「踊る大捜査線」とは何だったのか
速水健朗×佐野亨
2012年――劇場版第4作『踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望』をもって、1997年のTVシリーズ開始から15年間続いた「踊る大捜査線」の幕が閉じられた。国民的大ヒット作とうたわれる一方で、厳しい批判の声も数多く聞かれた本シリーズ。そんななかで筆者には、肯定的にせよ否定的にせよ、重要と思われるテーマ、キーワードが語り落とされているのでないかとの疑問があった。そこで今回は、ライター・編集者の速水健朗さんとともに、「踊る大捜査線」という作品が残した功と罪、その本質について語り合った。(構成:佐野 亨)
インターネットの活用とCX文化の継承
速水 これは、よく言われることですが、「踊る」は本放送のときはあまり視聴率がよくなかったんですよ。あの頃のTVドラマの主流は、どちらかというと北川悦吏子作品のような「次はいったいどうなるんだ?」という引っ張り方で見せていく連続ドラマだった。視聴率が平均20パーセント代というドラマがザラにあった時代においては、決してヒット作ではなかったわけです。
そんななかで僕が当時、すごく興味をひかれたのは、インターネットとの関わり方でした。1997年というと、まだ日本ではインターネットの黎明期です。ソーシャルメディアはもちろん、2ちゃんねるですらまだない時代です。その頃に、「踊る」の公式サイトでは、毎週放送が終わると、掲示板に視聴者がどんどん書き込みをして、議論をしたり情報交換をおこなうようになっていったんです。放送期間終了後もその熱はやまず、ファンがオリジナルグッズとかを提案し始め、やがて湾岸署のジャンパーなどを売り出すようになった。そうやって新しいドラマ視聴者の消費の仕方をつくっていったんですね(※6)。
劇場版1作目の『踊る大捜査線 THE MOVIE』は、君塚良一さんが、インターネットを通じたそのようなファンの広がり方を参考にして、小泉今日子演じる猟奇殺人マニアがネットをとおして教祖的な存在と化していく様子を描いていました。だから、よく君塚さんの評価で「この人はネットに対して悪意を持っているんじゃないか」という意見が聞かれますけれど、物語をつくるときには、いま実際に起こっている現象を悪いやつが応用したらどうなるか、というシミュレーションのもとにつくるのって当たり前じゃないですか。ミステリ作家で言えば、ジェフリー・ディーヴァーが完全にこれをやってますよね。
そうやってウェブ上のつながりをとおして、ある現象が拡大していく――いまで言えばAKB48もそうだと思いますが――という状況を実際に物語のなかに取り入れたという点では、かなり先駆的な作品だったのではないでしょうか。
佐野 僕がインターネットを本格的に使い始めたのも、ちょうど「踊る」のTVシリーズが始まるくらいのときだったと思います。あの当時、パソコン雑誌なんかでも、エンターテインメント系のおすすめサイトとして「踊る」の公式サイトはよく紹介されていました。
速水 「踊る」のインターネット戦略をものすごく分析してつくられたのが「ケイゾク」(※7)ですね。「ケイゾク」の公式掲示板もまさしく「踊る」と同じような盛り上がり方を見せていき、堤幸彦作品の登場人物が「堤三姉妹」としてキャラクター化されていった。そうやって視聴率はさほど高くないけれど、一部のファンのあいだで圧倒的に高い支持を得るタイプのドラマがあの頃、いくつか生まれたんですよ。一般的には、そのあとの「木更津キャッツアイ」がそういうサブカルチャー的な現象を巻き起こしたドラマとして引き合いに出されることが多いけれど、その元祖は「踊る」や「ケイゾク」だと思います。
佐野 もうちょっとさかのぼって考えると、それってフジテレビが非常に得意としていたやり方なんですね。
1980年代後半から90年代初頭にかけて、フジテレビの深夜番組黄金期と呼ばれた時期がありましたけれど、当時人気を博した「やっぱり猫が好き」(※8)「カノッサの屈辱」(※9)「ワーズワースの庭で」(※10)といった番組に共通しているのは、フィクションとしてつくられた現象を、あたかも現実世界で起きていることのように、視聴者に錯覚させるという手法でした。もちろん視聴者もそれが虚構であるということを理解したうえで、「面白ければいいじゃない」という余裕ある態度でそれを消費したわけです。
やがてその方法論がゴールデンタイムの番組にも流入していき、三谷幸喜の一連の作品や「世にも奇妙な物語」(※11)などに受け継がれていく。「踊る」はウェブ時代におけるその発展形態であり、最大の成功例と言えるのではないでしょうか。
言い換えると、非常に放送作家的なコンテンツのつくり方ですよね。たとえば、三谷幸喜の作品では、別々の作品に同じキャラクターが登場したり(※12)、ある特定のキーワードが複数の作品で繰り返し使われたり(※13)といったお遊びが随所にちりばめられていて、それを共有することがファンの楽しみのひとつになっている。いわば『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の1作目から3作目にちりばめられた細かなつながりを探す楽しみに近い。
「踊る大捜査線」の場合は、ウェブの登場によって、このシーンの裏側では実はこんなことが起きていたとか、このキャラクターには実はこんな過去があった、という議論を交わす楽しみへと広がっていき、ひいてはそれが数々のスピンオフ作品へとつながっていったわけですね。
速水 これって単にマニアをつくるということではなくて、作り手と受け手のあいだに一種の共犯関係を築く、ということですよね。CXと関わりの深い秋元康やとんねるずは、業界の内側を全部見せてしまうことで、受け手に自分たちとの共犯関係を結ばせるという手法を、「夕やけニャンニャン」から始まって、野猿、矢島美容室、そしてAKBに至るまでずっと続けてきた。そういう意味で、CXはインターネット普及後のコミュニティの広がり方を予見していたと言えるし、現にインターネットが登場したとき、それを真っ先に使いこなした。それが「踊る」だったんだと思います。
※6 「日経パソコン」編集長の中野淳は、「踊る」の公式サイト(特に掲示板)が、現在では当たり前となったインターネットコミュニティ内における「参加意識」「仲間意識」「みずから情報を発信できることに対する喜び」を醸成する空間として機能し、その結果、彼らがムーブメントを起こす楽しみに目覚め、「みずから喜んで『踊る大捜査線』の宣伝担当になっていったのでしょう」と分析している。(参考文献:日本映画専門チャンネル編『「踊る大捜査線」は日本映画の何を変えたのか』幻冬舎新書)
※7 1999年1月から3月までTBS系列にて放送。警察官僚の柴田純(中谷美紀)と叩き上げの刑事・真山徹(渡部篤郎)のコンビが難事件に挑む。脚本は西荻弓絵、メイン演出を堤幸彦が手がけた。
※8 1988年10月から1991年9月まで放送。日本では珍しいシットコム形式のドラマとして、深夜帯にもかかわらず一部熱狂的なファンを獲得、やがてゴールデンに進出した。三谷幸喜(深夜帯第2期より参加)のTVにおける出世作としても知られる。主人公の恩田三姉妹を演じたもたいまさこ、室井滋、小林聡美は、ドラマでのキャラクターのまま、フジテレビの広告やCMにも登場。室井はのちに当時を振り返り、「私達が(舞台となった)幕張のどっかのマンションに実際に住んでて、ああいうことが本当にあるんだ、ってドキュメントみたいに……そういうふうに思い込まれちゃったりってこと、すごくあったと思う」(『やっぱり猫が好き』幻冬舎)と語っている。
※9 1990年4月から1991年3月まで放送。日本のバブル期を象徴するクリエイター集団「ホイチョイ・プロダクション(ホイチョイ・プロダクションズ)」が企画、小山薫堂が構成を手がけた。仲谷昇を教授役として、「ホテル四大文明」や「クイズ番組史観」など、毎回さまざまなテーマを歴史番組風の大仰な演出で解説する。
※10 1993年4月から1994年3月まで放送。坂東八十助(現・坂東三津五郎)、渡辺満里奈、野々村真を案内役に、大人の趣味・道楽の数々を紹介する。片岡Kや源孝志など個性的なディレクターを多数輩出。その後、後続番組「ワーズワースの冒険」も放送された。
※11 超低予算の深夜ドラマ「奇妙な出来事」から派生し、ゴールデンタイムに放送されたオムニバス形式(レギュラー放送時代は毎回3話)のドラマ。2000年に劇場版が公開された。
※12 「振り返れば奴がいる」と「古畑任三郎」に登場する中川淳一(鹿賀丈史)、ミュージカル「オケピ!」と映画『THE 有頂天ホテル』に登場する丹下(川平慈英。実は双子の兄弟という設定)など。
※13 「古畑任三郎」と「王様のレストラン」に登場する“赤い洗面器の男の話”、『12人の優しい日本人』と「王様のレストラン」に登場する居酒屋・大自然など