大西 信満 (俳優)
映画『華魂 幻影』について【1/5】
公式サイト 公式twitter 公式Facebook
2016年4月30日(土)より、新宿K’s Cinemaにて公開
人間の欲望を養分として成長し、世界を侵食しようとする植物・華魂。佐藤寿保監督が美意識を炸裂させて日常にひそむ狂気を描く『華魂』シリーズ第2作の舞台は、閉館の決まった映画館だ。最後の上映作品の中に少女の幻影を見付けた映写技師は、映画監督になるというかつての夢を思い出し、最終上映に立ち会う劇場スタッフや常連客は、虚構の世界に自らの愛や欲望を重ね合わせる。映画の魔力が導くカオティックなクライマックスは今まで見たことのない驚きに溢れるものだった。低予算ながらチャレンジングな俳優たちの力も得てこの強烈な世界観を描き切った本作を、ぜひスクリーンで体験してほしい。主人公である映写技師の沢村役を演じたのは大西信満さん。原田芳雄さんや若松孝二監督など昭和の映画人の元で揉まれ、インディペンデント映画とミニシアター文化にひとかたならぬ想いを持つ、まさにハマり役と言える大西さんの映画魂ほとばしるインタビューをお届けする。 (取材:深谷直子)
Story 閉館間近の映画館の映写技師で沢村貞一(大西信満)は、毎日狭い映写室からスクリーンを見つめ続ける日々を送っていた。ある日、画面に見えるはずのないものが見えだしていた。黒ずくめの少女(イオリ)である。少女は何かを訴えるように沢村を見つめている。上映後、フィルムをチェックするが、少女などどこにも映っていない。
ある日、上映後の客席に幻影で見たあの黒ずくめの少女が目の前にいた。沢村は、少女を劇場の映写室の控え室でかくまう。上映中、ふと気がつくと、少女がいなくなっている。少女を捜すがどこにもいない。街をさまよう沢村。少女の幻影が沢村を誘う。少女に導かれるように、川原に来る沢村。沢村の失われた記憶が蘇る……。少女の頭に毒々しい色の花“華魂”が不気味に咲いている。少女は一体誰なのか。沢村との関係は。
――『華魂 幻影』は佐藤寿保監督の映画愛が炸裂する圧倒的な作品でした。まずは脚本を読んだときの感想から教えていただけますか?
大西 単純にすごく面白かったです。ただ、「なぜこの話が自分のところに来たのだろうか?」っていうのが同じぐらい不思議ではありました。やっぱり今まで自分が演じてきた作品とはひと味もふた味も、30味ぐらい違うじゃないですか? だからそこに対して「え、間違いじゃないの?」と少し思いました。だけどホンはすごく面白かったです。
――脚本のどんな部分を面白いと思われたんですか?
大西 自分がやった沢村は、ある意味唯一の普通の人間で、それ以外の人たちはみんなどこかが破綻しているんですよね。で、沢村の物語はすごく切なくてシリアスなんだけれど、同じ時間軸の中でまわりがどんどん破綻していく、その落差というかコントラストが面白いなと思いました。クライマックスではホンを読んでいるときもゲラゲラ笑って、めちゃくちゃやるにしてもここまでやれば清々しいなと。中途半端に笑わそうとしたり奇を衒ったり、そんな映画を何本も観てきて「お客さんはそんなに馬鹿じゃないよ」と肌感覚で思うところが自分にはあったけれど、ここまでやれば清々しいんじゃないのかなと。ただ、平面の段階のホンの精度をどこまで実写に焼き付けられるのか?というのは終わってみるまで分からなかったけど、初号試写で観たときに「すごいなあ」と思いました。劇中劇の川瀬(陽太)さんのあのシーンとか、日本映画史に残りますよ。
――(笑)。あれはすごいです。
大西 それをホンで読んで笑うんだけど、「こんなことできるのかな?」って思うところもあるわけですよ。作品の大体の予算規模も分かっているし、タイトなスケジュールだということも分かっている中で。川瀬さんのシーンだけではなく、映画館でお客さんたちがめちゃめちゃになっていくのも「生身の人間がやるとどうなるんだろう?」と思っていて。でもできあがった画を観て「すごいなあ」と本当に思いました。佐藤監督と一緒にやるのは初めてだったけれど、現場に入ってからの時間の中で、アジテーターの部分がどこかあってまわりを熱気に包んでいってしまう監督だなと感じていて、実際に画を見たときにきっとそのとおりなんだろうと思いました。
出演:大西信満 イオリ 川瀬陽太 愛奏 吉澤健 真理アンヌ 三上寛 他
監督・原案:佐藤寿保 プロデューサー:小林良二 脚本:いまおかしんじ 音楽:大友良英
共同研究:東京工芸大学 制作・配給・宣伝:渋谷プロダクション 製作:華魂プロジェクト
© 華魂プロジェクト
公式サイト 公式twitter 公式Facebook