PERFECT DAYS
全国公開中
Text:青雪 吉木
全編日本人キャスト、日本語によるヴィム・ヴェンダース監督作品。元々、渋谷区のトイレを複数のクリエイターがリノベーションし、公衆トイレのイメージを刷新するTHE TOKYO TOILETプロジェクトの一環として、清掃員を主人公にした短編映画を作ろうという企画をヴェンダースに打診したことから、長編映画に結実したという。日本では昨年の第36回東京国際映画祭で審査委員長を務めたヴェンダースを筆頭に、主要キャストも壇上に揃った映画祭でのプレミアム上映後、年末から一般公開され、年を越えてこれを書いている10月頭の時点でも一部で上映が続く異例のロングランとなった。
第76回カンヌ映画祭の最優秀男優賞を取り、同じく『誰も知らない 』(04)で当時最年少で同賞を取った柳楽優弥をさして「これで柳楽くんに追いついたかな?」ととぼけた役所広司は、西川美和監督の『すばらしき世界 』(18)で演じた出所者と地続きのようなトイレ清掃員の役で、彼の規則正しい毎日がドキュメンタリータッチで繰り返し描かれる。偶然の一致なのか、これは映画製作集団・大田原愚豚舎の映画のスタイルと極めて近く、北関東の農村で祖母と二人で暮らす養豚業の男の七日間の日常を淡々と描いた渡辺紘文監督の『七日(7Days)』(15)と驚くほど似ているが、渡辺監督とも縁の深い東京国際映画祭での本作のプレミアム上映は、ある種の必然だったのかも知れない。
役所広司演じる平山は、押上の古アパートで独り暮らし。朝起きてカーステレオでカセットを聴きながらトイレ掃除の現場に向かい、公園で木漏れ日の写真を撮って昼飯を食べ、仕事上がりに銭湯で一風呂浴びた後、地下街の飲み屋で“おかえり!”と迎えられて晩酌し、夜は布団の中で寝落ちするまで文庫本を読んで就寝。それで幸せ、これ以上何が必要?という暮らし。映画の後半になると、平山が実は裕福な家の出身で、この暮らしを自ら選択していることが分かるのだが、孤独な都市生活者にとって、彼のミニマルな生き方は憧憬の的とも言えるだろう。
もっとも、映画の成り立ちからして、製作がTHE TOKYO TOILETを発案した柳井康治ということもあり、平山が掃除するトイレは渋谷区にあるTHE TOKYO TOILETプロジェクトのお洒落スポットばかりで、本当に汚いトイレは出て来ないし、現実にはありそうな暴言を吐かれることもなく、清掃員の制服はユニクロで、TOTOも協賛に名を連ねる。つまり、一種のファンタジーであることは否めないだろうが、それでも映画は素晴らしい。
アニマルズの「朝日のあたる家」からニーナ・シモンの「フィーリング・グッド」まで。そのほか、タイトルソングと言いたくなるルー・リードの「パーフェクト・デイ」や金延幸子の「青い魚」、平山の姪っ子・ニコとの関連も覗えるヴェルヴェット・アンダーグラウンドの「ペイル・ブルー・アイズ」等、劇中で平山がカセットで聴く曲はどれもロック・クラシックの名曲と言っていいが、確かにカセット音質に聴こえる音になっているのがまた良い。“家出するなら伯父さんのとこって決めてた”という姪っ子のニコは、平山の車に同乗しながら、ヴァン・モリソンの「ブラウン・アイド・ガール」をカセットで聴き、“これSpotifyにあるかな?”と尋ねるが、平山は“どうかな?どこにあるの、そのお店?”と答えるマイペースぶり。ガラケーしか持たない平山にすれば、当然の答えかも知れないが。
柄本時生、田中泯、麻生祐未、石川さゆり、三浦友和など、キャストは意外に豪華で、それぞれ見せ場がある。よもや役所広司と三浦友和があんなことをするのか!というシーンは可笑しいし、それは平山がトイレに隠された紙片を通じて見知らぬ利用者と○×遊びに興じていたシーンとも呼応する。また、平山の妹・ケイコ役の麻生祐未が“本当にトイレ掃除してるの?”と問いかけた後、頷く平山に見せる、絶望とも諦めとも侮蔑とも同情ともつかぬ顔芸も凄まじい。
さらにカメオ出演の面子にも驚く。写真屋のおやじが翻訳家の柴田元幸、古本屋の店主が犬山イヌコ、公園で猫を可愛がる研ナオコ、そしてちあきなおみでも浅川マキでもなく、小料理屋の女将役の石川さゆりが歌う「朝日楼(朝日のあたる家)」のバックでギターを弾くのは、あがた森魚!
平山が読む文庫本のセレクトもいい。ウィリアム・フォークナーの『野生の棕櫚 』、幸田文の『木 』、パトリシア・ハイスミスの『11の物語 』。特にハイスミスは大フィーチャー。ヴェンダース映画では『アメリカの友人 』(77)の原作以来の登場。家出した姪っ子のニコは『11の物語』に収録された短編「すっぽん」で高圧的な母親に殺意を抱く主人公・ヴィクター少年の気持ちが分かると言い、犬山イヌコが演じる古本屋の店主は“ハイスミスは不安を描く天才よ。恐怖と不安は別のものだって彼女から教わったわ”と解説する。この古本屋の店主役は当初、ヴェンダースから細野晴臣にオファーがあったと言うが、そうであったら、このシーンがどうなったのかを想像するのも楽しい。
フォークナーの『野生の棕櫚』は「野生の棕櫚」と「オールド・マン」という全く別の二つの中編が交互に綴られるという不思議な小説だが、「オールド・マン」の主人公である囚人が自由を棄てて刑務所に戻る愚直な正直さは平山と通じる。また、幸田文の『木』は樹木についての随筆集であり、木漏れ日に目を細め、茶碗鉢で苗木を育てている平山が読むのは必然だろう。驚くべきは、平山が読んでいた3冊とも、この映画の上映を機に書店に並ぶようになったということ。ヴェンダース、恐るべし。
ヴェンダース映画の系譜で言うなら、ドイツ人の目からアメリカの原風景を描くという『パリ、テキサス 』(84)でやったことを現代日本に置き換えたとか、ホームレスの田中泯は『ベルリン・天使の詩 』(87)のブルーノ・ガンツのような天使なのかとか、いろいろ御託を並べたくもなるが、「平山」という寡黙な主人公の名前は、何より小津安二郎の『東京物語 』(53)の笠智衆が演じる老父と同じであり、小津の『東京物語』から30年を経た「東京」を捉えたヴェンダースのドキュメンタリー映画『東京画 』(85)の後、さらに40年が経過した東京をカメラに収めながら、小津映画の中に観た「東京」との重なりを夢想する映画とも思える。紫に光る平山の二階の寝床と下り階段の両方を収めたショットの幾何学的構図、フレーム内フレームは正に小津映画という決まり具合だし、平山と父親との確執を“もう昔みたいじゃないから”の一言で済ます妹・ケイコの台詞も完璧で、余計な説明描写がないのも好ましい。これらは、かつての日本映画にあった洗練であり、機微である。
平山が姪と交わす会話である“この世界は本当はたくさんの世界がある。繋がっているようで繋がっていない”あるいは“今度は今度、今は今”。そして本編終了後、脚注のように記される“木々の葉が風に揺れたときに生まれる光と影のゆらぎを、日本ではこう言う。それは、その瞬間、ただ一度だけのもの”という「木漏れ日」の説明テロップ。何も変化がないような平山の暮らしも、決して同じではない。
首都高を走る車で、いつものように仕事に向かう平山の顔を朝日が照らすラストシーン。ここでかかる「フィーリング・グッド」でニーナ・シモンは“新しい夜明け、新しい一日、新しい人生を楽しみにしている”と歌い、平山は微笑みながら涙を見せる。多くを語らない役所広司の名演は、諦念と希望、彼岸と此岸が混在するかのような平山の姿を映し出すのだが、驚くべきことに全く違う種類の映画で、このラストシーンが踏襲されていることを伝えて、本稿を終わろう。
その映画とは『クワイエット・プレイス:DAY 1 』(24)。音を立てたら凶暴な謎の生命体に襲われるサバイバル・スリラーのシリーズ最新作というか前日談で、ルピタ・ニョンゴ演じる末期癌の黒人女性が若い白人男性(ジョセフ・クイン)とコンビを組んで絶望に立ち向かうのだが、やはりラストシーンでかかるのがニーナ・シモンの「フィーリング・グッド」。この曲をイヤホンで聴いていたルピタ・ニョンゴは、ある決意を持ってイヤホンジャックを外し、世界に音を放つのだが、諦観と誇りが入り混じった彼女の姿は、『PERFECT DAYS』の平山と見事にシンクロする。感情表現を抑制したヴェンダースの映画と息をのむ恐怖映画の共鳴。『PERFECT DAYS』で柄本時生が演じた平山の愛すべきダメ人間の後輩・タカシなら、“10段階で言うと10の驚き”と表現するに違いない。
(2024.10.7)
監督:ヴィム・ヴェンダース 脚本:ヴィム・ヴェンダース、高崎卓馬
製作:柳井康治
出演:役所広司,柄本時生,中野有紗,アオイヤマダ,麻生祐未,石川さゆり,田中泯,三浦友和
製作:MASTER MIND 配給: ビターズ・エンド
2023/日本/カラー/DCP/5.1ch/スタンダード/124 分/G
原題:『PERFECT DAYS』邦題:『PERFECT DAYS』 © 2023 MASTER MIND Ltd.
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