム・フィルム
©2013「さよなら渓谷」製作委員会
2013年6月22日(土)より全国ロードショー
- 監督:若松孝二
- 出演:片山瞳, 地曵豪, 井浦新(ARATA), 大西信満
- 発売日:2013/01/25
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- 映画原作
- (著):吉田修一
- 発売日:2008/06
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