蔦 哲一朗 (監督)
映画『祖谷物語 -おくのひと-』について
第26回東京国際映画祭「アジアの未来」部門 スペシャル・メンション受賞
2014年2月15日(土)より、新宿K's cinemaにて公開決定
PFFや数々の国際映画祭でこれまで高い評価を得てきた蔦哲一朗監督が、初めて劇場公開作品として撮った『祖谷物語 -おくのひと-』。素朴にして堂々としたタイトルどおり、故郷である徳島県の祖谷(いや)の大自然とそこに住む人々の物語を3時間近くかけてじっくり見せる大作だ。現在29歳の監督がこの力強い映像美を生み出したことに舌を巻くが、その底には若々しい感性がうねっている。監督が生まれた84年にはすでに開発への途を辿り始めていただろう祖谷の本当の姿を知りたいと35mmフィルムのカメラを携えて山に踏み入り、お爺と春菜の人間らしい自給自足の生活に魅せられる工藤と同じようにただただ自然の荘厳さに畏怖の念を抱き、厳しさと格闘しながら撮影を敢行。それでも失われていくものに対して無力かもしれないが、若い世代がするべき落とし前までしっかり描き出した。壮大な自然観で綴られた作品は第26回東京国際映画祭の新部門「アジアの未来」に選出され、見事スペシャル・メンションを受賞。舞台挨拶にはお爺の農作業の衣装で登壇して飄々とした現代っ子ぶりも披露してくださっていたが、インタビューでも明晰に故郷への多面的な想いやフィルム撮影への情熱を語るとともに、映画祭のために来日していたコッポラ父娘との意外な接点まで明かして、映画の奥深い楽しみを味わわせていただけた。(取材:深谷直子)
武田梨奈さん、蔦哲一朗監督――不思議な展開をしていきますよね。でも私はなんか分かるなあと思いました。お爺は身体にもだんだん変化が出てきて、自然との境界が曖昧になりながらいなくなってしまって。家もそうですが滅びるものは滅びていって、でも春菜や工藤のように受け継ぐ人は受け継いでいって、そうして回っていくという神話のような大きなものを感じて。それがごく自然なこととして描かれているのが面白いなと思いました。あんまり理屈はなくてもいいんじゃないかなと思いましたね。
蔦 僕が思っている理屈と描いていることからみなさんが受け取るであろうことはいろいろあるとは思うんですけどね、その微妙なラインを突けたらなあと思っているんです。
――お爺がいなくなり、春菜が東京に出ていってから映画の雰囲気がガラッと変わりますが、後半部は撮っていきながらああいうふうにしようと思い付いたんですか?
蔦 そうですね、元々は祖谷だけの物語で冬までを描いて、春になって春菜がお爺を探しに行く、というところで終わるつもりだったんですけど、それだと僕としては映画を終われないなと思ったというか。今の時代に探しに行くだけではダメで、探したあとの後処理というか、連れて帰ってからが自分たちのやるべきことだと思っているので。春菜が東京でしんどい思いをしながらも何とかお爺を探そうとして、水をきれいにする研究をしたりしますが、そこが僕らがやることであって、そこを描かないことには次のステップに進めないと思うんです。祖谷を出るまでだったら前の世代の物語なんですよ。これから僕らがやることはと言えば、放射能にしても全部がそうなんですけど浄化することが僕らの主題だと思うので、それを描きたいなと思って無理やり春菜のシーンを長くして、そこを浄化し終えてから山にどうやって帰るかという帰り方みたいなものまでやりたいなと思ったんですよね。
――古き良き生活を守るだけではなく、切り開いていくということですね。でも後半では現実のより厳しい問題も入ってきて複雑になっていきますよね。水を浄化する解決策を発見しても、他の業界の不利益になるからその研究結果は放棄せざるを得ないということとか。
蔦 今はやっぱりそういう時代というか、いろんな人のお互いの思いがあり過ぎて。それは祖谷で土建業者の人たちとマイケルさんが対立するのと一緒で、社会の中でいろんな人たちや団体の思いが多様化して交錯し過ぎていて、ひとつにまとまらなくて利益がまったく生まれてこないみたいな、自分がやりたいことが他の人からしたら迷惑になるとか、それが今なんとかしていかなければならないところだと思っているんです。
――そうですね、それぞれの立場によって何がいいかというのは一言では言えない。先ほども話に出てきましたが開発も住んでいる人の立場からしたら一概に悪いものではなくて。
蔦 祖谷の人たちは今は実際観光化を進めたいと思っていますからね。地元を盛り上げて人を呼びたいと思っていて。一方でそれも大事だけど自然が破壊されてもいいのかというアレックスさんの活動があって。みんな食うためにどうこうというのを大前提で考えていると思うんですけど、その食うという実生活と、それも大切だけどもっと大きな視点で物語を見ることとの闘いみたいなものも、田舎でも描いていたし、春菜の都会のシーンでもやったというつもりなんです。
――本当に視点が大きいですね。表現にも独自のものがあって、「アジアの未来」部門での上映が合っているなと観てあらためて思いました。
蔦 そうですね、「アジアの未来」に選ばれたのは嬉しかったです。
――監督はアジアの映画は観られるんですか?
蔦 はい、有名どころではあるんですけど、ジャ・ジャンクー監督とかホウ・シャオシェン監督とか、あと最近ではタイのアピチャッポン(・ウィーラセタクン)監督とか。
――ああ、じゃあやっぱり精霊的な世界だとかに惹かれるものがあると。
蔦 『ブンミおじさんの森』(10)はちょうど僕がこれを撮影する前ぐらいに観たので、「やばい、先にこんなのをやっている人がいるんだ」ってちょっとショックなところがありましたね。
――通じるものがありますね。こういう映画祭だと世界中のいろいろな表現の作品もたくさん観られますけど、今回は映画祭で他の作品は観ていらっしゃるんですか?
蔦 全然観ていないです。
――そうなんですか。「アジアの未来」のライバルたちの作品とかも?
蔦 観ない方が、グランプリ獲れるかなあと(笑)。
――(笑)。でも私もあんまり観ていないんですけど、観た中では『祖谷物語』はかなりいいと思っています。
蔦 本当ですか!? 審査員の方が厳しいことを言われていたと噂で聞いたので、どうかなと思っているんですけどね。
――選ぶのは審査員の方ですけど、観たお客さんの反応はよいようですよね。3時間もの作品でよく浸らせてくれたなあと思います。獲ってほしいですね。あと、今回の映画祭では監督はコッポラ監督父娘とお話がしたいと願っていたそうですが、お会いできました?
蔦 会ってないです。グリーン・カーペットで後ろの方を歩いていたのを見たぐらいで、全然お話できていないです。