濱口 竜介 (映画監督)
レトロスペクティヴ『ハマグチ、ハマグチ、ハマグチ!』について
2012年7月28日(土)~8月10日(金)まで、渋谷オーディトリウムにて開催!
映画監督・濱口竜介のレトロスペクティヴが、国内外から多数のゲストを迎えて開催される。ようやく実現した機会に喝采を送る人もいれば、聞き覚えのない名前に首を傾げる人もいるかもしれない。正式な商業公開作が1本もない状態のままで精力的に活動を続ける彼の歩みをたどることは、そのまま、現在の日本における映画監督という職業、あるいは肩書きの意味を考えることにも通じるに違いない。国際映画祭への正式出品、韓国との合作、4時間を超える長篇の制作、東北地方における東日本大震災の被災者の声に耳を傾けたドキュメンタリーの撮影などなど、偶然に翻弄されてきた数奇な監督生活を振り返っていただいた。(取材:鈴木 並木)
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――その、巨大なものと卑小なものとの対比は、そのまま次の『THE DEPTHS』(2010年)にもつながっているのかなという気がします。またしても結婚式から始まる映画ですが、企画の経緯についてお聞かせください。
濱口 韓国国立映画アカデミーと、東京藝大の映像研究科が、共同制作を継続してやっているんです。その企画コンペを2年に1回くらいやっていて、その中で、韓国のシム・ユンボというひとが出した企画が通ったんです。正直、企画の原案プロットを見たとき、大丈夫かなこれ、ちゃんと作品にできるだろうかと多少思ったんですが、日韓でやる魅力のほうがすごく大きかったので、やらせてください、と。
――吉岡さんと石田さんがタクシーで併走して別れていくところがあります。
濱口 あのタクシーの撮影も偶然性が高くて、たいへんだったんですけど、チャレンジとしてやっているところはあります。『PASSION』のトラックがあって、演出を教わったような気がした、その延長線上にあると思いますね。いまだにそれがどういうことなのか、うまく言葉では言えないですけど。
――酒井耕さんとの共同監督作品『なみのおと』(2011年)は、最初見たときは自然と話の内容を聞くことになりましたが、二度目はやはり、どうやって撮ったのかに意識が行きました。酒井監督とのトークを聞いたら、緻密というか作為的と言ってもいい作り方がなされていることが分かり、その種あかしが興味深かったです。正面から撮った部分と通常の切り返しの部分は別の時間に撮影されたそうですが、おもしろい夫婦のところで、正対するカットから斜めのカットへの、アクションを介したカットつなぎがありましたね。
濱口 インタビューの撮影時、テープ1本が1時間なので、ロールチェンジのタイミングにキャメラ位置を変えています。あのときは、1ロール目は正面から撮って、2ロール目は斜めの切り返しで撮っているんですけど、少し雰囲気が固く感じたこともあって「事象のレベルで何が起きたかは伝わりましたが、今度は、そのときどう思ったかを中心に話してもらえますか」と言って、2ロール目を撮影しました。編集中、たまたまアクションのつながる瞬間があったんですね。別々の時間に、同じようなことを話してもらっているときに、同じようなアクションがあって、それをつないだものです。
――「3がつ11にちをわすれないためにセンター」のための公的記録として、100年後にも残るようなものを目指して作られたものということになっていますが、それにしては作家主義的過ぎるという批判、あるいはご自分の中での危惧はありませんか。つまり、無個性的ないわゆる「記録映像」ではないですよね。
濱口 どういったらいいのか難しいんですが、東北に最初に行ったときから、自分が行くということは当然「映画」を撮るということだと思ってました。もちろんそれは「記録映像」を撮るということと矛盾しないとも思っていたんですが。
――とはいっても、なんというか、非常に「強い」題材だと思います。撮っているうちに、当初の信念が揺らいだりはしませんでしたか。
濱口 それは不思議なほどなかったですね。共同監督でやっていた、ということも大きいのかも知れません。もちろん、人並みにショックは受けてました。3月11日の地震と津波があって、原発が爆発したあの当時、東北のあたりって、もやがかかって見えていませんでした? 一方で、あくまで映像のレベルで言うと、津波の映像がたくさんYouTubeに上がっていて、それをリンク踏んで見ていく経験をみんながした。それは誰にとっても新しい映像体験だった気がします。その映像を見ることで、何かを実際に体験したような、知ったような感覚って生まれましたよね。そうした映像はフィクションとしての映像が目指しているものに、実はとても近かったんではないでしょうか。いちばん似ている体験を挙げるとすれば、それはマルチキャメラのハリウッド映画だと思います。
『親密さ』ただ、ぼく個人の問題意識で言うなら、そうしたネット上の映像を見ながら、このキャメラポジションは、物事をとらえる上での正しいポジションではない、ということをずっと思ってました。あくまでキャメラポジションの問題として、ですけどね。変な話、ある意味で「間違った」映像にフィクションを奪われたような、そんな気はしていました。
東北に行くということは記録映像、ドキュメンタリーを撮ることだけれども、フィクションを取り戻しに行く、という考えが強くありました。だから、自分が小川紳介さんとか土本典昭さんのような形でのドキュメンタリー作家だとはまったく思わないです。ただ一方で、フィクションとドキュメンタリーの境界なんて、そもそも曖昧なものだと思っているので、そんなに抵抗もなかったです。その直前に『親密さ』の撮影をやったことも大きかったかも知れません。
――『親密さ』(2012年)は、ENBUゼミナールの映像俳優コースの受講生の卒業制作の監督をするのを請け負って作ったものですが、そういう人たちを使って、あのような、大胆に舞台を取り込んだ作品になったのはどうしてなのかなあというのは誰しも気になるところだと思います。
濱口 初めて講師というものになったわけですけど、演技を教えろといわれても、教えることなんて何もないわけですよね。率直に言って、役者の中で何が起きてるかとか、どういうふうにして「演技」というものが生まれるのかとかいうことを、僕は全然知らないんです。2010年冬から2011年の春までの3か月ものあいだ、教えることがあるかなという不安はありました。で、いつもやっているようなことをすごく時間をかけてやる、つまり、脚本を渡してそれをやっているところを撮るとしたら、彼らも、僕自身も演技について自然と分かるところがあるんじゃないかと思いました。そのとき、ずっと映画にならなかった『親密さ』というプロットを舞台にすることを思いついたんですね。脚本を渡して、舞台公演をやることにして、その稽古をずっとしてもらいました。
――舞台部分の演出は平野鈴さんがされているわけですが、そのあいだ監督は何をされてるんですか?
濱口 ぼくですか? 基本的には何もしていないです。いないときもありました。『なみのおと』も撮ってくれているカメラの北川喜雄だけ行ってもらったりとか。いるときも、基本的には何も言わないし、監視してるみたいな雰囲気になるのが嫌だったので、ぼくもストレッチに参加したりだとかしてました(笑)。本当に言わずにはいられないときだけ、何かおかしくないですか、ってことを言ったりしました。
――時間をかけているからというのもあると思いますが、完全版を見ると、佐藤亮さんなどはとくに、このひとは本当にこういう人なんだろうなあとつい感じてしまうのですが、セリフについて、アドリブや役者本人の意向は入っているのですか?
濱口 その場でドキュメンタリー的に撮っていた部分があるので、そこは彼らの生の言葉だったりしますが、多くはありません。舞台劇の部分については僕の書いた脚本をほとんどそのままやってましたが、その準備過程である映画の前半部分に関しては、彼らの話し方を聞いて、こんなこと言いそうだな、みたいな半分アテ書きみたいな感じでやってます。ただ、『親密さ』の脚本は指令書みたいなところもあったかも知れないです。何も言わない分、当然、彼らのあいだで議題にしなくてはならないことを脚本に書いたりしました。