クリストフ・ガンズ (監督)
映画『美女と野獣』について
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2014年11月1日(土)よりTOHOシネマズ スカラ座ほかにて全国公開
『ジェヴォーダンの獣』(01)、『サイレントヒル』(06)がアメリカを中心に全世界で高い評価を得たクリストフ・ガンズ監督が、待望の新作を携えて来日した。今回、ガンズ監督が題材に選んだのは、フランスで語り継がれてきたお伽話、『美女と野獣』。8歳のときに初めてジャン・コクトー版を観たガンズ監督は、敬愛の念を抱く一方で、物語に“欠けた部分”があるのを感じたという。その描かれざる部分を求めて原作の内奥へと掘り進んだ結果、コクトー版やディズニー版とは歴然と異なる、まったく新しいガンズ版『美女と野獣』が産声をあげた。『アデル、ブルーは熱い色』(13)でパルム・ドールに輝いたレア・セドゥの魅力も眩しく、必見の一作だ。
(※取材は、ほか映画情報サイトと合同で行われましたが、許可を得て、質問・回答を使用しています。むろん、文責はすべて筆者にあります。 取材:後河大貴)
<ストーリー> 都会で贅沢な暮らしをしていたベルは、裕福な商人だった父が零落したのをきっかけに、田舎へと引っ越すことになる。不満を募らせる兄姉を傍目に、ベルは家族が一緒なら幸福だった。そんなある日、森の中で吹雪に見舞われた父は、何者かに古城へと誘われる。そこには、豪華な食事や金銀財宝が並んでいた。命を長らえたことに安息し、ベルへの土産にと薔薇を一輪手折った父――だが次の瞬間、黒い大きな野獣が襲い掛かる。野獣は怒りに燃え、「一番大切な薔薇を盗んだ代償を、お前の命で支払え」と要求した。一日だけ猶予を貰った父は、家族に一部始終を打ち明ける。意を決したベルは、ひとり野獣のもとへと向かうのだった――。
――本作は、ヴィルヌーヴ婦人が1740年に上梓した原作小説をベースにしていますが、一般には知られていないような、物語の奥の部分を描いています。その目的はなんだったのでしょうか?
ガンズ 『美女と野獣』の映画といえば、ジャン・コクトーの作品が有名です。私は8歳のときに観たのですが、非常に印象深く、いまだに敬愛しています。しかし一方で、フラストレーションも感じていました。それは、“王子がなぜ、恐ろしい呪いをかけられて野獣になったのか”という点です。その欠けた部分が気に掛かり、原作に立ち戻ってみたのです。すると、物語の内奥に深い意味が込められており、多義的な解釈が可能であることに気がつきました。それで、「『美女と野獣』の、今まで描かれてこなかった部分を描きたい」と思うようになったのです。既に映画化されているので、「やりにくいんじゃないか」と危惧する人も多いと思いますが、私の場合は、既に映画が存在していると、そこで描かれていない部分、触れられていないものが描けるので、むしろ仕事がしやすいのです。
――既存の作品と比べて、家族のパート、とりわけ“父と娘”の関係に力点が置かれているように感じました。なにか、こだわりがあったんでしょうか?
ガンズ “父と娘”の関係を描きたいというよりも、私は、コクトー版では描かれなかった曖昧な部分をつけ足して描きたいと思いました。その結果、彼が触れていなかった家族の関係に、多く触れることになったのです。ベルの父親である商人がなぜ落ちぶれたのか、あるいは、王子がどうして野獣になったのか――コクトー版では抜けていたピースを埋めるように、物語を膨らませていきました。また、コクトー版では、コクトーとジャン・マレー(コクトーの長年の愛人)の関係から、ベルよりも野獣に力点が置かれていますが、私は、「ベルに視点を置いた物語を描いてみよう」と考えました。ある意味で、コクトー版と本作は、相補的な関係にあると言えるでしょう。
――コクトー版、ディズニー版との最大の差異は、“罪と贖い”に焦点が当てられている点かと思います。
ガンズ 先ほど申し上げたように、既存の作品では、“王子がなぜ、野獣になったのか”が描かれておらず、フラストレーションを感じていました。事実、コクトー版では、最後に「悪い妖精のせいで野獣にされてしまった、かわいそう」と言われたりします。しかし、私は原作を読んで、「おかしい、これは不公平だぞ」と感じ、「王子が呪われて野獣になってしまったのには理由が、罪のようなものがあったはずだ」と考えたのです。ですから、一見すると、終盤に城にやってくる盗賊が悪役ですが、本当は、野獣になる前の王子が一番の悪人であり、重い罪を犯しているのです。しかも、ともに狩に出かけた部下たちは巨人と化し、狩猟犬は怪物になってしまった。彼らはみな、自然に反逆し、神を冒涜した罪を犯したのです。だからこそ、王子が罪を犯して野獣の顔になりながらも、ベルとの出会いを通じて人間性を取り戻していく――その部分こそが重要なのだと考えたのです。
もうひとつ、数あるお伽噺のなかで、『美女と野獣』を選んだ理由があります。それは、物語の本質をすべてを物語る、素晴らしいタイトルに惹かれたからです。原題の『La Belle et La bete』は、“美女のベルと野獣”を意味していると思われがちですが、フランス語の接頭詞etには、andとisという両義的な意味があります。ですから、じつはベルにもbeteな一面があり、美しい顔をしているけれど心には獰猛なものを抱えているとか、あるいは、獰猛な野獣が心に気高さをを持っているとか――非常に多義的な解釈が可能なタイトルなのです。日本の文化のなかにも、パラドックス的に2つの意味を対置するということがあると思いますが、本作も、そうしたことを踏まえて作っているのです。その意味では、ディズニー版は、単純明快なラブストーリーに仕立てられていますが、野獣に見かけとは裏腹の気高さがあり、あるいは、美しい乙女であるベルが心に獰猛さを抱えているという点が省かれてしまっています。それが私にとっては好ましくなかったこともあり、本作を制作するにあたっては、「タイトルの含む意味合いに忠実であろう」と思いました。
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監督:クリストフ・ガンズ 主演:レア・セドゥ、ヴァンサン・カッセル、アンドレ・デュソリエ
配給:ギャガ 提供:アミューズソフトエンタテインメント、ギャガ
原題:La Belle et La Beta/字幕翻訳:丸山垂穂
©2014 ESKWAD - PATHE PRODUCTION - TF1 FILMS PRODUCTION ACHTE / NEUNTE / ZWOLFTE / ACHTZEHNTE BABELSBERG FILM GMBH - 120 FILMS
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