『ひと夏のファンタジア』第37回PFF 招待作品部門「映画内映画」サプライズ上映作品
チャン・ゴンジェ監督 × 真利子哲也監督 × 康すおんさん
トークショーレポート【1/4】
去る9月に開催された第37回PFFの招待作品部門「映画内映画」において、フランソワ・トリュフォー監督の『アメリカの夜』(73)などの名作とともに、韓国の新鋭、チャン・ゴンジェ監督の新作『ひと夏のファンタジア』が上映され、好評を博した。上映後には来日したチャン・ゴンジェ監督と、チャン監督とは同世代で交流の深い真利子哲也監督、本作出演者の康すおんさんによるトークショーが行われた。
河瀬直美監督がエグゼクティブディレクターを務める「なら国際映画祭」の映画製作プロジェクト「NARAtive」2014年度作品として奈良県五條市で撮影された『ひと夏のファンタジア』は、映画監督と五條の人々との邂逅を描く第1章、そしてそこから生まれたラブ・ストーリーの第2章という2部構成を同じキャストが演じ、人の出会いが生み出す奇跡とともに偶然に満ちた映画製作の内幕にも迫る、珠玉のファンタジー作品となっている。 主演を真利子哲也監督の『イエローキッド』(09)に出演した岩瀬亮さんが務め、康すおんさんは五條市で静かに暮らす男「ケンジ」を演じている。
聞き手役を務める真利子監督がチャン監督との出会いを語ることからスタートし、ドキュメンタリーとフィクションが融合するような本作での演出方法や、日本での映画作りの舞台裏、そして恋愛映画として高い人気を集めた韓国での公開のことなど、興味深いお話が展開したトークショーの模様をお届けする。 (取材:深谷直子)
Story ”夢の映画”をめぐる、ささやかな恋と無限の映画の物語。
第1章 韓国から奈良県五條市にシナリオ・ハンティングにやってきた映画監督のテフン。彼は日本語を話す助手のミジョンと共に、観光課の職員タケダの案内で町を訪ね歩く。古い喫茶店、廃校、一人暮らしの老人の家……インタビューを通し、寂れゆく町にも人々の営みを感じたテフンは、旅の最後の夜に不思議な夢を見る。目覚めたとき、窓の外には花火があがっていた…。
第2章 韓国から奈良にやってきた若い女性ヘジョン。彼女は五條市の観光案内所で知り合った柿農家の青年ユウスケと共に、古い町を歩き始める。ユウスケは徐々に彼女に惹かれるようになり…。
真利子 2009年のバンクーバー国際映画祭で僕の『イエローキッド』が初めて海外で上映されたときに、チャン監督も『つむじ風』(09)で参加されていて、その後もいくつかの映画祭で一緒になってチャン監督と交流していきました。『イエローキッド』は僕の1作目だったのでバンクーバーにはチームで行っていました。『ひと夏のファンタジア』に出演されている岩瀬亮さんは『イエローキッド』の出演者で、韓国で上映されるときには岩瀬さんともう一人の俳優さんと3人でチャン監督の家に泊まらせてもらっていました。それが2010年ぐらいのことです。今回の映画に限らず、チャン監督の映画には触発されるものが多くて、今回は自分の好きな役者が主演で出たということで、なら国際映画祭で初めて上映されたときにも立ち会わせてもらい、今日は対談させてもらうことになりました。
(チャン・ゴンジェ監督が登壇)
真利子 チャン監督の過去の作品のことからお話を伺えたらと思います。『つむじ風』は原題の『Eighteen』から分かるように10代の話でした。この作品はチャン監督の韓国映画アカデミーの卒業製作になるのでしたっけ?
チャン 僕は映画アカデミーで撮影を専攻していたので卒業製作ではなかったのですが、卒業したあとにインディーズ作品として製作と演出を担当して作りました。
『ひと夏のファンタジア』真利子 次の作品『眠れぬ夜』も、監督自身をモデルに作った1作目の影響が感じられ、チャン監督のご自宅を舞台に、監督が悩まれていることを題材にして撮った映画でした。『ひと夏のファンタジア』にはそれら過去の作品の影響はありますか?
チャン 僕はまず映画の学校で教わったことにすごく影響を受けているんです。アカデミーで学んでいたとき、映画には自分の悩みなど、自分自身の話を反映できなければならないということを何度も教えられていました。自分自身の話を映画にできれば他の人の話も描けるし、引いては世の中の人たちに広がった話に繋げていけるのだということを教わっていたので、それをいつも心に留めていました。それで最初の作品には自分の10代のころのちょっと反抗的だったり、女の子を追いかけたりという話を詰め込んでいます。2作目の『眠れぬ夜』には、自分が結婚して、仕事のことや子供を作るということに悩みがあったので、そういうことをすべて映画の中に反映させています。今回の『ひと夏のファンタジア』は、奈良県の五條という町でどのように話を作り、映画を撮ればいいのか?ということを本当に悩みまして、映画を撮る前に五條の町を通訳の方と一緒に回って調査したのですが、調査した内容をそのままシナリオに起こした感じなので、第1章に関しては五條の街を調査した自分の話であるとも言えます。
真利子 僕はチャン監督のことを以前から知っていたので、きっとそういうふうに撮るんだろうなと思っていました。観た方はどこまでがドキュメンタリーでどこまでがフィクションか?ということが気になっていると思うんですが、それは監督の狙いだったのでしょうか?
チャン 第1章の、映画監督が五條に行って通訳と調査をしたり、ビールを飲みながら話したり、ケンジさんと話したりしているところはシナリオを書いて作った部分ですが、五條の町の方にインタビューしているところに出てもらっているのは、映画を撮る前に調査に行ったときに実際にお話を聞かせてもらった方ばかりなんです。調査のときに話してもらったことを、映画を撮るときにもう一度同じ質問をして答えてもらうという撮り方をしていますので、彼らは演技をしたというよりは自分の言葉で答えてもらったという感じです。その部分はドキュメンタリーのように意識して撮った部分ですし、今真利子監督がおっしゃったようにドキュメンタリーとフィクションが混在するというのも意識した部分です。