レビュー

バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)

( 2014 / アメリカ / アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ )
2015年4月10日(金)、TOHO シネマズ シャテ他全国ロードショー
堕ちたヒーローが手にした自由の翼

岸 豊

ネ タ バ レ あり 『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』アモーレス・ペロス』(00)、『21グラム』(03)、『バベル』(06)などのシリアスな群像劇で知られるアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の最新作、『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』は、主演のマイケル・キートンの人生を反映させたストーリーに、全編1カットによる撮影という究極の映像表現が融合した、新感覚の作品だ。アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥの作品は、一貫してシリアスな人間模様を通じて「生きることの悲しさ・厳しさ」を紡いできた。しかし本作では、「落ちぶれた俳優」をモチーフに据え、人間臭いドラマの中に絶妙なギャグを組み込み、大胆な作風の変化を見せている。

かつてはヒーロー映画「バードマン」シリーズで大ヒットを飛ばしたリーガン・トムソン(マイケル・キートン)は、今や人々に忘れられた落ち目の俳優に成り下がっていた。そこでリーガンは、ブロードウェイでレイモンド・カーヴァーの短編小説『愛について語るときに我々の語ること』を自ら演出・脚色・主演し、カムバックを果たそうとしていた。しかし、プレビューに備えていたリーガンを、出演俳優の怪我によって現れた代役のマイク(エドワード・ノートン)の登場をきっかけに、娘のサム(エマ・ストーン)やキャストを巻き込む、予期せぬトラブルの数々が襲い始める……。

本作で特筆すべき点は、まるで1カットで撮影されているような映像だ。その1カットは、撮影監督のエマニュエル・ルベツキと編集スタッフの超絶技巧によって成立している。「1カット映画」の元祖はアルフレッド・ヒッチコックの『ロープ』(48)だが、アカデミー賞受賞経験者でもあるエマニュエル・ルベツキは、劇場という多くの人々が行き交う空間での寸分違わぬ動きの連続を、カメラがパンする瞬間と画面を一瞬包む影をきっかけにカットを切り、それぞれのシーンにおけるライティングや画面の色味、コントラストなどを調整して、シーンを違和感なく繋げ、2時間にわたって洗練された1カットを完成させた。その1カットの中に映し出されるのは、人間臭く、愚かで愉快なキャラクターたちの葛藤と再生だ。

『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』場面1主人公であるリーガンを演じたマイケル・キートンは、ご存知のように『バットマン』(89)で一躍スターダムにのし上がった。しかし、その後は作品に恵まれず、彼は人々の記憶から徐々に忘れられていった。つまり本作におけるリーガンは、マイケル・キートン自身のパロディだ。また、マイクを演じたエドワード・ノートンは実際に「仕事がしにくい俳優」として知られてもいるし、売れない女優のレズリーを演じたナオミ・ワッツも、実際に下積みが長かったなど、キャストのキャリアが反映されているキャラクターには思わずニヤリとさせられる。
リーガンが再起をかけて舞台化した『愛について語るときに我々の語ること』は、とても舞台向きの作品ではなく、彼の哀れでおかしな「無知」を象徴しているように思える。しかし同作は、「愛されることを求めてさまよう男の悲劇」をモチーフとした作品でもあり、その主人公であるメルは、「もう一度人々に認められたい、愛されたい」と願う本作におけるリーガンの姿にピタリと重なる。そして皮肉なことに、この無知が後に奇跡を起こすことになる。
そのリーガンは、「エゴとリアリティのギャップ」に苦しんでいる。彼はかつての輝きを取り戻すため、舞台の全てを自分が仕切って成功を収めようとしている。しかし、「なんでこんなハメになった?」とかつての自分であるバードマンの幻影になじられ、「客が見に来るのはあんたじゃない、俺だ」とマイクにコケにされ、「パパのことなんてもう誰も覚えてないの!現実に向き合ってよ!」というサムの一言で、役者としてだけでなく、父親としてのエゴもズタズタにされる。しかし、リーガンはどん底に叩き落とされても、カムバックを諦めず、不器用に歩き続ける。その姿は哀れだが、応援せずにはいられない。
そのリーガンを困らせる物語のトリックスター、マイクが抱えているのは、「内的人格と外的人格の衝突」だ。演技に対して異常なこだわりを見せるマイクは、自身を「舞台の上でだけ本当の自分を出せる男」と評する。つまり彼は、彼のペルソナが見せる天才的な演技力と引き換えに「本当の自分」を見失ってしまった男なのだ。勃起不全はその副産物だろう。その結果、彼はステージ上ではビンビンになっても、普段は「タチ」の悪い男で、女性関係もうまくいかない。
『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』場面2そんなマイクとのロマンスを見せるサムが象徴するのは「孤独」だ。リーガンは家を空けてばかりいたため、父を必要としていたサムはグレてしまった。その結果ドラッグにハマったサムは、リハビリ施設を出たばかり。親子関係の修復のため、リーガンの付き人として働かされているサムは、暗く狭苦しい劇場に閉塞感を感じている。これを象徴するように、彼女は1人で屋上にいることが多い。そんなサムがマイクと出会い、「君はイカレた女の子を演じているだけだろ」と指摘される。父すらも気づいてくれなかった自分の秘密に気づいてくれたマイクに惹かれたサムは、自分の欲求を解放し、マイクと体を重ねることで孤独と閉塞感から解き放たれる。

そんな人間臭いドラマが展開する本作の120分にわたる1カットの中では、数々の名シーンが生み出されている。特に、最後のプレビューの最中にマイクとイチャつくサムを苦々しげに眺めたリーガンが、タバコを吸いに出る。するとドアがロックされてしまい、彼が着ていたローブがドアに挟まれて抜けなくなるという悲劇が起こるシーンは爆笑必至だ。自分の出番まで時間がないことに慌てふためくリーガンは、遂にバスローブを脱ぎ捨てブリーフ1枚になる。そして道行く人々に「バードマンよ!」「実物はジジイだなあ」などと言われながらタイムズ・スクウェアを闊歩するこのシーンは、最高の笑いどころであると同時に、冷静に考えると本作で最も困難なシーンだったはずだ。このシーンは、セットではなく実際のタイムズ・スクウェアで撮影されており、すれ違う人々やリーガンを追いかけて写真を撮ろうとする人、パレードの音楽隊など、画面上の数十人、あるいは数百人が寸分違わぬ動きを見せた結果の賜物である。またこのシーンは、リーガンがバスローブを脱ぐことで、彼が縛られていた「落ちぶれた俳優としてのエゴ」を捨て、現実に向き合うことを象徴する、物語における転換点でもある。その結果、最後のプレビューはリーガンの天才的なアドリブによって大盛況となった。

最後のプレビューを終え、ブロードウェイを支配する批評家のタビサ(リンゼイ・ダンカン)に啖呵を切った翌朝、酒を飲んだまま道端で一夜を明かしたリーガンのもとにバードマンが現れる。バードマンに「過去のヘマなんて気にするな」と鼓舞されたリーガンが指を振る。すると、突然隕石が落下し、恐ろしい不死鳥が軍隊と戦い始める超展開!「もう一度俺たちのやり方でスターになってやろうじゃないか!」とバードマンに煽られたリーガンは、空に向かって浮遊していく。心配する善良な市民をよそに、彼はビルの屋上から飛び降りる。するとどうだ、リーガンは空を飛んでいる。今まで彼が縛られてきた「落ちぶれた俳優としてのエゴ」から解放されたリーガンの顔にあるのは恐怖ではなく、今まで見せることのなかった心からの笑顔だ。意のままに空を飛ぶリーガンの姿は、自由そのものだ。
『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』場面3後に、これは彼の頭の中での出来事だったと示唆されるが、劇中で時折披露される彼の超能力が本物かどうかは大した問題ではない。超能力の有無はマクガフィンであり、重要なのは彼が取り戻した自由だ。劇場に戻ったリーガンは最高のパフォーマンスを見せ、第1幕は大盛況。そして楽屋を訪れたリーガンの元妻シルヴィア(エイミー・ライアン)との関係も改善の兆しを見せる。しかし、全てがうまく行きつつある中で、リーガンは本物の銃を手にして舞台に向かう。そして自身が演じるメルの自殺のシーンを迎えたリーガンは、実弾が込められた銃の引き金を引く。

……リーガンは鼻を吹っ飛ばしたものの、一命を取り留めた。そして、タビサが「無知がもたらす予期せぬ奇跡」と題した絶賛のレビューによって、舞台は一躍脚光を浴びる。スーパーヒーローのように大逆転を遂げ、仲間と喜び合う父の姿を見て、サムは安堵する。
その後、リーガンは再びバードマンと出会う。しかし、もうバードマンの声は聞こえない。そして、まるでバードマンのマスクのような包帯を取る。これは彼が拒絶してきたバードマンとしての自分を受け入れ、擬似的な死を経ることで、バードマンの呪縛から解放され、役者として、父として成長したことを象徴している。そして彼は窓から空を見上げ、自由に羽ばたく鳥を見つめる。
……サムが病室に戻るとリーガンの姿は無い。開け放たれた窓を見たサムは、観客と同じく最悪の結末を頭に描きながら、窓辺に駆け寄る。下を見ると、そこにリーガンの姿は無い。その直後、何かに呼ばれるように上を見上げたサムは、鳥のように、自由に空を飛ぶリーガンの姿を見て笑う。

ここ数年、どうしようもない作品にばかり出演していたマイケル・キートンは、スーパーヒーローとは似ても似つかない、情けなくも哀愁漂う味わい深い演技で、リーガンと同じく見事なカムバックを果たしてくれた。アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥの手によって、全編1カットの映像、人生が反映されたキャストたちのアンサンブル、観客の予想を裏切り続ける展開、全てが溶け合った、奇妙で愉快な本作と出会えたことに、心から感謝したい。

(2015.2.8)

バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)
監督:アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ (『バベル』『21 グラム』『アモーレス・ペロス』)
撮影:エマニュエル・ルベツキ(オスカー撮影賞受賞『ゼロ・グラビティ』『ツリー・オブ・ライフ』『トゥモロー・ワールド』)
ドラム・スコア:アントニオ・サンチェス(オリジナル・スコア / 「New Life」で第55回グラミー賞受賞)
出演:マイケル・キートン、ザック・ガリフィナーキス、エドワード・ノートン、アンドレア・ライズボロー、エイミー・ライア、エマ・ストーン、ナオミ・ワッツ
2014年/アメリカ/英語/カラー/ヴィスタサイズ/120分/PG12 日本語字幕:稲田 嵯裕里
配給:20世紀フォックス映画 © 2014 Twentieth Century Fox
公式サイト

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2015/02/15/22:10 | トラックバック (3)
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