今でも年間100本に迫る勢いで企画されるという閉ざされた映画王国・北朝鮮の映画界に、シンガポールのドキュメンタリー映像作家が初めて密着した。2年間に及ぶ長期取材を通じて北朝鮮の映画業界人たちの素顔とちょっぴりの本音を捉えた貴重なドキュメンタリー『シネマパラダイス★ピョンヤン』の一般試写会に10組20名様をご招待します。
◆会場:早稲田大学 大隈記念講堂 小講堂 (新宿区西早稲田1-6-1)
◆『シネパラピョンヤン試写』(メールでご応募の場合は件名)と、「お名前・ご住所・電話番号 ・年齢」を明記の上、こちらのアドレスか、メールフォームからご応募下さい。
◆応募締め切り:2014年1月17日(金)応募受付分※応募者多数の場合は抽選となります。
◆公式サイト:http://cinepara-pyongyang.com/
註)ご提供いただいた個人情報は、本プレゼント以外の目的では一切使用いたしません。また、個人情報そのものも招待状発送後一週間で破棄します。当選者の発表は、招待状の発送をもってかえさせていただきます。なお、当選に関するお問合せへの回答はいたしかねます。予めご了承下さい。
http://cinepara-pyongyang.com/
2014年3月、渋谷シアター・イメージフォーラム他にて全国順次公開!
北朝鮮―朝鮮民主主義人民共和国という不可解な国
ボロボロの服を身にまとい靴もないコッチェビ(浮浪児)たちや脱北者たちが溢れ出る国境地帯、一糸乱れぬ足並みの朝鮮人民軍兵士と兵器のパレードや人民総出の色鮮やかなマスゲームが繰り広げられるピョンヤン。
北朝鮮が、悪の枢軸国と言われて久しい。それはイコール、「北朝鮮の人民は悪い人たちだ」なのだろうか?
私たち一人一人が違うように、北朝鮮にも一人一人違う人間が生きている。
金正日(キム・ジョンイル)将軍様のハリウッドへようこそ!
北朝鮮にとって<映画>は、国家思想を人民に定着させる重要な啓蒙ツール。だからこそ映画に重きを置き、そこに携わる選ばれた人々は“厳選された環境”において“何不自由なく”創造する幸せを享受できる。
それはかつて北朝鮮映画局に勤め、北朝鮮映画の哲学を確立し、なにより映画監督を夢見た金正日将軍の指導によるもの。1947年には、50年代、60年代の日本や韓国、中国の街並みを再現した広大なオープンセットを有す朝鮮芸術映画撮影所が創設された。そして映画を志す者はピョンヤン演劇映画大学で学ぶのがお決まりのエリートコースである。
この映画は、シンガポールのドキュメンタリー映像作家であるリン・リーとジェイムス・ロンが、2008年のピョンヤン国際映画祭へ招待されたことから始まる。数えきれない交渉と、数少ない協力者のおかげでピョンヤンでの撮影許可は下りたものの、条件が二つ提示された。
1.外出する際は、必ず案内員が同行する。
2.撮影したものは、その日毎に検閲に出す。
2009年、リンとジェイムスはこの条件を苦渋の思いで受け入れ、北朝鮮への扉をこじ開け撮影を開始した。
カメラは、ピョンヤン演劇映画大学に通う二人の学生と、映画制作という“国家事業”にエキストラとして動員された朝鮮人民軍の若者を熱く演出する映画監督の姿を記録する。科学者である父親の反対を押し切り女優への道を進むユンミや、国民的映画人を両親に持つウンボム。将軍様に愛されたピョ監督。彼らは平凡な人民と言うより、むしろ特権階級の人々だろう。しかし、これまでニュースなどの報道で目にしてきた姿とは、また違う一面に観客は新鮮さを覚えるに違いない。それぞれが様々な個性と夢を持ち、北朝鮮のいまを生きる人々。その素顔から見えてくるものとは?
北朝鮮映画界――映画監督を夢見た金正日将軍が築いたプロパガンダ・ハリウッドの裏側
ピョンヤン国際映画祭に彼らの作品「アキ・ラーの少年たち」が招かれたことを機に、2008年に初訪朝したリン・リーとジェイムス・ロン。(アキ・ラー=カンボジアの地雷撤去活動家)
未知の都市ピョンヤンに行ける!と興奮気味だったが、初めてのピョンヤンは、「いけない」ことだらけだった。映画祭ゲストは常に一緒に移動しなくてはならない。勝手に外出してはいけない。屋台で買い食いしてはいけない…。それらを監視するために、”案内員”が常に寄り添う。
実は映画監督が夢で、好きな映画は「男はつらいよ」シリーズという金正日将軍。北朝鮮における映画哲学を確立させ、数々の映画を偉大なる名作=プロパガンダ映画になるよう直接“指導”していた。ピョンヤン国際映画祭には、その“直接指導”を受けた北朝鮮で活躍する俳優をはじめ映画人がおもてなし役として活躍してきて、二人はその映画人の想像以上の多さに驚いたという。
彼らのテーブルには、北朝鮮でもサインが欲しいと長蛇の列ができる大物女優が鎮座した。彼女は優雅に、そして堂々と質問した。「次のテーマは何?」――リンとジェイムスは答えた。「北朝鮮映画とか?」冗談のつもりだった。
前途多難だった撮影交渉
ピョンヤン国際映画祭での貴重な出会いに後押しされ、リンとジェイムスは北朝鮮と向き合うことを決心。8か月に及ぶ気の遠くなるメールのやりとりの末、やっと北朝鮮当局からの撮影許可を獲得した。
ただし、外出する際は必ず案内員が同行すること、撮影したものはその日毎に必ず検閲に出すことが条件だった。そうまでして北朝鮮を記録するべきか?リンとジェイムスは悩んだ。しかし撮影は“とりあえず”許可されているのである。こうなったら正々堂々と撮影し、検閲も受けて立つ覚悟だった。
2009年最初の撮影を皮切りに2010年までに4度の訪問、撮影。その都度ビザが発行されるのだが、あるときは飛行機が離陸する数時間前にようやくビザが発行されるような緊張の往来だった。
たちはだかる検閲
撮影したものはその日のうちに全て検閲する。北朝鮮当局はその通りに検閲をした。リンとジェイムスに同行した案内員が撮影済テープを検閲局に持っていくのである。検閲後、案内員を通して削除シーンのカットリストが提示される。当局が特に削除をせまったのは、停電のシーンだった。リンとジェイムスは案内員を相手に説得し続けた。「停電なんてどの国にもありえる!」それまでの撮影で少なからず信頼関係を築けた案内員は、リンとジェイムスとともに当局を説得した。
この映画は、決して北朝鮮を賛美するものでも、全てを赤裸々に見せるものでもない。リンとジェイムスがそれまで持っていた先入観や固定概念を取り払おうと努力しながら撮影した、北朝鮮のごく一部である。それも、ピョンヤンに住む特権階級の人々や政府に手厚く保護されている映画人たちだ。しかし、そこから見えてくるのは、ダイエットが苦手な女優の卵や、エキストラの若者たちの無気力さに声を荒げる映画監督の姿など、どの国にもある風景だった。
撮影を陰で支えたキーパーソンたち
ママ・パク 2008年ピョンヤン国際映画祭でリンとジェイムスに同行した案内員パクさん。母親のように温かい女性だったので、ママ・パクと呼んだ。小柄な体なのに大きな情熱を持って、この作品のきっかけを作ってくれた。残念ながら、ママ・パクに会ったのはきっかけを作ってくれた最初の訪問だけで、以降はある事情で仕事を離れており、撮影中に再三希望したにもかかわらず再会することは叶わなかった。
3人の金さん リンとジェイムスの撮影中、交代で案内員として同行した金さんたち。
最初の金さんは音楽と映画を愛する人だった。好きな映画は、イギリス映画『つぐない』と『ベッカムに恋して』。リラックスするとピアノを弾きながら一緒に歌おうと誘う。いつも髪がボサボサで、眉間にしわをよせている。彼は撮影のための難しい交渉を、数多くOKにしてくれた。 二人目の金さんは、かつて軍人だった。少し上の年代でガードが固くいつもイラついていた。気付かないうちにルールを犯しているのか?暑さのせいか?寒すぎるのか?お腹がすいたのか?歩きすぎなのか?金さんは規則正しく予測可能なことを歓迎した。撮影は彼にとって予想外のストレスだっただろう。 三人目の金さんは、冷麺が大好きだった。それしかわからなかった。彼は運転手であって、多くを語らなかった。一度だけ、昼食を一緒に食べたとき、彼は冷たいスープの中に高く盛られた冷麺にだけ集中していた。彼は意図的にあっと言う間に食べ切った。そして満足そうな笑顔でごちそうさまと言った。北朝鮮の年輩者たちは決して食べ物を残さない。いつも食べきるのだ。
撮影・編集:ジェイムス・ロン プロデューサー:リン・リー、シャロン・ルーガル
2012年/シンガポール/朝鮮語・日英字幕/93分/原題:The Great North Korean Picture Show
©Lianain Films
http://cinepara-pyongyang.com/
2014年3月、渋谷シアター・イメージフォーラム他にて全国順次公開!
- 出演:パク・ミヒャン
- 発売日:2013/05/03
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