インタビュー

木村 文洋 (映画監督)
映画『愛のゆくえ(仮)』について

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2012年12月1日(土)より、ポレポレ東中野にて上映中
大阪、名古屋、京都にて公開決定

前川麻子の同名戯曲をもとに、木村文洋監督が完成させた『愛のゆくえ(仮)』は、元オウム真理教の平田信と彼を隠匿した女をモデルにしながら、私たちに奇妙な「親密さ」を抱かせる映画だ。木村監督にとっては前作『へばの』(08)から約4年ぶりの新作。筆者が監督の話をおうかがいするのも『へばの』公開時以来となる。この間、木村監督はどんなことを思ってきたのか? また本作にこめられたメッセージとは?(取材/文:佐野 亨 )

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「加害者」と「被害者」の境界線

――「内と外」というのも、前作『へばの』に続いて見られるモチーフですね。これについてはなにかこだわりがあるのですか?

木村 単純にそういう映画が好きだし、いちばんリアリティを感じているのかしれません。あと何作かそういう映画をつくっていきたいと思っています。ここ何年か強く考えていた映画の主題でもあったんですが、特に去年の震災以降、部屋から世界をじっと眺めている実感というのに……自分も向き合わざるをえませんでした。17年前、世の無常や死を乗り越えるために信仰を持ち、これだけ長い時間耐えてきた2人が、昨年1年間の時間に、ある意味負けてしまった、というのが僕には驚きだったし、この映画を撮る最大の動機にもなった。とても人間くさいな、と感じたんです。

――その感覚は理解できます。このあいだ女性週刊誌に、漫才コンビのクワバタオハラのくわばたりえさんの児童虐待疑惑に関する記事が載っていたんです。くわばたさんは「自分の子どもはかわいいけれど、ときどき息づまって、手をあげそうになるときがある」というようなことをご自身のブログに書いていた。オーディエンスの反応は案の定、同じような境遇にいる女性の共感と拒絶の両極端に分かれていたんですが。そういうときにワイドショー的な感性って、虐待をしてしまう女性の心理を認めようとしないでしょう。「鬼ママだ」「人間じゃない」と糾弾するだけで。

木村 いま佐野さんからお聞きするまで、その話は知りませんでした。

――昔、漫画家の近藤ようこさんが『ホライズン・ブルー』という作品のあとがきで、そのような違和感を書かれていましたけれど。少なくとも僕は児童虐待をする女性が自分とまったく違う感性を持った人間とは思えないし、そういう感情が存在することを認めなければ、問題の本質を見つめることはできないと思うんです。この映画のモデルになった2人のケースもまったく同じだと思う。僕らと同じ日常感覚を引きずっているんだというね。だから、映画のなかで女が口にする「ふつうに結婚して、ふつうの家庭を持って……」という願いが僕にはすごく説得力を持って響いたんです。

木村 わかります。

――この映画に関してもおそらくこの2人をモデルにしているがゆえの拒否反応って絶対あると思うんですよ。さっきも言ったカレーライスのシーンとかを微笑ましく見れてしまうのは、彼らを僕らと同じ日常感覚を持った人間として描いているからで、それはある種の人たちにとっては認めたくないことなのでしょう。

木村 オウム真理教の信者が入信した動機って、当然それぞれ違うわけですよね。事件への関わり方も違うし、いま服役していて事件についてどういった姿勢を取っているかも全員違う。今年逮捕された3人もそれぞれ違うし、新実死刑囚はオウムの正史を残すことが被害者への償いになる、と現在も獄中で修行を続けている。ですが、オウムに所属した、事件にわずかでも関与した、というだけですべて画一的に「向こう側の人間」になる。被害者の方がいる、ということで映画で考えること自体が糾弾される。愛とかふざけるな、と。自分たちとなにがつながっていて、なにが違うのかを考えていくということだと思うのですが。

――この映画はいわば「加害者」の側にだけ焦点を絞って描いているわけだけど、僕がそういう映画に対する批判を聞いていつも疑問に思うのは、なぜ「加害者」と「被害者」を本質的に敵対する人間同士としてとらえようとするのかということなんです。もちろんそれは事件や裁判といった制度の上では敵対しているかもしれない。でも、もっと本質的な部分ではどうなのか。たとえば、村上春樹の『アンダーグラウンド』にしても、ある日突然不条理に「平凡に生きること」の権利を奪われた「被害者」の言葉というのは、これは無条件に私たちの心をとらえる。それと同様の日常を生きる重さが「加害者」の側にもあるだろうと僕は思うんです。でも、良心的市民感覚のなかでは、その2つを同等に扱うのは許されないことなのでしょう。

木村 おっしゃること、すごくわかりますね。人間は小さいことから大きなことまで、「加害」と「被害」との表裏を生きていると思うんです。この映画の2人の関係に限っても、彼女の17年間の人生を男が奪っているわけで、彼女は「被害者」とも言えるし、もしかしたらその逆と言えるかもしれない。彼女がいたことが、はたして男にとってよかったのか、と。男女にせよ親子にせよ、人が人一人と長く時間を共有していると、誰しもそういったことを考えると思うんです。そして彼女はなにより最終的には社会に対しての「加害者」としてお詫びしなければいけない。それは当然だろう、と言われるまえに、いったいなにからそういったことが始まっているのか。  『へばの』は原子力施設労働の被害者を主人公に据えた映画でしたが、上映当時は「電力や雇用を享受する立場にありながら、こうした被害者意識は許されない」という批判も時に受けました。おっしゃるとおり、「加害」と「被害」が明確に敵対しているという前提を立てれば、どんなことでも批判は簡単に可能になる。「加害」と見える側面を相手側に見いだせばいいだけだから。  あらためて「加害」「被害」の両面を、自分が生きていくうえで自覚しなければいけないし、映画ではその両方を描いていかなきゃいけないんだろうなと思います。

――今後はどういった作品を考えていらっしゃいますか?

木村 あと数年は、3作目の『息衝く』に取り組むことになると思います。いまのところ自分が映画をつくる理由は、自分たちがどう考えていいかわからないものや手に負えないものに対して、どのように関わっていくことができるのか考える、そういったことじゃないかと思います。

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( 2012.11.13 新宿にて 取材/文:佐野 亨)

愛のゆくえ(仮) 2012年/日本/カラー/HDV/16:9/86分
監督:木村文洋 出演:前川麻子/寺十吾
プロデューサー:高橋和博 脚本:前川麻子/木村文洋 撮影:高橋和博 録音:丹下音響 助監督:遠藤晶 編集:上田茂
音楽制作:太陽肛門工房/丹下音響 宣伝美術:竹内幸生 宣伝協力:加瀬修一 製作・配給:team judas2012
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2012年12月1日(土)より、ポレポレ東中野にて上映中
大阪、名古屋、京都にて公開決定

2012/12/20/22:48 | BBS | トラックバック (0)
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